言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

結果の出る頑張り方と負担でつぶれる頑張り方

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仕事をするにしても、スキルの習得にしても、結果の出る頑張り方というのがあります。仕事で結果を出したいからといって、行き当たりばったりで残業をやりまくると身体がもちません。スキルの習得も同様で、義務感だけで勤務時間外で頑張っても、しんどいだけで何も身につきません。私も以前は、「エンジニアなら時間外でも死ぬ気で努力しろ」と思っていました。しかし、体力に個人差があるように、気力にも個人差があります。もちろん一流を目指すなら「死ぬ気で努力しろ」ですが、誰もが一流を目指している訳ではありません。現時点では、「それぞれが仕事を無理なくこなせるだけのスキルを身に着けて、あとは楽しく過ごしてくれ」と思っています。

仕事にしてもスキルの習得にしても、結果を出すためには、量を多くこなすか、質を高めるかの二択になります。ただし、質を高める手段が無ければ量を増やすことしかできません。これは仕事を例にとる方が分かりやすいです。Excelを使えない人が手記で会計処理をするのと、Excelを使いこなせる人が会計処理をするのとでは、どちらが質の高い仕事ができるでしょうか。会計に関するスキルが同レベルだとすれば、道具を使いこなしている人の方が多くの仕事をこなすことができます。闇雲にタスクをしょい込んで無茶をするような頑張り方をしても、仕事が遅延して回りに迷惑を振りまくだけです。

仕事を無理なくこなすには、普段から無理のない行動をするべきです。頑張った最大値でこなせる仕事を基準にするのではなく、普段の平均値のパフォーマンスを知ることから始めましょう。頑張っている時というのは、興奮していたり疲れていたり、正確に物事を判断できる状態ではないと考えています。「あの時あんなに頑張った」を平常時に振り返ると、無駄が多かったり継続性の無いやり方をしていることに気づくことがあります。平常時にでないとパフォーマンスを上げる方法なんて工夫できません。頑張らなければいけない状況は非常事態です。それが常態化すれば、気力が尽きるか身体を壊すリスクが上がります。

ここまでが頑張りの量に依存するデメリットになります。では、頑張りの質を高めるにはどうすればいいのでしょうか。人によって意見の分かれるところかと思います。私の視点では、継続的な観察と思考で頑張りの質が変わると考えています。まず、観察と思考をすることで気づきが多くなり、変化のきっかけを多くつかむことができます。また、気づきが多ければ多くの視点を持つことができるようになります。その結果、多くの創意工夫ができるようになり、頑張りの質が高まります。やっていて結果が出やすくなるので、頑張ることのモチベーションも保てるようになります。

頑張りというと、「頑張れば結果が出る!」という昭和的な精神論を思い浮かべて批判する方も多いと思います。多少無茶が伴う頑張り方でも、結果が伴えば楽しいと感じます。ただ、それは「良い結果」に対して興奮している状態です。昭和的な精神論が大好きな人と話していると、良い結果に興奮して観察と思考が抜けている傾向を強く感じます。もしくは、忙殺されることに喜びを感じるマゾヒストでしょうか。個人的には、頑張れば必ず結果は出ると考えています。ただ、観察と思考が抜けていたら結果は出ないです。平常心を失わずに、観察と思考を続ければ、頑張りが報われる可能性が高まるのではないでしょうか。

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