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小損を取る(3) 人生プラマイゼロというのは概ね納得感があるようです。

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 さ、ノってるうちにどんどん書こう(笑)。内容を読んでいただけない(耳のイタいところは意図的にスルーする)的外れな批判でモチベが激下がりする前に…(苦笑)。

 いろんなところで書き散らしているネタなので、あらかじめご容赦ください。

 まず、大前提として、私は「アラフィフ」とくくられる世代ですが、このぐらい生きていますと、人生ってなんだかんだでとんとんだな、と。ほぼほぼプラマイゼロに落ち着くもんなんだな、と腹落ちしてくるわけです。いいこともあったし、悪いこともあったな、と…

 これはけっこう、「諦観」に近いものがありますが…(まぁ生まれて、そして死ぬのは決まってるわけですから最初からとんとんといえるかもしれません)。

 同世代のみなさんは概ねご理解いただける感情だと思うのです。若い人はまだわからないかもしれません。なぜなら、今プラスのビッグウェーブがきていてノリノリかもしれないし(笑)、マイナスのビッグウェーブがきていてドツボかもしれないし、つまり、まだまんべんなく人生経験を積んでいないのではないかと思われるからです。

 私と同世代あるいはもっと上の世代でいまだにそう思えない方は、「矯正」が必要なんです。素晴らしい人生だった、などと思う必要はまったくないので、まあ、おおよそとんとんだったな、ぐらいまでマインドを変える必要があります。自力で。

 でないとこの「小損を取る」理論が効かないのです(苦笑)。

 今までの人生悪いことばっかりだったよ、と嘆く方は、良かったことを忘れています。おそらく意図的に。何がそうさせているのかは、個々の事情があるので、私にはわかりませんし、立ち入るところではないと思ってます。

 自分の目の前で電車がいってしまって、結果遅刻して上司にネチネチいわれたりするとサイアク!と思ったりしますが、実はそれと同じぐらいの回数、電車のドアが閉まる直前で電車に乗れています。でも乗れたほうの体験は忘れてしまいます。

 今現在、人生はおおよそとんとんである、と思えない方もいらっしゃるでしょうがとりあえず話を進めさせてください(笑)

 そう思える方であれば、今まで何回も書いている「小損を取る」を行えば、やがて「得」がやってくるということも腹落ちしていただけると思うんですね。

 逆もあります。というか世の中のほとんどの人は、無意識のうちに小得をとりにいくようになっています。なので、まんまとババ(つまり「損」)を引いていますね。

 自分でババを引き寄せておいて、なんて自分はツイていないのだろうと文句をいいます。そして、常にガメツくとりにいっている小得に対する感謝はなく…

 たとえばポイントカードを例にとると、あまりにもガツガツと小得(つまり、500円で1ポイントとかのポイントのこと)をとりに行く方は、どこかで必ず損を引いています。買わなくていいものを買ったりとか。

 よくある笑い話ですが、電車に乗って、電車賃をかけてまで特売日のスーパーにいき、買い過ぎてしまってスーパーからの宅配を頼み(お金とられます)、そして結果的には買った野菜を少し腐らせてしまい、トータルでは損をしている、近所のいつものスーパーでよかったじゃん!みたいなことです。

 こういうのをやめてみることです。人間、意識的に小得をとっていけるのですから、一旦リセットして小損を取る方向へマインドを変更することは可能です。

 そのためには、まず自分の行動をすべて俯瞰してみることが肝要。そうすると、自身がいたるところでプチ決断をしていることがわかります。まずは、マインドを変える前に、自分がどういう行動特性があるかを把握する。一瞬のうちに損得勘定をして、得なほう(将来的なことは考えずまさにその瞬間に得を得られるほう)を選んでいるのです。

 この一瞬の判断というのは、なかなかです。人間の脳ってすごいな、と素直に思います。

 最初は、モチベーション維持のため、得目当てに損を取る、でもいいんです。まず「小損を取る」クセをつけることが大事です。そのうち、自動的に小損をとるようになればそれでよいです。

 ただし、得を取りたいがために小損をとる、という考え方は、小損を取る行為が自動化されたならば、思考からdeleteする必要があります。なぜならば得を取るためにまず損を取りにいくという行為自体が得を取りにいっているからです。

 小損をとるってたとえば? という話はあとで書きます。その前に、小損を取っていくと「得」がどんなかたちでやってくるか、なんですけど、これが、凡人にはわからんのですよね…(爆)。

 まず、小損をとっていくと、小得というかたちで返ってくるのか、大得で返ってくるのか、そこからしてわからない。

 当然、いつやってくるかもわからない。

 でも、返ってくるのは間違いないので、それは信じることです。

 これが、もし大前提が崩れて、人生が「とんとん」でないのだとしたら、いくら小損を取っていっても、バカらしいですよね。「得」がないんだから。誰もそんなことしなくなります。でも、今のこの国であれば、大丈夫なんです。なぜかはわかりませんが。

 科学的に説明せよといわれてもわかりませんが、もしそれを言い出すのであれば、人生がほぼほぼプラマイゼロである科学的な根拠はなんでしょう?

 科学的な根拠などわからないまま、私は、人生ってのはほぼほぼプラマイゼロであると深く納得できています。納得できてるんだからまぁいいんじゃないでしょうか(笑)。

 まずは、これは「仕様」であると思うことですね。

 そして、「得」が、自分の目にみえるかたちでやってくるのか、自分が知らないうちにやってきているのか、それすらわからない。おそらく、どちらもあるんだろうとは思いますが。

 たとえば、急いでいて、小走りで駅に向かっていて、そこの角を急いで曲がったら車にひかれていたかもしれないけれど、忘れ物を思い出して引き返したおかげでひかれなかった、と。そしたらこれは「大得」なわけですね。少なくとも私はそう思います。

 でも、自分はそのとき車にひかれなかった、という事実を、その人は一生知ることもないですし、知ることがないということは感謝することもないのです。でも、ひとりの人間の人生の周辺では、本人が気づかないところで本当にいろんなことが起こっているのです。

 もうひとつの小損を取る効用ですが、これが実は、もっとも大事なのですが、「大損防止」のために行うのです。つまり、日常で小損をとっておけば、人生を根底からひっくりかえすような大損はこない(と信じる)。

 さきほどのポイントカードの例もそうですが、小得をがつがつと取りにいって、かつ、小損をとることを頑なに拒んでいると、大損を引きます。

 どこかでガス抜きのごとく、小損は引いておく必要があります。

 宝くじ1千万当たった人は、その後をすごく気にしますよね。車にひかれるんじゃないか、とかなんとか。あの感情が大事です。

 でも宝くじの高額当選者って結局、自ら損を引かないんですけどね… だからその後の人生が傾いてしまう人が多いようですね。

 私個人的には、人間の最大の大損というのは植物人間になるか天寿を全うせず死ぬことだと思うので、それを予防するために、けっこう日常で損を引くようにしています。

 結局繰り返しになりますが、小損を取ることを自動化しておくことが肝要なのです。日常で無意識のうちに損をとれている人間は大損を引きません。ひょんなことから大得を引いた(「引いてしまった」)としても、それに感謝こそすれ、日常は変える必要はないのです。

 長くなったので次にまわしましょう… まだまだ、これからが核心です(苦笑)。これを読んでいる方全員はムリですが、一部の人には必ずお役に立てることを次回以降どんどん書いていきますので(笑)。

 前回も触れたと思うのですが、ここに書いていることは自分の未来、大仰にいうと運命を変える手法なんですよね。(劇的にではなくちょっとだけ、好転させる)

 前回は健康になるだけで未来は相当変えられるということを書いたつもりです。今回は日常で小損をとるクセをつけるだけでさらに未来を変えられるということを書きました。このふたつだけでもすでに鬼に金棒ですね(笑)。

 

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