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健康について第55回 食について(6) 必ずしも長生きが目的ではない

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 お世話になります。龍澤と申します。

 「食について」も6回目ですか……我ながらよくもまあ、書きたいことが出てくるものだと、自分に対して少し驚いています。

 前回前々回と、「工業食品」というタイプの嗜好品、および外食(の味)に対する依存症の話をしてきましたが、依存症になっている人たちは(おそらく)早死にはしないが、歳をとってから病気がちになる可能性がとても高いと思うのです。

 いわゆる「団塊の世代」とその上の人たちって、薬漬け、病院漬けになってませんか? 今70歳前後で、ふつうに庶民として生きてこられた方で「きわめて健康」(つまり、薬や病院に頼っていない)の方を私は知りません。ほとんどの方々は、食後にばらばらっと薬を広げ、ため息をつきながら(でもけっこう嬉しそうに)飲んでます(私の両親もそうです)。

 私は小さいころから、お年寄りとは頻繁に病院に通い、たくさん薬をもらってきて、毎食後に飲んでいるのがふつうだと刷り込まれていました。おそらく、私と同世代の多くの方が同じ刷り込みをされていると思います。ですので、当たり前のように我々も医療業界から薬漬けにさせられつつあります(私個人はそうなっていませんけども)。この流れは止めなければならないのではないか、と考えています。

 でも、普通に考えてみたら、日本全国のお年寄りがこんな状況だとしたら、実はかなり異常ですよね。異常だ、と断じてよいのであれば、その原因は主に食生活にあったのでは? と考えるのは自然ではないかと思っています。なぜなら、戦後食生活が劇的に変わったからです。

 いろんなところで指摘されていますとおり、戦後の食生活の劇的なカイゼン(高カロリー、高タンパク化)、および変化(極端な欧米化)により、劇的に平均寿命が伸び、と同時にほとんどの年寄り(つまり、戦前の平均寿命を超えた人たち)は長生きする代わりに、病院と薬なしでは生き延びることができなくなりました。

 後者の悪い影響のほうですが、食生活の劇的なカイゼンの影に、食物が「腐りにくくなった」(腐りにくく「した」)というのがあり、そこに添加物などケミカルな物質の混入という問題があります。

 戦後、規制がまだゆるかった(というか何もなかった)時代に、添加物はばかばかと入れられてきました。たとえば私たちがお世話になった駄菓子屋のお菓子などがそうですね。そして我々はそれを食べ続けました。事実として。

 加工食品も劇的に進化してきましたよね。便利な加工食品を、ずっと我々は食べ続けてきました。農薬まみれの果物もコメも食べ続けてきました。

 これらの実害は相当なはずですが、定量化できませんし、犯人を特定することもできないのですが(あえて特定するとすれば「国」?)、私は、上の世代の方々はこれらにヤられてしまい、薬漬けになってしまったのではないか? とにらんでいるわけです(これは私見ではなく、いろいろなところでいわれています)。

 この状況を、どう考えるか。

 確かに平均寿命は伸びたけれど……健康には生きていない(イコール豊かさや幸福感を感じられない)のではないか、と問題提起をしたいわけです。健康とは豊かさや幸福感の礎となるものであり、その点はどなたも異論はないと思います。

 長生きできるのは、素晴らしいことです。物理的な生存時間が伸びれば、前近代の人間よりも人生をエンジョイできる可能性が、高くなるということです。

 一方で、せっかく長生きになっても、人生をムダにだらだらと過ごしたり、持病を抱えて長い期間何もできなかったりで、いざ臨終の際に「いったい自分は何をしていたのか?」と後悔の念にかられる可能性も非常に高い。というか実際そういう方のほうが多いでしょう。

 私が非常に気にしているのは(そして我々が気にしなければならないのは)、長生きするかどうかではなく、なるべく持病を持たず、健康に生きれる時間をいかに長くとれるか、だと思います。そういう前提で、論を進めております。目標はいわゆる「ピンピンコロリ」です。

 私たちの世代は、平均寿命はちょっとばかし下がってもよいので、死ぬまで元気で、病院に薬漬けにされないような人生を送ることを目標としなければならないと思っています。

 「元気」とは、「働ける」ということです。そのためには若い時分から準備が必要になります。準備とは?? それは、ざっくりいえば上の世代の真似をしないことです。

 今の時代、ただ「働ける」だけではおそらくダメで、ひとつ前の世代のような仕事のやり方では生き延びていけません。

 ということは、(僕の考えは)1つ前の世代のような生活習慣では、生産性は前の世代と同じになってしまうわけですから、見習うべきところは見習うけれども見直すところはどんどん見直して、もっと健康になって(イコール、脳をクリアにして)生産性をますます上げていかなければなりません。

 人間って、平均寿命が伸びるスピードに対して、行動(ふるまい)は進化していないのではないでしょうか。そしてまだまだ、超高齢化社会をエンジョイできるマインドにはなっていないですよね、我々は。

 超高齢化社会においては、実年、壮年時代に欲望に正直にならずに節制するスキルも、絶対に必要なはずなのです。人生というマラソンにおいては後半、スパートをかけなければならないこともあるはずで、そのためには途中セーブすべきところはセーブしなければなりません。

 途中リタイヤするのは自己責任なのでよいのですが、たとえば寝たきりになったりすると周りに迷惑をかけますから。自己責任の範疇ではおさまらなくなってきます。

 読んでいただきありがとうございました。 

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