コラムを書いてマスコミについて考えながら、解雇のススメのまとめ
コラムを書いていても1円にもならないのですけれど(※金をよこせと言ってるわけではない)、それでも読まれないなら書いても意味がないからアクセス数は多少は気になる。
で、安直にアクセスを稼ごうと思うと、褒めるよりもけなす方が、穏やかよりも過激な方が、アクセスが増える。レコードからCDになって簡単にスキップできるようになったため、「頭サビ」が増えたけれど、Webでも顕著で、タイトルやリード部分で面白く過激にしないとアクセスは稼げない。まだまだ慣れないので空振りする(今回も頭サビが思いつかなかったので……)。
で、例えば、タイトルで目論見どおりアクセスが伸びても、頭サビが効かないとほとんど読まずに去る人もいる。
本質ではなく煽った部分に反応する人が出てくる。
枝葉末節が気になって、趣旨にはたどり着かない人もいる。
煽っている部分を(苦笑しながら?)サラッと流して、趣旨を理解してくれる読者もいる。
プロのモノ書きからすれば、ごく当たり前のことかもしれませんが、素人には、頭サビを効かせて引き込むような芸当は、なかなか難しいものです。
煽って書くことは、わたしの文章を読んだために趣旨と反対の方に凝り固まる人が出た場合はもちろん問題ですが、そういう人はもともと反対の思想を持ってらっしゃるのだろうから影響はないと判断しています。理解してくれる人の割合はそれほど差はないはずなので、全体が増えれば趣旨を理解してくれる人が増えるだろうと思って書いています。
これはわたしの癖かもしれませんが、細かい方より大きい方が気になる。減点主義ではなく加点主義なので、反発はどれだけあってもゼロ、理解してくれる方がいればプラス。全体として理解者が増えればよいと考えています。
同様に(加点主義だけではダメなのですが)経営者には、マイナスを恐れてはいけない決断という局面が多々あります。
例えば、ものすごい特別損失を出しながら、(当時日本最大の?)リストラを敢行した日産自動車のカルロス・ゴーン氏は当初、史上最低の冷血人間と、ものすごいバッシングを受けました。当時の日本人にアンケートをとれば、70~80%以上の割合で否定されたでしょう。
今になって考えて、その経営が正しかったかどうか? 両方のアンケートを比べてみたいものです。
おそらく、関係ない人はそれなりの評価をし、そのまま雇用されている人は、高い評価をするかもしれません。しかし、実際にリストラされた人や、下請企業の中には、一家離散の悲劇にあった人も少なくないでしょう。そんな人たちはどう評価するのでしょうか?
仮に、リストラを行わず、そのままの経営を続けていても復活したかもしれませんし、倒産していたかもしれません。倒産していたら、部門ごとにそれなりに売却され、一部の事業は名を変えて継続していたでしょう。決して全滅することはありません。
それを踏まえて、どちらが多くの人を救ったのかは誰にも分かりませんが、カルロス・ゴーン氏の当時のオペレーションは、わたしはかなりの確率で正しかったと言えると思います。再現できないので、タラレバは余り意味を成さないけれど、経営者ならどんなに批判を受けても、なさねばならない判断というのがあるのです。
というわけで、カルロス・ゴーン氏のオペレーションが正しかったかは分かりませんが、はっきり分かっていることは、ほんの1~2年でカルロス・ゴーン氏に対するマスコミの評価が180度変わったということです。
マスコミは自身の間違いを振り返ることはないのか? 今のカルロス・ゴーン氏が正しいならば、バッシングは間違っていたことになる。そして、カルロス・ゴーン氏がもし、日本人であれだけのバッシングを受けたら、自分の決断を貫くことはできなかっただろう。
カルロス・ゴーン氏がバッシングに屈してリストラを止めた結果、倒産していたらどうなるのでしょう。マスコミは責任を取ることはないし、さらにバッシングしたでしょうね。
わたしが言う分には大したことはないけれど、もし、総理大臣が「解雇規制を撤廃する!」って言ったら、それこそ、そのクビが飛ぶぐらい失言として扱われるだろう。
ペンは剣よりも強いらしいが、確かに強いけれど、叩くマスコミは本当に正義ですかね?
日本をどこに連れて行きたいのだろう。信念はあるのだろうか?
わたしもゴシップ新聞のごとく過激に書いていますけれど、信念は持っています。
解雇を自由化すると、偽装請負など本当に互助的なモノだけになり、ブローカーは存在できなくなる。企業は生産性をあげることに力を入れるようになるので、SQLの必然性も理解されるようになるし、年配のCOBOLerを再生することも、若い技術者を真の技術者にすべく、教育することもできると考えています。
ばらばらに書いていますが、大体つながっています。そんな信念があるから煽れるし、乱暴に書けるのです。それがなかったらただの馬鹿です。
立場を変えて考えると、マスコミの信念は、ここ数年「政権交代をする」ということに費やされてきたように思う。
本質的な政策を蚊帳の外に置き、「ナントカ還元水」「絆創膏」「産む機械」「酔っ払い」「漢字の読み違い」……。「酔っ払い」以外はどうでも良いことで、単に煽って混乱させただけ、それを分かった上で「政権交代」という大義名分(信念)のために、わざと馬鹿さわぎをやっていたと、わたしは理解しています。
自民党以上におっちょこちょいばかりの政権になるわけですが、「政権交代」が大義名分に足るかはさておき、目指した政権交代が成った以上、今度はその脆弱な政権を支えるのが、前政権を蹴落とした者の務めだとわたしは考えています。
もし、マスコミがその政策を支えるために提言をするのではなく、これまでと同じように、ひたすら煽って蹴落とすための馬鹿騒ぎをするなら、マスコミはただの馬鹿となる。大義名分ではなく、ただ煽って視聴率、購読者、アクセス数だけのためにやっていた(いる)ということの証明になるでしょう。素人でもやってる、「褒めるよりも、けなす方が、穏やかよりも、過激な方が」を無差別にやってるだけじゃないか。
もちろん個人的には、みなまで言わずとも稼ぐための馬鹿騒ぎと思っていますが、お手並み拝見です。ただの馬鹿騒ぎだったら、まぁ、わたしが許さんといったところで、どうしようもないのですけれど、「そんなことは許さん!!」。
素人でも信念をもってやってるのですから、マスコミの連中にはプロの信念というか、意地を見せて欲しい。小泉総理を作ったのも、安倍総理、福田総理、麻生総理を葬ったのもマスコミですし、民主党政権を作ったのもマスコミですから、責任は取ってほしいと思います。
もっとも、安直に流される国民が一番悪いのですけれどね(苦笑)。
自民党は50年も政権を持っていた。政権が変わらないことで日本を腐らせてきたということが政権交代の大義名分でしたが、それが正しいのなら、「終身雇用を前提とした解雇規制は、人間を、会社を腐らす仕組み」ってなぜ分からないのかな……。同じ理屈ですけど。
解雇の問題に戻って、実際に解雇規制がなくなったら、30歳ぐらいが分かれ目かな。40代以上なら実力のある人はメリットが大きいし、ゴマすりや堪えることで来た人たちは大変でしょう。30代は微妙ですけれど、20代なら確実に得をします。でも、20代も「解雇規制をなくす」なんてとんでもないって考えるのですよね~。「経営者が吸い取ってる」とか分かりやすい方に流れるけれど、漫画の見すぎですがな。
経営者って何人いて、しがみついている40代、50代が何人いるか考えたらいい。
しがみついているだけの40代、50代を1人切ったら、20代を1.5~3人雇える。会社としては、もうたまらんほど旨みがある。けどできないのよね。
若者の敵は法律(解雇規制)と組合なのよ。本当によく考えた方がいいですよ。わたしはアラフォーですから、年齢的にも立場的にも、若者がそっちを向いていてくれた方が利用しやすいけどね(苦笑)。目を覚ました方がいい。
そうはいっても、40代、50代を見殺すわけにはいかないのでセーフティーネットは必要です。しかし、実際にやるなら、「失業保険の給付期間を倍にする」(アルバイトは認める)&「子供の学費ぐらいは(国が)出す」で十分だと思うのですけどね。そこで、必死で生まれ変わろうとのた打ち回らないと、今まで吸い上げてきたのはなんだったんだってね。
ちなみに、弊社は若い会社ですから、切りたい40代、50代はいない。
さっきも書いたけれど、そうなったらCOBOLerの再生計画(SE補完計画)に入りますよ。
「人の行く 裏に道あり 花の山」ってヤツです。
つくづく、天邪鬼ですね~。
読み返してみると、酔って書いているのが丸分かり……。中川さんを笑えないけど、まぁ、ちょっと直してよしとしよう。
コメント
にゃん太郎
生島さん、おはようございます。
テレビなんかはスポンサー契約してお金をもらい広告を流して収入を得る事がメインのビジネスモデルなので人気取りに走るのは当たり前ですし、見ている人も政治家や官僚、人気のタレントの方が自分たちよりラクして良い生活していると思い込んでいるから正論よりスキャンダルの方が演出方法も相まって人気があるのでしょう。マスコミの体質はある意味国民が選んだ方向なので、悪いという面であれば国民に責任があると思います。
まぁ、キレイ事だけでは商売は成り立ちませんし、反権力の方が支持が得やすいため悪いと言うよりは仕方ないかな。
私のコラムもいろいろな事をバラバラに切り出して書いていますが、基本は流れとしてつながっています。現状に危機感があってやや大げさに(過激にしているつもりはないですが)書くので確信犯で極端にしています。でも、それぐらいでないとダメだとも思っていますが。
生島さんと時々ネタが被るのは私も経営者として経験があるからでしょうが、経営者から再度サラリーマンに戻ると、まわりの考えの甘さというか浅さに非常に歯がゆいです。そこに喝を入れたいと言う思いもあってコラムを書いています。見てもらうために一番考えるのは・・・やはりタイトルでしょうね(笑)
解雇規制解除すると、ナゼかみんな「自分はクビになる」と思ってしまうのか拒否反応を示しますよね。解雇権を乱用するという意見もありますが、そんなにみんな乱用したら企業どころか社会が成り立って行きません。解雇のしすぎは必要な人材まで辞めていってしまう可能性が高いので、個人的にはそんなに出ないのかな、とも思います。それこそ大企業ならマスコミからいい餌食にされるでしょう。
解雇も含めてもう少し人材の流動化が出来るしくみが必要でしょうね。
インドリ
おはようございます。興味深いコラムですね。
私も記事を書いている身ですので、タイトルについてはかなり悩んでいます。
その時、「過激な方がいいぜ」という悪魔の囁きがありましたが、
それと同時に「読者を騙してはなりません。内容を体現するタイトルにしましょう。」という天使の声が聞こえましたので、天使の声に従っています。
その天使の声が正しかったようで、私が執筆した記事は、アクセス数が急激に上がる事はないけども、末永く読んで頂けているようです。
過激なタイトルにすれば確かにアクセス数が上がりますが、
読者の満足度は下がり、下手すれば嫌悪感をもたらします。
マスメディアはそこの辺を分かって欲しいと思います。
生島さんの場合は内容とタイトルがそこまで乖離していませんし、
SQLの修得というテーマが必ずありますので良いかと思います。
それはさておき日本人はリストラ=クビ切りと何故考えるのでしょうか?
※念のために言っておきますが、私も日本人ですよ。
確かリストラことリストラチャリングとは、「市場の変化に合わして、事業やビジネスモデルの再構築までをも視野に入れた全社的な取り組み」という意味だと思うのですが・・・
コスト削減や生産性の向上は社員の継続的な協力が必要であり、安易な解雇は逆効果をもたらします。
会社は起業した瞬間が最高の効率を持ち、時間が経つにつれて無駄が増えていくといわれております。
それを放置して、直ぐ解雇という安直な発想はマスメディアが植え付けたイメージだと私は思います。
そんな安直な発想では企業の脂肪はなくならず、生産性を落として倒産になるのが落ちです。
解雇に対してネガティブなイメージがあるのは、マスメディアと愚かな経営者のせいだと私は思います。
セロ
お初にお目にかかります。
いっそのこと「働かざるもの、食うべからず」位まで戻った方がいいのかもしれませんね。
今回の不況に対応するための会社について、「会社に寄生しているボンクラ役員を切れば何人助かったんだろう」と思いました。
kuma
こんにちは
解雇のススメシリーズのまとめということで、前のコラムに比べて
穏やかな(?)書きだしの印象を受けました。
>マスコミがその政策を支えるために提言をするのではなく、これまでと同じように、ひたすら煽って蹴落とすための馬鹿騒ぎをするなら、マスコミはただの馬鹿となる。
少なくとも、TVは、ただの●●になりそうです。
庶民の共感を集めるふりして、煽っているようにしか見えないことが多々あります。
>解雇を自由化すると、偽装請負など本当に互助的なモノだけになり、ブローカーは存在できなくなる。
記事の中で分からなかった点があるので、ご教授お願いします。
Q.なぜ、ブローカーがなくなるのでしょうか?
皆様、こんばんは。
エイトさん、勉強します。
にゃん太郎さん。
被っちゃいますね~。また、ネタを考えます。
自分がクビになると考える人はどうなんでしょうね。
自分の労働と報酬がフェアバリューでないと認識しているのかな?
だったら、フェアバリューを超えれるようにがんばればいい。
不当解雇されるとかっていう人もいるけれど、フェアバリューを超える人なら、他所でもやれるし、評価してくれない会社に、何が悲しゅうてしがみついているのか理解に苦しむ。
フリーで生きてきた人間には分からない感覚ですね。
インドリさん
大手なら、リストラした直後(最中)にも求人を出していたりしますから、まぁ、首切り=リストラでないことは確かです。
セロさん
> 「働かざるもの、食うべからず」
これは当然だと思いますけどね。
ただ、派遣中心の口座屋さんでは、本当に案件がなくなったら給料ゼロとかってやるらしい。それはそれで違うと思います。
kumaさん
> Q.なぜ、ブローカーがなくなるのでしょうか?
大手がブローカーを使う意義を失うからです。
解雇が自由化すれば技術の蓄積のために正社員化の流れになりますから、中小企業は特色のある技術力を持って勝負するようにならざるを得ません。
ブローカーは技術はさておき、頭数をそろえる力があったのですが、頭数をそろえる力というのは、大手から評価されなくなります。
最低限のブローカー(一般派遣)は残るでしょうけれどね。
それは、調節弁ですから、もともと何の問題もないのです。
Earlgrey
お邪魔します。
私の場合、基本的には経営者サイドと被用者サイドの交渉能力は非対称
(経営者サイドのほうが強い)と考えています。
この状況で解雇規制解除を検討する場合、
①不当解雇の疑いがある場合、解雇をいったん差し止めた上で、
個別の解雇事由についてその当・不当の判断を行う
②解雇そのものは有効なものとして処理し、
セーフティネットで無職状態を救済し、次を探してもらう
といった手当が必要と考えました。
それぞれを検討していくのですが、
①の場合は事務処理・手続の負担、②の場合は財源の負担が大きいため、
現実的には対応が難しいと考えています。
この点から、解雇制限の解除には反対しています。
現実的な問題としては、ご指摘にあるように、
稼動していない上級階層(40~50代)というのが、わが社にも相当数います。
解雇が可能な場合、リストラが進められますので、大きな利点と考えます。
実際に若返りが進めば、失業率の改善効果も見込めるかもしれません。
ただ逆に、懸念しているのは、解雇権の濫用の問題です。
極論すれば、気に入らない人間は解雇できるわけですから、
解雇を前提とした強引な要求がまかりとおる可能性を否定できません。
結果的に、会社側の指揮命令権が必要以上に強まることにならないでしょうか。
このあたりを、社会的自浄作用などに頼らず、制度的に織り込んでいかないと、
被用者側が相当不安定な立場におかれることになるかと思います。
まあ・・・そんな会社やめちまえ!というのは正論なんですが、
フリー経験がないと、なかなか二の足を踏むものでして・・・(苦笑)。
Earlgreyさん、おはようございます。
現状ではそうなるかと思いますけれど、解雇が自由化されたら、あの会社もこの会社も解雇できるようになるのです。
そうすれば、解雇できないから就職のためのハードルがあがっているだけですから、あの会社も、この会社も、雇ってみて、就職してみて、お互いに合うかどうかを見れる世の中になります。
そうすると、解雇を乱用するような会社からは良い人から抜けていきますから、そんな解雇は会社はやりません。
結果を出さないとしがみつけない世の中になるのですから、解雇できる上位の立場になればなるほど、良い人に抜けられないように努力するようになります。
階級闘争とかそんな時代じゃないのですから、組合などの存在価値はすでにない。
今となっては、組合など世の中を腐らすゴミでしかないのです。
放浪者
私の感想ですが、日本の企業は新規の企業との取引に非常に消極的だと思います。
そのため、なんらかのコネのあるブローカが人・物・金を中継しピンはねが横行し
末端の実務者はスズメの涙・・・になっている気がします。
この流通経路を飛ばすことを嫌がる日本人的商習慣がある以上
改革したくても改革できないのではないでしょうか?
つまり、解雇のススメによって人材の適材適所が進むとは思うのですが、
企業淘汰にまでつながるかが疑問です。
ピンはねするだけの経営なら有能な社員なんていなくても可能ですし、
技術力よりもコネの方が重要なのでは?とか考えてしまいます。
下から変えることは不可能なので、やはり大企業のトップの決断と行動と
それを促すための法整備などが必要なのか?
戦国時代なみの混乱期がこないと、日本人は覚醒できないのかも
放浪者さん、こんにちは。
企業淘汰は今でも起きますよ。
> 日本の企業は新規の企業との取引に非常に消極的だと思います。
企業に限らずです。
だってね。小さな会社(例えばベンチャー)に入って「俺が大きくしてやる!」って考える人は非常に少ないでしょう。
「できたら、大企業で安定したい」とみんな思っているわけじゃないですか。
国として成長期ならそれでよかったのですけれど、成長期を過ぎた現在では、国が沈没しかねない考え方です。
その多くの人の意識を変えるためにも、解雇の自由化というのは改革の第一歩になり得ると思います。
にゆはか
@ITにあったのでいくつか読ませて頂いたのですが、
どれも趣旨がよくわからない(私の読解力がないだけ?)です。
現在の法律を自分では変える気は無いけれど、
誰か見てる人変えてくれ
ってことでしょうか?
特にこの「解雇のススメ」関係でいえば
自分達の過ちを無かったことにしてくれとしか捉えようがないです。
今までの日本の雇用を知っていた上で経営者となった。
そして雇った人が使えないから解雇したいが法律が許さない。
そのような人を雇用する時点で
自分達に慎重さや先見の明が無かった
とは考えないのでしょうか?
にゆはかさん、こんばんは。
なんというか、結局、法律というのは選挙で選ばれた政治家によって作られるのですけれど、選挙というのは究極の多数決です。
経営者の数とサラリーマンの数を比べたら分かりますけれど、どちらも同じ一票であれば、経営者の意見は簡単に国政レベルで通ることはないのです。
経営者であれば解雇規制の馬鹿馬鹿しさというのは分かっているのですけれど、一般的に理解されてないから「理解した方が良いですよ」と書いているわけです。
解雇規制があるかどうかは会社が潰れるほどの影響はないので、解雇規制があるなしは私には直接的な影響はないです。
しかし、サラリーマンは解雇規制のお陰で守られているのではなく、損をしているって分かった方がよいってことです。
だって、居酒屋で会社の文句は言うけれど辞めれないでしょう。
そりゃそうです。解雇が自由じゃないから、再就職がものすごく難しい。
だから、いやな会社にしがみつくじゃないですか?健全じゃないね。
あと、被害妄想はやめた方がよいと思いますよ。数ヶ月から何年も付き合って結婚した人で離婚する人はいくらでもいるでしょう。経営者も普通の人間ですから、社員を選ぶ1名に数時間でその人の人となりが分かるわけはありません。
個人情報保護法なんて馬鹿な法律があって、実際に調べられないのです。
しかし、個人は会社を調べることは可能ですよね。努力すればいくらでも調べられます。それなのに、個人は「気に喰わない」で会社を辞めれる。調べられて、「会社に入れてください」って来て、やっぱり合わないって言う人は大勢いるのは、本当におかしいですよね?
そんな不公平な状態で、更に会社は解雇できないのです。だから、簡単には雇いません。
「解雇できないと簡単に雇えない」ということを改善したいって言ってるんですけどね……。
にゆはか
簡単に雇うという考え自体が間違っていると考えていないのですね。
会社と一労働者が解雇時のみ同じ条件になろうとする。
本当に不公平というならば
会社は自由に解雇できる
労働者は希望すればどこの会社でも働ける
とすべきではないですか?
にゆはかさん、こんばんは。
なんというか……。
自由主義経済ではね、ぶっちゃけると労働者は労働力を売ってるんですね。
希望すればどこの会社にもいけるというのは、実は今も保証されているのですけれど、買うかどうかは会社に選択権があるのです。これは変わることはないです。
あなたを、あなたが望む条件で会社が買うかどうかは、買う側に選択権がありますが、選択する側が「やっぱりやめた」と言えない数十年に渡る買い物であるなら、数年、数ヶ月の買い物にできないか考えませんか?
つまり、契約が変えれない(解雇できない)から、会社は正社員は数十年の買い物になるから、できれば派遣社員にしようとするわけです。
その判断は全然間違ってないですよ。極めて合理的です。
労働者は、自分の労働力(能力)を売るのです。
しかし、解雇できない現状では、あなたの労働力を評価できない会社に売ってしまっても、売った以上、定年まで(契約を)変えない方が得となっています。
解雇が自由化されれば、労働者はフェアバリューで自分を売れるようになるでしょう。
あくまでフェアバリューですから、公務員や大手企業の社員の大部分は報酬が下がるでしょうけれど、真っ当な人の取り分は増えることになります。
にゆはか
行動に対し何かしらの対価を得ているということは
自由主義経済であろうとなかろうと関係ありません。
あなたの言う選択権という権利に対する義務が解雇規制なのです。
また、必要な労働に対し、正社員を雇うか派遣社員を雇うかは
解雇自由化となんの関連がありますか?
あなたの本音は
雇用規制のある正社員は雇いたくないが、
派遣社員を扱うブローカーには一銭たりとも払いたくない。
ではないですか?
にゆはかさん、こんばんは。
> 希望すればどこの会社にもいけるというのは、実は今も保証されている
> のですけれど、買うかどうかは会社に選択権があるのです。これは変わる
> ことはないです。
労働者は希望するかどうか、会社側は買うかどうか。
選択権は双方に持っていて保証されています。
契約解除だけ会社側に著しい規制が入るのはおかしいでしょう?
よろしければこちらも読んでください。
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/g1sys/2009/05/it-478f.html
> また、必要な労働に対し、正社員を雇うか派遣社員を雇うかは
> 解雇自由化となんの関連がありますか?
雇用契約というのは、特に問題がない限り会社側は定年まで雇い続け、労働者側は定年まで働き続けるという契約です。
私は基本的に長期雇用なら正社員にすべきと考えています。
派遣社員も必要だと考えています。
ただし、仕事量が一定でない仕事に対しての短期雇用であるべきです。
> 雇用規制のある正社員は雇いたくない
そりゃ、ないですよ。
ですから、極力、解雇の必要のない人を選ぼうとしますから、お互いになかなか決まりません。
> 派遣社員を扱うブローカーには一銭たりとも払いたくない。
フェアバリューなら支払いますよ。
言葉はあなたの心の裏返しです。
「なんだか今日いけそうな気がする~」って思う人はエロいことしか考えてないのです。
「経営者は解雇規制がなくなったらバンバンクビにする」と考える人は、自分が経営者になったらあいつもこいつも切ってやるって思っているし、「経営者は搾取するものだ」と考える人は、自分が経営者ならそうしてやると思っている。
あなたの心の発露です。
にゆはか
根本的に考えがちがうのでしょうか、
互いの主張は平行線ですね。
これを以て私からの書き込みは終了させて頂きます。
最後に一言
私は一経営者としての立場で読ませてもらい、意見を書き込みました。
にゆはかさん、おはようございます。
> 簡単に雇うという考え自体が間違っていると考えていないのですね。
>
> 会社と一労働者が解雇時のみ同じ条件になろうとする。
>
> 本当に不公平というならば
> 会社は自由に解雇できる
> 労働者は希望すればどこの会社でも働ける
> とすべきではないですか?
あなたの会社は希望すれば誰でも雇うのですね。
電話が鳴り止まないのじゃない?
あり得ないです。
にゆはか
最後にすると言っておいて、なんですが・・
解雇規制を無くせといっているのは、あなたであって私ではありません。
ちがいますか?
私は解雇規制は当然と思っています。
最終的に雇用を決定したのは会社です。
雇用するならば、その責任を果たすべきで、
責任をもてない雇用などするな
と言っているのです。
仮にも一組織の長とありたくば、
勝手に自分の都合のよいことだけを考えつき、
発言するクセを治されてはいかがですか?
> 本当に不公平というならば
> 会社は自由に解雇できる
> 労働者は希望すればどこの会社でも働ける
> とすべきではないですか?
応募に対応するのが採用。
退職に対応するのが解雇です。
本当に公平というならば、
「労働者は希望すればどこの会社でも働ける」
「会社は希望すれば誰でも雇える」
「労働者は希望すればいつでも辞めれる」
「会社は希望すればいつでも解雇できる」
ですね。
あり得ないですよね。
> 勝手に自分の都合のよいことだけを考えつき、
> 発言するクセを治されてはいかがですか?
いろんな考え方があるのでしょうけれど、何が私にだけ都合が良いのか分かりませんね。
解雇規制がなければ、もっと採用枠が増えるし、非正規雇用の問題もなくなって、もっと良い社会になると言っているのです。
私は解雇規制があっても困っていませんよ。
別に解雇したい社員はいないし、残念なことに、解雇規制がなくなったからといって、すぐさま採用できるほど経営は安定していません。
「解雇規制が当たり前」という固定観念が世の中を膠着させていると言ってるだけです。
ym
もう他の記事があるにもかかわらずコメント書いてみます。
自分は雇用の流動性は上がるべきだし、そのためには解雇規制というのはいらないとも思っています。
ただ実は日本には、そうなってしまうと重大な問題があって、普通の生活モデルが「給料が上がり続けることが前提」になっているということです。
結婚する。家を買う(ローンを組む)。子供ができる。子供が小中高大学と進学する。・・・という具合に普通に生活するためには給料が上がり続ける必要があります。そのために「終身雇用+定期昇給+解雇規制」なのだと思います。
だから、「雇用の流動性を上げろ」はいいのですが、「解雇規制をなくせ」では生活できない(すでにローン組んでたり、学費などの固定の出費があって生産性と同じ給与に下がるわけにはいかない)人がいっぱいいるのです。
正しくは、「20代の人も40代の人も同じ生活費で生活できるようにする」、そうすれば解雇規制なんかいらなくなります。欧米はそういう生活モデルなのでワークシェアリングなど雇用の流動性が高いことを前提にした制度が成り立つのです。
(日本だと、介護保険制度なんかサービス=給与なので、20代だろうが40代だろうが給料がほとんどあがりません。介護に人が集まらないのは、給料が上がることを前提とした生活モデルと乖離しているためだと思います。)
ymさん、こんばんは。
> 普通の生活モデルが「給料が上がり続けることが前提」になっているということです。
ある意味正しく、間違っています。
高度成長期を終えた経済成長率が鈍化した国では「給料が上がり続けることが前提」は維持できず、それを享受できる人を少なくし、既得権を持った人に配分するか、既得権を排除して努力した人に配分するかです。
一時の評価で既得権を永久に持ち、新規参入を退けることは良いとはいえませんね。努力した人に公平に配分するには解雇を自由化するべきなのです。
自分が解雇されると思う人は、労働対価より多くの報酬を得ていると実は感じているのではないかな。既得権を維持したい卑怯者でしかないです。
労働対価が不当な人は、解雇が自由化されたら、今、所属する会社で、評価されなくても次に行くところがあるはずです。労働対価にふさわしい仕事をしている人は、解雇が自由化されても何の心配もないはずです。
ym
どうも意図が伝わっていないような(?)
自分も労働市場は自由化されるべきだと言っているのですが(=労働対価はその人の生産性に対して適切な対価にすべき)。
ただ、現在の日本ではたとえば子供が生まれれば生活費が増える、こどもが小中高と進めばやはり生活費が増えてしまう。そういう状況では、労働対価が純粋にその生産性とイコールになってしまうと、結婚や子供をあきらめないといけない層(または、子供がいるために生活を維持できない)が出てきてしまうのが問題だと言いたいのです。
子供が生まれなければ、将来の納税者が減るなどし社会を維持できない。子供は親を選べない。そういうことを考えると、給与=労働の対価でいくのならばそのような社会的な支出とでも言うべきもの(子供の養育費とか)は社会が払うような社会でなければいけないと主張しているのです。
今回のリーマンショック(この呼び方は好きではないですが)のように、予測不可能というか労働生産性を上げればそれで万事OKというわけにはいかない、そもそも仕事がない・消費が冷え込んでしまって物を作ることに意味がない、そうなってしまうことまで考えだしたら、
純粋に労働対価が適正になってしまうと、(生活費が上がり続ける)子供を持ったりすることがほとんどの人ができなくなってしまうわけです。
だから、まずそれを解決することだと主張しているのであって解雇が自由化されて労働対価と仕事がイコールになってほしいと思っています。自分自身について言うと、現在社会人二年目ですが自分より能力がないと思われる先輩社員もいっぱいいると感じています(院卒なので年齢的なところもあるかもですが)。
その点怒りを覚えるわけですが、その怒りを向けるべきはどこか?その社員なのか?その社員に高い給料を払っている会社なのか?そのような会社を許す社会なのか?ということです。そして自分はそのような社会に対して怒っているのです。
ymさん、こんばんは。
今、人口ピラミッドはいびつになっているけれど、お金の問題で言えば老人しかお金を持ってない。若者に金を行き渡らせるには労働対価と適正にするべきです。
早い段階で高い報酬を得れるようになるから、子供は今よりも産み易くはなります。あとは歳を取っても報酬が維持できるように自分を磨くしかないですね。