【書評】エンジニアとして生きていく――「レッドビーシュリンプの憂鬱」に寄せて
月曜日といえば「月曜日のたわわ」......もいいですが、エンジニアライフの読者ならリーベルGさんの小説も気になるところではないでしょうか。
そんなエンジニアライフの"月曜日よりの使者"(Dahlia*が勝手に命名)ことリーベルGさんが過去に連載されていた小説「罪と罰」が「レッドビーシュリンプの憂鬱」というタイトルに改題され、なんと! 物理書籍として発売されることになったそうです!!
その書評を書かせていただく機会を頂きましたので、今の私の立場からこの作品を読んだときに思ったことを素直に書いていこうと思います。
■エンジニアって、なんだろう。
これから書く内容はエンジニアに限った話ではないというのは、別の部署にいる方々の姿を見ていてよく分かっている、というのを先にお伝えしておきます。勘違いされてもイヤなので。
エンジニアという仕事は、常に勉強を重ね、知識のアップデートをしていかないとなかなかやっていけない仕事である、というのが私の考えです。そして、常にそのようなことができなければ、悲しいくらいに置いてけぼりを食らってしまうんだろうなあ、正直それはイヤだなあ、とも思っています。
もちろん、年齢的な都合や自分自身や家族のライフイベントによって、出来なくなってしまうことはあるでしょう。けれど、それでも「エンジニアとして生きていく」と決めてしまった以上は、出来る範囲でアップデートをしていく必要があるだろうという認識でいます。
さらにいえば、それを他人に押しつける気はありません。私が知らないだけで、そういうことをしなくたってエンジニアとして生きていく方法はあるのかもしれませんし。
けれど、思うんです。
エンジニアって、技術だけで食っていく仕事なのかなあって。
エンジニアに求められる仕事の多くは技術に関わるものです。そうでなければわざわざエンジニアを雇う理由なんてないでしょう。
けれど、技術だけあればいいかといわれると、そうでもないんじゃ......というのが正直なところです。
エンジニアである以上、技術ファーストであるべき。そんなことを五十嵐さんもいっていました。それは私も否定しません。それを期待されているがゆえに、エンジニアとして雇ってもらっているわけですから。
けれど、働いてみて分かりました。技術だけでは食っていけないと。
私たちが作り出した製品を売りに行ったり、使ったりするのは必ずしもエンジニアではありません。
そんな彼らにエンジニアのわがままを付き合わせるのは、ちょっと違うんじゃないかなあと思うんです。彼らの言い分とエンジニアの考えをうまいこと折り合わせなければならない場面も存在します。
エンジニアである以上、技術ファーストであるべき。けれどそれだけではどうしようもならないことがある。
それが、私がイニシアティブや五十嵐さんの考えと完全にシンクロ出来ないなあと思った、最大の理由かもしれません。
■チームって、なんだろう。
五十嵐さんがやってきて、チームが大きく変わりました。
五十嵐さんの新しいプロジェクトにアサインされた人、そうでない人。
エンジニアとして成長した人、現状維持を望んだ人、仕事を失ったり、会社を辞めた人。
この結果を見るに、まさに五十嵐さんは「嵐」と言うしかないようなことをやってのけてしまいました。
そんな激しい流れの中で箕輪さんがチームリーダーに抜擢され、チームを動かしていく姿を見て、「チームってなんなんだ」と思ってしまいました。
初めの箕輪さんは良くも悪くも「触らぬ神に祟りなし」といった感じに動きをしていきますが、だんだんそうではなくなっていきます。
さまざまな人がいるチームをどう率いていくのか、自分が箕輪さんだったらどんな動きをするか、考えても考えても結論がでません。
けれど、箕輪さんは五十嵐さんがぶっ壊した様々な物事を、上手に直すためにチームを率いることができているんだろうなあ、と思います。
いまは人に指示される側のエンジニアではありますが、いつか人に指示を与えるエンジニアになったとき、彼女のようになれたら、と思います。
■わたしって、エンジニアなのか?
タイトルに「エンジニアとして生きていく」と書いておきながらなんだといわれそうですが、読了後に真っ先に思ったことはこれだったりします。
私はエンジニアという仕事でご飯を食べています。
けれど、五十嵐さんに「お前は無能だ」といわれても仕方ないかなあ、と思えるところがあります。
確かにIT技術は好きだし、たくさんのすごいエンジニアを見て私もこうならなきゃ! と思っています。そのために勉強していないわけではありません。けれど、それ以外にもやりたいことはたくさんあるし、場合によっては技術の勉強が後手後手に回ることだってあります。そしてきっと、あの言い方から察するに、五十嵐さんはそれをよしとしないのだろうなあと。
無能と言われたとしても、それでもやっぱり私はエンジニアとして生きていきたいなあ、と思ってしまいます。
■それでも、エンジニアとして生きていく
この作品にはさまざまなエンジニアが出てきます。その中にはこれからどうするんだろう、という人だっています。
これから私がエンジニアとして生きていく中で、こういう風になりたい、と思った登場人物もいれば、そうでない人もいます。
五十嵐さんの発言で正直激しくヘコむこともありました。モヤモヤすることもありました。
それでも私はエンジニアとして生きていこう。
エンジニアとして生きていれば、このモヤモヤへの答が、見いだせるかもしれないから。
そんなことを思う一冊でした。
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