孤独のエンジニアめしばな 第3めし「ラーメン」(後編)
Tさん「なるほど……そこで“ラーメン”となったわけですね」
Jさん「そうや。まあ実際は一刻も早く、腹になんか温かいものを入れたくて入れたくて、ただその一心で夜道を歩いてたんやけどな。そしたらふと、暗がりの中に『いかにも昔からやってます』的な中華料理屋のノレンが、ポツリと浮かびあがってきたんや」
Iさん「なかなかリスキーな雰囲気ですね……」
Jさん「わてもそう思ったわ。だが空腹には勝てん。ガラガラと盛大な音を立てて引き戸をくぐると、そこにはいかにもな感じの中年夫婦がカウンターの中にいる他、2人の客がポツンといるくらいやった。わては反射的に『ハズレを引いたな』と思ったわ」
Tさん「ありますね……」
Jさん「ふらつきながらカウンターの一番端の席に座ると同時に、おばちゃんが水を持ってきてくれた。わてはとにかく腹が減っていた……というより減りすぎていてな。正直メニューを見る気力すらないような状態やった。だが、中華の定番の定食系や炒め物系は腹が減りすぎていて、コンディションとして厳しい。まずは軽めの温かい汁物をストンと入れたいところやった。となると――わては胃の底からしぼり出すようにして、『ラーメン1つ』と注文した」
Jさんは軽く首を振りながらつづけた。
Jさん「それからの記憶が正直ないんや。おそらく徹夜明けみたいな感じでぼーっとしとったんやろうな。我に返ったのは、おっちゃんの店中に響く低い『ラーメン、一丁』の声と同時に、目の前に置かれた赤い雷文模様の器やった」
Jさん「それは薄い醤油色のスープに黄色い麺の、本当にいかにもって感じの、何の変哲もないテンプレ通りの“ラーメン”やった。ご丁寧に海苔とメンマ、ナルトまで乗ってたな、たしか。わては一瞬タイムスリップしたような感じすら覚えたんやが、立ちのぼる鶏ガラスープの匂いに吸い寄せられるように、添えられたレンゲを手にした」
Jさん「スープをすくうと、透明感のあるスープの表面には、うっすらと油が浮いてるんや。そんで白ネギの破片がこう、パラパラと浮かんで光を反射しててな。ある種の美しさすら感じたわ。わてはレンゲにゆっくりと口をつけ、スープを口の中に入れた……」
TさんとIさん、そして竹金までもがゴクリと喉を鳴らす。
Iさん「……カラカラに乾いていた口の中の細胞が、植木に水をやるように、一瞬でラーメンのスープを吸収していくんや。そして暖かな汁がゆっくりと喉から食道に抜け、胃にやさしく染み渡る……まさに体の芯から温めてくれるような感覚や。『生き返る』とは、まさにこのことやなと思ったわ」
息を吐くTさんに続き、聞いている3人も思わず息を吐いた。
Jさん「あとは貪るように麺をすすり、チャーシューにかぶりつき、スープを最後の一滴まで飲み干した。あれはうまいとか充実しているとか、そういう言葉では言い表わせんな。『一口ごとに体中にエネルギーを満たしていく』、まさにそんな感じやった。そして最後に、コップの中の水をグーッと一気に流し込んだんや。そのうまいこと、うまいこと!! 」
Iさんが恋に恋する少女にも似た表情で頷いた。
Iさん「ええ。ラーメンの後の水は、もはやラーメンの一部と言っていいくらいうまい」
Jさん「そうや! そんでわては、障害対応のプレッシャーとIDCの寒さ、そして空腹のストレスからも解放されて、今までになく満ちたりた気持ちで店を出たんや。あんとき食ったラーメンの味は、未だに忘れられんわ……」
Iさん「なるほど……そういうことだったんですか……」
Tさん「『難しい仕事をやり終えた後のめし』、たしかにエンジニアとして、これ以上に『うまいめし』というのはないでしょうね……」
Jさん「まあ、そういうことやな。『仕事してれば、つらいことや嫌なことは、ぎょーさんある。だがそういうときこそ、うまいものを食え』。これがわいの持論や」
Iさん「ええ、同感です」
Tさん「うまいものをうまく食べられてこそ、幸せな『エンジニアライフ』というわけですね」
Jさん「そやな! こりゃあうまい話だけに、うまくまとめられたわ!! (パァン)」
竹武「ハイ。Jさんも有意義なお話、ありがとうございます。それでは本日のお話はこのあたりでお開きということで。本日は非常に有益なお話、本当にありがとうございました」
Tさん「いえいえ、俺たちは『めし』の話をした、ただそれだけですよ」
Iさん「ええ。むしろこのような場を用意していただいたことを、逆に感謝したいくらいですね」
Jさん「そやな! これも何かの縁や。早速この後、呑みに行こうやないか!! 」
Iさん「あっ、すみません。私ぜんぜん飲めないんですよ」
Jさん「かまへんかまへん! 飲めへんならその分だけ、めしを食えばええねん! 」
Tさん「その通りですよ。この辺りにいい雰囲気の店があるんです。そこがまた、飯も酒も、安くて旨い!! 」
Iさん「そういう話なら、遠慮する理由はないですね。がっつり行かせてもらいます」
Jさん「そやそや!! 今日は食い倒すで!! 」
竹金「フフフ……皆さん楽しそうで、本当に何よりです。本来なら私もご一緒できたらよかったのですが、まだ仕事がありまして……」
Tさん「それは残念ですね……」
Jさん「せっかくの綺麗所なのになあ……もったいないわー」
Iさん「まあ我々は『花よりめし』ということで」
竹金「クスクス……折があればまた是非ともお誘いください」
席を立つ3人。会議室から出ていく3人と並んで歩く竹金の脳裏に、あと、かすかな疑問が浮かんだ。
竹金「……あ、そういえば最後に1つ、質問してもよろしいですか? 」
Tさん「なんでしょう? 」
Jさん「スリーサイズ以外なら、なんでも答えるで」
Iさん「スリーサイズわかるんですか。すごいなあ」
Jさん「ボケに決まっとるがな! (スパーン)」
竹金「逆に『これだけはやってはならない』という、『禁断のエンジニアめし』なんてのもあります? なんて……」
Tさん「……これだけは……」
Jさん「……やってはならない……」
Iさん「……『禁断のめし』……」
3人の足がピタリと止まる。今までの朗らかな雰囲気が嘘のように、沈黙が廊下を支配した。一転した空気に思わず狼狽する竹金。しばしの間をおくと、3人は声を揃え、搾り出すようにその言葉を口にした……
3人「「「……『職場めし』……!! 」」」
竹金「えっ?! 」
参考文献: 極道めし