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仕事のメリハリって何だ

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私のコラムでは、技術と関係ない政治や社会問題っぽい内容を取り上げていることがあります。そういうテーマは技術的なネタがあまり無いときに書いています。テーマになる技術から発想が派生して、それっぽいのがコラム一本分くらいになったらそれっぽく書き出します。そういうコラムを後から読み直すと、「私はいったい、何を言いたかったんだ。」という内容だったりします。定期的にコラムを書くとなると、質を一定に保つのは難しいです。

仕事にしても、コラムを書くにしても、アウトプットの質にはどうしても波がでます。仕事の質を高めたいということで、この波の一番高いところだけピックアップしていると、アウトプットできる量はかなり減ります。労力に対して成果が落ちるので、モチベーションも維持できなくなります。波の高い部分を常にキープしようとすれば、反動で波が低くなる期間が長くなります。どうしても発生してしまう波を制御しようとすると、想定できないくらいの労力がかるのが現実です。

メリハリをググってみた情報によると、漢字で書くと「減り張り」らしいです。よく、仕事でもめりはりは大事と言われますが、実際は緊迫感が途切れることはありません。完全に「張り張り(はりはり)」です。進捗が「減り減り(めりめり)」なのは多分、過剰に維持した緊張感のしわ寄せなのかもしれません。緊張感の維持にエネルギーを遣い過ぎて、進捗を進めるために割り当てるエネルギーがなくなった。そういう説明が皮肉なほどにピッタリと当てはまってしまいます。

メリハリの「減り(めり)」の部分が、どうしても妥協や逃げと解釈されてしまうように思えます。そのためか、計画は自分の波が最高潮のときを基準に立てます。その時点で仕事にメリハリの余地がありません。緊張しすぎると、視点が一点集中して周りが見えなくなります。こうなると、目の前の進捗しか見えなくなり、長期的なタスクや課題に取り組めなくなります。このパターンが、プロジェクトが失敗するゴールデン・パターンのようになっています。

そんな事例が重なってか、私は仕事熱心な人が逆に信用できません。いつも張りつめているので、仕事にメリハリがありません。車のアクセルを踏みっぱなしにしているようなものです。適度な緊張感と適度な弛緩。これが、もっとも効率良く能力を発揮するための秘訣だと思います。過度な緊張や過度な弛緩ではダメです。緊張と弛緩をうまくコントロールしてバランスを取ることこそ、本当の意味でのメリハリではないでしょうか。

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