命に触れた新人時代
この時期、毎年おなじみである新人のネーミング。
今年の新入社員は「エコバッグ型」というそうです。ちなみに、わたしが新社会人になった時のネーミングは「浄水器型」でした。
「浄水器型」:取り付け不十分だと臭くてまずいが、うまくいけば必需品。
果たして自分は取り付け不十分なままなのか、それとも少しでも必需品となれているのか。いまだに分かりません……(笑)
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理系一本できたわたしは、医療技術職で社会人のスタートを切りました。
主に医療機器のメンテナンスと、病院が新規で医療機器を購入した際の設置および導入が主な仕事でした。
その当時も今と同じく、即戦力が求められている状況だったので、入社してからじっくりということではなく、入社前にアルバイトとして実務経験を積み、入社後に即現場(主に病院)という流れでした。
アルバイトで経験したおかげで、一通りできるようになり、少しの自信を抱いて入社。しかし、入社後に行われた2週間の山籠もり研修が終わり、それから間もなくして、こう言われてしまいました。
「SHiN.君は、適正で営業が向いているという結果が出たから、営業ね(笑)」
悪魔のプレゼントというのでしょうか。無理矢理、3年2カ月以上の過酷な営業へ。
なぜ過酷なのか。病院は、24時間365日だからです。
緊急オペの場合は、夜中の2時であろうが救急車並に出動し、ドクターの指示やオペの状況を即把握し、ベストな消耗品と医療機器のチョイスとセッティングに加えて、機器のオペレーションをしなくてはなりません。
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しかし、もともと技術に深く携わりたいという志向が強かったので、セールスエンジニアを目指そうと頑張りました。営業で医療商品を売りつつ、医療機器全般のメンテナンスやソリューションができるよう各診療科を回り、機器の調子はどうか、不具合は起きていないかなどを聞き出しました。時にはメンテナンスやDOSの黒画面を見ながら設定を調整するなど、できるだけ技術に触れるよう、環境を作っていきました。
数年経ったころ、院内システムというキーワードが出てきました。新社会人として入った会社で、3年が経とうとしたころだったと思います。
もちろん、ちゃんと確立していたシステムではない上に、モデリングも概念に近いアバウトなもので、システムダウンが起こった際のトラブルシューティングも導入実績が少ないためにあまりなく、かつオペレーションと保守運用で、常に病院にほぼ常駐していなければならないというリスクの高いものでした。
3月の官報で、保険点数の改定が行われた後だったでしょうか。予算の折り合いがついたので院内システムを導入したい、という病院から連絡がありました。
導入の大変さも、人的リソースの導入も相当であり、1人あたりの作業負担もかなり大きかったのを覚えています。
また、その時はC言語だったのですが、プログラムにおいてはBASICやFortranしかやったことがなかったために、無理やりプログラミングした記憶があります。
営業なので売り上げを上げなくてはならない一方で、院内システムの導入で大半の時間を費やさなくてはならない、という状況が続き、そのおかげで病院へ泊まり込み。寝ようとしても、システムのトラブルですぐ現場。
当時は院内システム自体、病院の看護スタッフにおいても画期的なものであったがために、オペレーションの説明にもかなりの時間を費やしました。
そして気付いたら、心も体も消耗しきっていました。
幸い病気にはなりませんでしたが、たまった有給休暇で体を休めました。その後、院内システムからは離れ、担当病院のME(Medical Engineer:臨床工学技士)として少しずつ仕事を再開しました。
そんな最中、心を引き裂かれそうなショックな出来事がありました。
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ある日、病院から1本の電話。
「自殺をはかった女性が運び込まれたので、至急体外循環治療の準備を!」
消耗品と機器をすぐにセットアップして、ポンプで陰圧をかけ、体外に濁った血液を引っ張って浄化する治療を行いました。
濁った血液を体外で浄化し、炎症を起こした臓器を正常に戻すための処方を行うことで、正常な状態に戻す治療です。
しかし、全力で取り組んだ治療も空しく、ステージが進み(状態が段階的に悪化し)、明方4時3分ごろ、息を引き取りました。
新入社員として入社した会社に入り、5年目の出来事でした。彼女は治療で横たわり、とめどなく流れる涙で、確かにこう言ってました。
「ごめんなさい」、そして「ありがとう」と……。
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助けたかった……。
自分はどうなってもいい。全力で助けたかった。
彼女が行ったことは、いけないことだったのかもしれません。でも、確かに感じたんです。「生きたい」という意思を。
だから、全力でそれに応えたかったんです。
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社会人になって15年。
情報のインフラは飛躍的に発展し、IT(情報技術)により、情報化社会と言われる時代となりました。
わたしの新人時代を振り返ると、目まぐるしく、凄まじく、クリティカルな出来事が多かった気がします。
改めて思うことがあります。今、ここにあるITは、必然ではないかということです。
なぜならば、ITは「人のために」という意思が形になったものであり、間違いなく人をつなぐインフラそのものだからです。
そして、それを実現しようというエンジニアの中にも、その思いの中心に「人のために」というものがあるからだと思います。
もしもあの時、今のようなITのインフラがあったならば、救うべき命を救えたかもな、と思いました。
辛い思い出ではありますが、わたしの新人時代において、決して忘れてはならない、一番大切な出来事でもありました。
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きっと、こうやって自分自身がITの中で何かをしようとしていることは、新人時代に経験したこと、人や人の命との触れ合いがあったからです。
「ありがとう」と言ってくれた人のために、これからも前に進んでいきたいと思っています。まだ少し冷たい風が吹く、4月のある晴れた日のコラムでした。