「小損を取る」(9) 実践編その2:ゴミ拾い
今回はゴミ拾いについて書きますが、ゴミを拾うことイコール小損、という短絡的な結論ではなく、ゴミを拾うとかそういう行為を続けることにより重層的な効果があるということを書き切れればよいかなと思っています。
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プロ野球選手の菊池雄星選手のインタビューを昔読んだのです。菊池選手は、恩師(高校野球の監督)から野球だけでなく人間的な教育も受けていたようです。それこそ道端にゴミが落ちていたら拾いなさい、みたいな「躾」的なところから。
で、菊池選手いわく、急いでいるときに限ってゴミが落ちている、と(笑)。ものすごくスルーしたいのだが、そういうときは、自分は「天に試されている」と思って、なんとかゴミを拾い、ゴミ箱に捨てるようにしています、といったようなお話しでした(一部うろおぼえですが)。
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ということで、まず、「1回ぐらい見逃して!」と言いたくなるときにも、myルールを貫徹するというのが小損ですね。ゴミ拾いに限ったことではありません。
それを1回せずとも、誰にとがめられるわけでも、怒られるわけでもなく、社会に迷惑をかけるわけでもない。誰も見ていない。でもやるんです。そう決めたのであれば。
自分が決めたことは、優先順位をほぼほぼ最上位にするということ。
ちなみに、決めない自由もあります(笑)。ただ、人生を豊かにするという意味では、アラフォー過ぎたら必ず励行する「善行」をひとつ以上持っておいたほうがいいと思いますけども。
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何かを決意すると最初のうちはそれを遂行することを妨げる出来事が頻出するんですよね。なぜなんでしょうね?
禁煙や禁酒しようとすると飲みの誘いが増えるとか。
ダイエットなんかまさにそうですよね。
でも、このフェーズは軽々と乗り越えてほしいんですよね。そう決めたのであれば。
そのフェーズを乗り越えると、突然ラクになります。世の中の多くの方々はラクになる前にやめちゃいますけどね…
そこを乗り越えるためには、その決意は最初はけっこう軽いもののほうがいいですね(苦笑)。禁煙だの禁酒だのダイエットだの、重すぎなんですよ。
ということで最初の「練習」としてははゴミ拾いぐらいがちょうどよいかな、と。急いでいるときでもどんなときでも道端に落ちている拾える程度のゴミは拾う。そしてゴミ箱なり本来捨てるべき場所に捨てる、と。
ゴミ拾いが反射的にできるようになれば、ダイエットとか禁酒、禁煙もできる可能性が飛躍的に高まる、ような気がしてなりません。必ずできるようになるという安請け合いはしませんが…
ダイエットとか禁煙とかそういうのって、出したたとえとしては間違っていたかもしれませんね(爆)。そもそもそれらはゴミ拾いとはまったく違う話で…「オレがアタシが」って感じなのです。つまり、「大得」をとりに行くということですよね? そういう方面のノウハウにあまり詳しくないので(笑)。
小損を取りにいく生活を続けていると、もうオソロしくて大得なぞとりにいけません。仮に狙って大得をとれたとしても、その後どんな仕打ちが待っているかと考えると(怖)。
でも狙ってなくとも私は太っていませんしタバコもかなり前に自然と吸わなくなりましたし酒は適量です(笑)。不思議ですね。このあたりのことは機会があれば別途書きます。
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何もない平常時であれば、ゴミを拾って捨てるのは誰でもできるのだと思います。
なので、日常の行為なので「損」ですらない。
♯やらない人は多いですけどね
けっこう急いでいるときにかぎって、少し遠くのほうにあるゴミが目につきます(笑)。そしてさらにゴミ箱がどこにあるのかわからなかったり(笑)。
ゴミ箱が見つからないのであれば、ずっと持ってることになりますね。あるいはポッケにいれちゃうとか。
キタナいですよね(苦笑)。でも最初はやるんです。淡々と。
やると決めたことであればそのうち工夫するようになります。キタナいのがイヤだったら常にカバンにコンビニ袋を持ち歩くとか。それをまとめてどこかでポイするとか。
カイゼン、効率化の意識は常に必要。修行僧じゃないんですから、キタナいのに耐える自分に酔う必要などないのです。淡々と、感情を荒立てず、ルーティンで行えるところまで落とし込むこと。そうしないと、続けられません。
先ほど書いた「突然ラクになる」までいける人というのは、こういったカイゼンの意識を常に持っていますね。仕事でもプライベートでも。
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ぜんぜん書き切れなかった… 続けます。