SIerは衰退しました ―ようせいさんの、たいかんきょほうしゅぎ― episode 3
わたしは熱弁を続けます。
「そして歴史は彼らに、重要かつ最終的な役割を与えることになりました。硬直化したSIerを襲ったのは、2つの大きな『時代の変化』。戦艦の例での真珠湾やマレー沖に相当する、大きな時代の転機――これが2000年代後半に起きた、『リーマンショックによる不況』と、『Web2.0』や『Ruby on Rails』などに代表される『軽量開発手法による開発体制の縮小化(リストラクチャ)』です」
「この衝撃がもたらしたのは、顧客となる発注企業の、システム開発に対する考え方の急速な変化でした。世界的な大不況に伴い発生した不景気により、コストのかかる大規模開発は忌避され、軽量開発手法により安価で柔軟なシステム開発を可能とする、Web系企業へと発注先はシフトされていくことになりました。いわゆるSaaSやクラウドサービスの流行も、その流れを後押ししたと言ってよいかもしれません」
「この構図は、海戦の主力兵器が戦艦から空母や潜水艦へ移り変わったことと、非常によく似ていると思いませんか? そして変化に柔軟に対応できなかった帝国海軍と同様に、大企業たる『SIer』も変化に柔軟に対応することはできませんでした。これにより、図体だけが大きく高コストで柔軟性にかける『SIer』という組織は、その存在理由を大きく失ってしまったのです」
「個人的な見解を補足しますと、『SIer』の提唱した『ワンストップ・ソリューション』というドクトリンが、『システム開発の成否を分ける直接的かつ決定的な要因』にはならなかったことも、原因のひとつだったのではないかと思います。小規模短納期開発においては、SIerのオフショア開発のような形で練度不十分な人海戦術に挑むくらいなら、Web企業のように小数精鋭による遊撃戦を展開した方が失敗しにくいという、経験則があります。『SIerに頼めばシステム関係はすべて安心』には残念ながらならなかったという事実に、皆が気がつきはじめてしまったのかもしれません」
「若干話がそれましたね。まとめますと『SIerが衰退した原因』とは結局のところ、『時代の変化』そして『システム開発スタイルの変化』という『ドクトリンの変化』に対し、SIerがその組織的、構造的な硬直性により、柔軟に適応することができなかった――これこそが根本的な原因だと、わたしは考えます」
わたしは軽くせき払いしました。「ではなぜ、『SIer』は変化、適応することが難しかったのか? これはあくまで仮説の域を出ず、子細を説明することはしませんが、野中郁次郎らが『失敗の本質 ―日本軍の組織論的研究―(ダイヤモンド社、1984)』で指摘しているように、『SIer』という組織が旧日本軍と同様『環境に過度に適応』し、『組織原理と属人ネットワーク』に重きを置き、『かつての成功体験の忘却と経済的合理性の追求』ができなかったことによるのではないでしょうか?」
「もちろん『戦艦=SIer』の存在意義が、完全に消滅したわけではありません。ただ『空母や潜水艦=Web系企業やベンチャー企業』と比較した場合、どうしてもコストや運用の柔軟性といった点で優位性が保てなくなってしまった、というだけなのです。戦艦の例に戻るなら、米軍では対地支援目的での艦砲射撃について、一定の効果を認めていました。実に21世紀直前まで、戦艦は稼働可能状態にあったのです(例: アイオワ級アイオワ)」
「同様に、非常に大規模で金銭的余裕のある顧客企業(例: 大手金融システムなど)では、これまでどおりSIerを使い続けることにメリットがあると判断されることは充分にありえるでしょう。ですが、いまや『護送船団方式』が通じる時代ではないのです。一部の大規模開発を除いては、もはや『SIer』による大規模プロジェクト体制は、時代遅れの遺物にすぎません」
「それでは『現代の戦艦』である『SIer』がこの先生きのこるには、どうしたらよいのでしょうか? その疑問を歴史に紐解くことで導出した答え――、それこそが『イージス艦』に代表される『機能分化および独自化』です。艦隊における航空防衛に特化した軍艦(駆逐艦)であるイージス艦は、その独自性によって調達価格が高くとも、業界内で強い優位性を持つことに成功しました」
「同様にSIerも、大企業であるメリットを捨て、その強みを生かし特化した個別の企業として分割する――例えば、顧客のコンサルティングに特化するであるとか、オフショア開発管理に特化するであるとか、大規模プロジェクトのマネジメントに特化するであるとか――これこそが、この先『SIer』が生き残りうる、唯一の道なのではないでしょうか?」
「以上で、わたしの考察を終了とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました」軽く礼をして壇上をあとにしたわたしは、満足気に一息ついたところで、ふと、われに返りました。あらあらあら。また周りが見えなくなっていたようです。これはわたしの悪い癖でありまして、まことに反省することしかりです。
しかし、三つ子の魂百までといいますが、幼少期に培われた癖というものは、一朝一夕で直せるものではありません。やはり幼少期における教育がその後の人生に与える影響とは、実に大きくかつ重要なファクターであり、それゆえに幼児教育の重要性は今後さらなる研究と発展が――などと考えながら周りを見回したところ、そこには驚くべき光景が広がっていたのです!
「ぼくはせんそうがだいすきですー」「くりーく! くりーく! くりーく!」「ろんどんばしはうたのようにおとすです?」「いっしんふらんのだいせんそうをー」「まじょのおばあさんののろいなのです?」「しんでからやすめばいいのでは」「あのよではとばないのでせいびはいらんです?」「まわせーっ」「ぼくのおしりをなめろです?」
妖精さんたちが、なんか、とても濃ゆーく、なっておりました。
パステル水彩絵本から飛び出してきたような、純然たるメルヒェン空気をまとっていた妖精さん。それが今では、一等自営業閣下もかくやの、濃厚芳醇で暑苦しいことこの上ない劇画タッチ。あたりに流れているのは戦車突撃行進曲にワーグナーのオペラ、それにショスタコービッチとインターナショナルでしょうか。あ、そのネズミの行進曲、それだけはやめてくださいね本当に。石鹸靴下でおしおきしますよ。
あたりを見回しますと、揚陸艇の蓋が開いた瞬間バタバタと機関銃弾に倒れていくプレイに大興奮している(どえむな)妖精さんたちや、「にげるやつはぷろぐらまです? にげないやつはよくくんれんされたぷろぐらまです?」と叫ぶ妖精さんのヘリ(やはりUH-60なのでしょうか)がロケット擲弾発射器らしきものによってオートローテーション降下に入ったりしていました。年代も場所もぐちゃぐちゃ、簡潔にいうと地獄絵図です。
しまいには駆逐艦が空飛ぶパンジャンドラムめいたものに卓越した見越し射撃で対艦誘導弾を命中させたり、第5世代ステルス戦闘機が人型ロボットへとトランスフォームをはじめたり、キャットフードの缶で作られた謎のパワードスーツ(ヴィカスおじさんだいすき日本)が無双しはじめたあたりで、わたしはもはやすべてをあきらめざるをえませんでした。完全に脳みそが筋肉でできている感じ。
はぁ。わたしは本日何度目かになるため息をつきました。これは明らかに、わたしのミスです。これだけ『オトコノコゴコロ』をくすぐられまくってしまった妖精さんたちを鎮めるには、もはや『最後の手段』しかありません。
わたしは相互確証破壊における先制反応ミサイル攻撃を決意した大統領のような心持ちで、大きく息を吸い込みました。肺の中が大量の空気で満たされます。妖精さんたちがいっせいにこちらをふり向き、しばしの静寂。そして……
「イヤーッ!!!!!!」
「アイエエエエエ!!!!!」
あばーっ。妖精さんたちはわたしの突然の叫びに、一斉に失禁しました。妖精さんたちにはびっくりすると、丸まって身を守る習性があるのです。あたりには丸いカプセル状になった妖精さんたちが、オマハ海岸に打ち上げられた青魚のように、無残に転がっていました。
妖精さんたちが元の姿にもどるころには、なんとも都合よく、今までの出来事をすっかりと忘れてくれているはずです。わたしは慣れない大声に痛む喉をさすりつつ、あたりを片付けはじめました。これはまた、始末書めいた報告書コースですかね……憂うつきわまりありません。
そう。
わたしたちプログラマは、こうしてゆっくりと、衰退をつづけているのでした。
(おしまい)
参考: