言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

余裕のある人しか学ぼうとしない

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せこい人は技術を身に付けることができません。心に技術が入り込む隙間が無いくらいに、余裕が無いからです。技術を覚えるには、非常に多くのエネルギーを使います。何かある度に一喜一憂していると、すぐにエネルギーが尽きてしまいます。小さなことで一喜一憂しないだけの精神的な余裕がないと、学習というのはなかなか続かないものです。このような理由から、技術を勉強しつづけるのに必要なのは、モチベーションよりも精神的な余裕だと考えています。

学習においてモチベーションより大事なのが余裕です。まず、疲れて体力的に余裕がなければ、モチベーションは起きません。いろいろな問題を抱えて精神的な余裕が無い人も同様です。そもそも、体力も精神力も余力の無い状態で学習に取り組んだとして、なかなか効率が上がりません。モチベーションは精神的な余裕や、金銭的な余裕、体力の余裕など、様々な余裕を使うことで生まれます。例えるなら、余裕はお金で、モチベーションは商品です。

では、どうすれば余裕が生まれるのでしょうか。答えは自分で考えてください。あなたのことを知らない私が答えられる理由がありません。現代において、自分の内面を考える人は少ないです。なので、精神的に充実する方法に対して、せいぜいが「お金がたくさんあれば、ゆとりができる。」程度の認識です。体力的な余裕も、年を重ねるごとに削られていきます。ましてや、お金の余裕をどう生むかなんて、私が知りたいくらいです。

学んでいる人といえば、きっちりしたビジネスマンみたいな人で、論理的で目的意識がはっきりしたタイプを思い浮かべるかもしれません。しかし、いろいろ調べてみると、そういうイメージからかけ離れた、農家のおっちゃんでも日々、学習している人はいます。むしろ、論理的な人の方が頭が固い傾向すらあります。目的意識がはっきりしていても、自分に見合わない目標だと、自転車操業のような頑張りで日々消耗していきます。頑張るけど学ばない人になってないでしょうか。

私の知る中で、一番学びを大事にしているのは子供だと思います。彼らは本当に短期間で多くのことを学んでいきます。学ぶといっても、資格の勉強とか昇進のための努力ではありません。純粋に、何かを覚えていくことや、経験していくことです。彼らは、遊びを通じて多くのことを学んでいきます。本来、学ぶというのは子供が遊ぶように、非常にエキサイティングなものではないかと思います。そう思えないのは、どこか余裕をなくしているからではないでしょうか。

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