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「小損を取る」(6) その歳で本気でプロ野球選手になろうと思っているのですか?

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 計画と実践により願望を実現させていける、みたいなことを書くと、いい歳して「今からプロ野球選手になれるのか?なれるわけないだろぅ?」とドヤ顔で書き込んだり言ってきたりする人がいるので、一瞬世の中を憂いてみたりします(苦笑)。

 まともに取り合う話ではないと思いつつ…「計画と実践」を少しでも意識したことのある方(無意識であれば誰でもやってることですが)ならば、そういう言葉は出てこないはずなんですけどね… ある程度年齢を重ねているにも関わらずまったくそれを意識したことがないのはヤバいです。そういう方とはビジネスであまりお近づきになりたくない。なぜならば、そういう人の近くにいると負のスパイラルに巻き込まれて尻拭いをさせられてしまうからです。

 願望というのは強いのはもちろんのこと、少しは熟成させとかないと…

 つまり、「え?願望って願うとかなうの? じゃあ願望しちゃおっかなー」みたいな…まるで流れ星が流れ出してから願望を考え始める、みたいなね(笑)。

 あとありがちなのが、ただの妄想を願望と勘違いして、それを「少年の心(を持ち続ける)」と類似したものとして正当化する、みたいな…

 それを語り出すとまた長いので省略しますが(苦笑)。

 「かなうんだったら、望みを願います」という考え方は、とてもムシがいいものだ、というのは、わかっていただきたいです。願望ってもっと、ふつふつとわいてきて、どうにもこうにも止まらない…しかもそれがけっこう長く続く、みたいなものだと思うんですけど、つまり、かないそうかかなわなそうかという可能性で制御できるものじゃないんですよね。

 というか、若いときはかなわなそうな願いにみょうに燃えますよね(笑)。嗚呼、青春也!

 そして冷めるのも早いので(苦笑)、若い人の願望はしばらく放置して見極める必要はあるのですが…

 けっこう長い間、心にしまっている願望があるとして、それは、ただ手をこまねいているだけでは、かないません。ですが、しっかり計画して実践していけば、ぐっと願望に近づきます。

 ここまでは、何ら間違ったことはいってませんね(苦笑)。でも、世の中には、計画したって実践したって「どーせ」できないんだから、と、最初っから諦めている人が多数なんです。なぜ?そういう思考回路に落ち着いてしまったのだろう? と、私などは不思議に思います。

 そういうのはやはり育ってきた家庭環境や受けてきた学校教育に大きく関係してるんだろうな…と。

 計画して、実践すれば、未来は変わるんです。ざくっというと、とある願望が「かたちを変えてかなう」か、「(願望が)消えてなくなる」というケースが非常に多いです。

 後者はまったく別な、よりかなえたい目標が出現するということです。人間的に成長すると、願望もより壮大になったりしますね。

 もちろん、想像していたとおりにピンポイントでかなうこともありますし、願っても願ってもかなわないこともあります。

 でも、後者は別に悲観的結末じゃないと思っているのです。なぜなら、すでにその人の人生は動きだしはじめているので、もう大丈夫かと。本当に、ライフワークとしてその願いを思い続けるもよし(計画の修正は必要)、あるいはさくっとその願いを捨ててしまってもいいと思います。

 「どーせ」な人って、「計画」つまりPDCAサイクルにおける"Plan"が「ヘタ」なんですよね。Planすべきなのに妄想してるんです。計画が妄想ではいけません。

 ヘタなのであれば練習すればいいんです。練習すればうまくなるんです、必ず。しかもこれって人生における必須スキルに位置づけられるに違いないものなので、必ず練習すべきだと思います。

 具体的には、妄想から脱却するためにはアウトプットしてレビューをうけるべきなんです。「これこれこういうことを実現させたいと思っていて、そのためにまずとっかかりはこれをして、次はこれをして… と思うんだけど、どうだろう?」と。

 そして周りの意見を素直に聞くんです。それだけでいいのです。

※”Plan”のスキルをすでにある程度お持ちの方は逆で、他人に言わないほうがいいです。レビューアが必ず余計な(間違った)指摘をするので、それを鵜呑みにするとムダに遠回りすることになります

 でもそういう人ってトモダチがいなかったり、周りの人材に恵まれていなかったりするのかな…

 いや、違いますね。周りの人に意見を聞こう!という謙虚な気持ちがそもそもないんですね。だから、謙虚になること(最初は対外的なポーズでもかまいません)。そして勇気を出すこと。無用かつ高すぎるプライドをそっと脇においておくこと。

 あるいは、百歩譲って、人に教えを乞うのなぞゼッタイにイヤだ!というのであれば、仕方ないです。独学で"Plan"の手法を学べばいいと思うんですよね。教えてくださいと言えないのであればこっそり誰かのマネをするとか。

 あるいは図書館でそれ系の本を借りてきて読みふけるとか…(買うのがベストですが、人に教えを乞うのがキライな人は本に投資しないような気がするので)

 あぁ、書いていてわかったのですが、これは、PDCAサイクルとか実はあんまり関係なくて、ほとんどロジカルシンキングのクセをつければいいだけだと思います。なので、それ系の本を集中して読むといいのではないでしょうか。

 また、多くの方はビジネスでそれをやっているはずなので、プライベートでも適用すればいいと思います。

 ですが特にこの業界の方はトークはやたらロジカル(つまり、理屈っぽい)のに「シンキング」のほうがやたら情動的だったり妄想に覆われていたりするので、注意が必要です。でもこれ、なぜなんでしょうね? 今度ゆっくり考えてみます。

 リアルビジネスで求められるのは真逆で、「シンキング」のほうを極限までロジカルに、そしてトーク(アウトプット)はとことんまで理屈っぽさを排除していく必要があります。それにより「説得力」が生まれますね。説得力って大事ですよ。

 計画と実践により願望はぐっと実現に近づきますが、「願いは必ずかないます」とはいってません。

 では、なかなか願望がかなわない状況に陥りそうになったらどうするか? というと、おおざっぱにいうとふたつの手法があります。ひとつは、その「願望」を、現実解に「変形」させること。

 もうひとつは、その「願望」が「ぐっと」こっちに引き寄せられてくるのを待つことです。

 前者と後者の合わせ技も、もちろん考えられますね。

 前者はアジャイル的手法(笑)です。計画の根本的練り直しはしない。手戻りはしない。走りながらアウトプットに柔軟性を持たせるということです。ここでいちばん重要なのは、妥協はしないということ。納得感はありまくりのまま、アウトプットを「スライド」させていく感じです。ガチガチのウォーターフォールでない、ダイナミックでかつ小規模の(そしてスリリングなw)システム開発に携わっている方であればなんとなくこの感覚はわかっていただけると思います。

 後者については(おぼえていれば)後日詳しく書きます。これはよく言われていることわざでいうところの「人事を尽くして天命を待つ」ということですね。

 待つしかない、というシチュエーションは、人生において多々ありますし、時間が解決するケースもたくさんあります。

 私が最終的に言いたいのは、どうやら世の中のいろいろな著名な方の考え方などを読んでいると、日常でまったく無欲に「小損」をとっていると、「願望」が引き寄せられる可能性がぐーんと上がるということなんです。あるいは時間が短縮されたり。

 それを科学的に証明はできないしする気もないのですが、事実としてそうだということです。

 もちろん、以前書いたとおり、日常で「小損」を取っている目的が、その願望を実現するため、ではダメなのです。そこが、難しいところで。

 まだまだ、まだまだ続けますが、次は「閑話休題」で、小損の具体例を書いていきたいと思います。

 やっと!(汗)

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