むしろ真面目な人の方が問題解決が下手
真面目な人には二種類います。課題に真摯に向かい合う真面目な人と、真面目さで取り繕う人です。たぶん、会社で働いてる人の七~八割くらいの人の本音は「仕事だりぃ」でしょう。真面目さで取り繕うということは、悪く言えば自分に嘘をついています。処世術として致し方ないとは思いますが、ある程度の「仕事だりぃ」を認めた上で、取り繕わずに済むようにした方が、みんなが幸せになるように思います。
真面目さで取り繕うとはどういうことかと言うと、人の目を気にした真面目さです。言葉を変えれば、真面目さというファッションです。見た目を繕うための真面目なだけなので、中身はそこら辺で「うぇーい」と盛り上がってる学生と大差はありません。一方、課題に真摯に向かう真面目な人は、見た目を気にしません。そのせいか、本当に真面目な人というのは、一般的な人が思うイメージと少し違って見えているように思います。
例をあげるなら、役者さんが分かりやすいかと思います。役者さんは、舞台にあがると煌びやかで、理想的な常識人に見えますが、練習風景だけを見ると変人です。一人で空に向かってセリフを練習しているところを、何も知らずに見るとドン引きします。課題に真摯に向かう真面目な人なら、そういうドン引きするようなことでも努力の一環としてこなします。一線を越えた努力をするから、人と違う能力を得ることができます。それを可能にするのが、本当の真面目さです。
取り繕った人が、変人の能力の部分だけ真似てもボロが出ます。人目を気にすると、ボロを出すのが怖くなります。その結果、真面目さを繕う人ほど動きが固く問題解決が下手になります。分かりやすいところでいくと、一部の政治家がそれです。票集めのために真面目さを繕うが、いざ当選してみると、具体的な政策が無く、内輪のやり取りに奔走していると。似たような事例は、身の回りでも多く見かけると思います。
もちろん、真面目に見えて能力の高い人もいます。ただ、見えない部分で真面目に努力していると、本当に見えないです。そういう人は真面目と認識されません。本当に課題に集中すると、信用すらどうでもよくなります。そのくらいの課題に対する集中があるがゆえに、問題解決に手際よく対応できるようになります。真面目さと狂喜は紙一重です。そんなギリギリの存在を取り繕いで真似ると、逆に大きなダメージを負います。そういう理由で、私は人に真面目さを求めるのを止めました。他人の未熟さと上手く付き合えるようになりたいものです。