言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

最大の損失は自分の失敗に気づけないこと

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自分が成長する上で、自分の欠点や失敗を的確に把握していくことは重要です。しかし、仕事で自分の失敗や欠点を指摘されると精神的にきついです。これらの指摘をかみ砕いて自分の課題に落とし込めることができれば、成長の糧にできます。自分で気付くことができる自分の欠点と、他人が気付く自分の欠点には大きな差があります。これを適切に比較できると、自分が乗り越えるべき課題が見えてくると思います。

ただ、人の指摘を聞き入れるというのは精神的になかなかしんどいです。特に仕事では利害が絡んできます。指摘される内容に虚偽が入っていたり、受け入れると不利益を被ることもあります。ただでさえ精神的にしんどい上に、それが嘘か本当か分からない、受け入れたら不利益を被るリスクが伴うとなれば、誰も人の指摘など聞かなくなってしまいます。同時に、成長の機会をことごとく逃してしまいます。

自分の欠点を指摘されなければ精神的なダメージを負うことはありません。また、失敗してもいろいろ理由付けして正当化されるなら、同様に精神的なダメージを負うことはありません。その方が楽なので、だいたいの人が人間関係重視で「みんなで仲良く」の方針を取ります。大企業によく見られる傾向です。こういう組織では、人柄を観察する力はつきますが、事実を見抜く力が育ちません。成長を望む人にとっては、逆に居心地が悪くなります。

事実というのは残酷で、自分の望まない結論にたどり着くことも多いです。知らない方が快適に過ごせる事実も多いです。ただ、事実を知ることを避けて快適さばかり求めていると、事実を知ったときにショックを受けます。最悪なケースでは、事実を知ったときには既に大きな損害が出ていて、対処できなくなってしまうということもあります。人間関係重視で「みんな仲良く」もいいですが、そこに安住していると成長は見込めません。

快適さに安住した生活を選んでいると、何故だか自分が完成していると思い込んでしまうようです。安住できることが優れている証明とでも思ってしまうからでしょうか。実際は、快適さに安住している内は成長は止まっています。何かを積み重ねる実践を続けている人には差をつけられる一方になります。これを避けるためには、自分の失敗や欠点を的確に見つけて、常に課題を持ち続けることかと思います。大切なのは、失敗をうまく課題に結びつけて学び続けることです。

Comment(1)

コメント

s.yama

他の人のやり方を「間違っている!」と指摘するときはその人が成長するためにそれを指摘してあげなければいけない、成長させ向上させるという責任をともなう気持ちをしっかりもった上でおこなわなければいけないと思います。


自分はそうしていますし、そういう気持ちをもっている人の意見は聞きます。


ですが大抵の場合に否定してくる人の意見は他人を見下したいという動機から来ているのがわかってしまうのでそういう相手の意見は全く聞く耳をもちません。そういう人の指摘は筋違いの指摘でしかない場面が多いです。

なんとなくですがQuoraってサイトで回答した内容を思い出しましたのではっておきます。


https://jp.quora.com/神は細部に宿るとありますが-ソフトウェア開発で細/answers/126220872

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