言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

可能性という落とし穴

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少年ジャンプで人気の出る漫画にはパターンがあるように思います。強い主人公の前に、更に強い敵が現れて、主人公がパワーアップして勝ちます。そしてまた、強い敵が現れて同じことを繰り返していく。そういう成長をうまく描いている漫画というのが人気が出やすいようです。そういう漫画でよく見るのが、素手で十メートルもあろう岩を砕いたり、挙句の果には一つの星を素手の一撃で破壊するまでに至ることもあります。

無限の可能性というのがあるとすれば、どちらかと言えば単純な能力の向上というより、組み合わせの多様性だと思います。例えば、東京から大阪に行くルートにしてもいろいろな組み合わせがあります。このルートの組み合わせと、もっていく荷物と目的を組み合わせれば、人間の知覚で無限と実感できるくらいの組み合わせが派生します。行く先をホノルルに変えたとしても同様です。

エンジニアの仕事をしていると、無茶な要件を無理に叶えようとする人をよく見かけます。無限の可能性があるとすれば、要件を叶える方向ではなく、要件を諦めてもらうという方向にも可能性もあります。これをもう少し広げれば、無茶に付き合うより転職するという方向にも可能性があります。仕事において、取れる手段や工夫は無限にあるが、思うような手段であるとは限りません。

困難な課題が与えられたとき、変に可能性を信じて無茶をする人を見かけます。本人は可能性を信じているようですが時間と労力は有限です。可能性を過大に信じすぎると、時間と労力を無尽蔵に消費してしまうので注意しましょう。そうならないために、自分の限界点は把握しておきましょう。自分の限界を知ることで、自分の限界を超えたことをはっきり認識できるようになります。また、限界を超えた方法を検討することで、無茶して超えてしまったのか、成長で乗り越えたのかを判断できるようになります。

技術の定石を知らずに目的を達成することばかり考えると、想定外の使い方や、非常に効率の悪い使い方をしてしまいます。技術で可能性を語りたいなら、地道な努力を怠らずに定石を固めてからにしましょう。あと、地道な努力は課題を突きつけられてからでなく、突きつけられる前にやっておきましょう。努力不足を補える無限の可能性なんて都合のいいものは、この世界には存在しません。

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