注文の多いクライアント
二人の若い紳士が、パリッとするスーツを着こなしぴかぴかする高そうな時計をつけて、犬のように忠順な少し年のいったエンジニアを二人ひきつれて、都内から少し離れた
山奥の、データセンターのあるような郊外を、こんなことを言いながら、歩いておりました。
「いったいぜんたい、ここらの企業はけしからんね。弊社のITサービスをまともに聞いてくれるところが全くない。何でも構わないから、早くクラウド化や見えるログ化などITソリューションの提案とやらをやって見たいもんだなあ。」
「書類の決算に未だに手書きの文字を書いているところをIT化することが出来ればずいぶん痛快だろうねえ。一昔前のデータベースを未だに使っているところをリプレイスだのコスト削減だの言って採用されれば弊社も利益が出るわけだ」
それはだいぶの山奥でした。良い案件があると案内してきたこの業界が長い営業も、ちょっとまごついて、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。それに、あんまり(仕事の)山が物凄いので、二人の連れていた犬のような忠実なエンジニアが、二人いっしょにめまいを起こして、それから泡を吐いて死んでしまいました。
「じつに僕は、月単価100万の損害だ」と一人の営業が、そのエンジニアのメガネを、ちょっとかえしてみて言いました。
「僕は月単価120万円の損害だ。彼は月の稼働時間が300時間を越えても嫌な顔一つしないで働くいいエンジニアだったのに」と、もう一人の太っちょのプロジェクトマネージャーが、くやしそうに、あたまをまげて言いました。
はじめのコンサルタント兼営業は、すこし顔色を悪くして、じっと、もひとりのプロジェクトマネージャの、顔つきを見ながら云いました。
「ぼくはもう弊社に戻ろうとおもう。」
「そうだな、ぼくもちょうど他の案件に戻ろうとおもう。」
「そいじゃ、これで切りあげよう。なあに社長には今までシステムを納入したクライアントに追加の機能はいりませんかと提案型営業をしていたと言って帰ればいい。」
「一応話は聞いてくれたからねえ。そうすれば結局同じこった。では帰ろうじゃないか」
ところが長い長い不況に見舞われたせいか、次の案件がなかなか見つからずついに2人は疲れ果ててしまいました。
不景気の風がどっとIT業界にまで吹いてきて、PGはざわざわ、SEはかさかさ、コードしか書けないエンジニアはごとんごとんと不協和音を鳴らしています。
「どうもアポが取れない。今まで取引があったところに電話をかけるのも疲れてきた」
「ぼくもそうだ。もうあんまり次のプロジェクトを探し回りたくないな。」
二人の紳士は、ざわざわ鳴るオフィス街の中で、こんなことを云いました。
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りのビルがありました。
そして玄関には
MEGA BANK
山猫銀行
AOZORA SOUKEN
という札がでていました。
「君、ちょうどいい。ここには以前アポイントを入れていてリスケをして今度詳しく話そうと言っていたところだ。入ろうじゃないか」
「おや、こんなとこにあったのか。しかしとにかく何か仕事の話ができるんだろう」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか」
「入ろうじゃないか。ぼくはもう何か仕事をしたくて仕方ないだ。」
二人は玄関に立ちました。玄関は白い瀬戸のレンガで組んで、実に立派なもんです。
そしてこの案件の総研と名乗るピカピカしたスーツを着た担当がたって話をしました。
「IT業界の関係者様。お入りください。一次請け二次請け決してご遠慮はありません」
二人はそこで、ひどくよろこんで言いました。
「こいつはどうだ、やっぱり世の中はうまくできてるねえ、きょう一日難儀したけれど、こんどはこんないいこともある。ここのクライアントは請負を気にせず仕事をくれるようだ。」
「どうもそうらしい。決してご遠慮はありませんというのはその意味だ。」
二人は、なかへ入りました。そこはすぐ廊下になっていました。先ほど会話をした担当と違う人が立ってこう話しました。
「ことに経験豊富なプロジェクトマネージャやコンサルティングができる方は、大歓迎いたします」
二人は大歓迎というので、もう大よろこびです。
「君、ぼくらは大歓迎にあたっているのだ。」
「ぼくらは営業とコンサルティングの両方兼ねてるから当然だろう」
ずんずん廊下を進んで行きますと、こんどは青色の銀行だと違う担当者から話がありました。
「どうも変なクライアントだ。どうしてこんなにたくさん担当者がいるのだろう。」
「恐らく金融系の案件だろう。最近は統合合併が多いから社内の政治的な問題で担当者がコロコロ変わるんだよ。」したり顔で営業はそう話しました。
そして二人はまた別の担当と会ったらこんなことを言われました。
「当案件は注文の多いクライアントですからどうかそこはご承知ください」
「なかなか流行ってるんだ。こんな山の中で。」
「それあそうだ。見たまえ、東京の大きな銀行だって大通りにはすくないだろう」
二人は云いながら、その担当から説明を受けました
「注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえて下さい。」
「これはぜんたいどういうんだ。」ひとりのプロジェクトマネージャは顔をしかめました。
「うん、これはきっと注文があまり多くて支度したくが手間取るけれどもごめん下さいと斯こういうことだ。」
「そうだろう。早くどこか室の中にはいりたいもんだな。」
「そしてテーブルに座りたいもんだな。」
ところがどうもうるさいことは、またも違う担当者が来ました。
「SIer様がた、ここで要件定義をきちんとして、それからは詳細設計をしてください。」
と説明されました。
「これはどうも尤っともだ。僕もさっき玄関で、炎上案件だとおもって見くびったんだよ」
「作法の厳しい業界だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ。進捗を含めこまめに報告する必要があるな」
そこで二人は、夜通しあーだこうだと要件定義をしました。
そしたら、どうです。報告書をメールで送るや否や、そいつがぼうっとかすんで無くなってしまいました。
二人はびっくりして、互いによりそって、扉をがたんと開けて、次の担当者と話をすることにしました。早く上流工程の管理でもしないとこの案件はとんでもないものになると二人とも思ったのでした。
新しい担当と会ったら今度はこのようなことを言われました。
「作業に必要な人数と工期をここへ知らせてください。」
「なるほど、予算と人単価についてきっちり話し合う必要はあるんだな。」
「いや、よほどここの案件の偉いひとが始終来ているんだ。納期をしっかり知りたがっているのだろう」
二人は下請けの人数、工期に必要な日程をエクセルで作成し送信しました。
また新しい担当が来ました。
「どうか作業に必要な手順書をPDFで送信してください。」
「どうだ、送るか。」
「仕方ない、送ろう。たしかによっぽど重大なフレームワークなんだな。作業の手順書までほしがるとは」
二人は徹夜をして、作業の要件定義、スケジュール、リプレイスに必要なOSを調査し、移行作業に必要な作業を作りだしました。
その中、またまた全然違う担当が出てきて「わたしが新しい担当です」と紹介されました。
「この案件にかかる予算は以下のとおりで、作業をおこなってください。」
みると相場の倍はあるほどの予算でした。
「さすが金融系の案件だ。他とは段違いの予算があるんだな」
「これはね、下請けを大量に使っていいということだ。パートナー会社と銘打ってる下請けのBPでとにかく人を集めよう。何、専門を出たばかりの新卒をコーディングのプロだと盛って突っ込めばいい」
二人はこの案件から提示された予算を使ってあちこちから人を集めました。
それから二人ともめいめいこっそりクライアントの提案した単価の1割を喰べました。
それから大急ぎでチームを取りまとめますと、新しく来た担当から契約書を交わしました。
「案件の内容はよく読みましたか。それでは期限までに作業をお願いします。」
と説明されて、読むとちいさな字が契約書の裏にまでびっしり書いてありました。
「そうそう、ぼくはこの契約書の裏側まできちんと読んでいなかった。どうも文字が小さくて全部読みにくい。金融のところだからか納期は絶対のようだ」
「ああ、細かいとこまでよく気がつくよ。ところでぼくはもう詳細設計を開始したいんだが、こうもクライアントの注文が多いと開始するのに時間がかかるね」
するとまたも違う担当から連絡がありました。
「案件の作業はすぐに始めてください。」
そしていざ開発に取り掛かるとの前にはとても古いバージョンのコードとOSがありました。
「.NET2.0なんかまだ使っているんだな」
「このスパゲッティコードは下請けが風邪でも引いてまちがえて入れたんだろう。流動性預金(富士通) COBOLで構築 ・処理フロー制御等の共通基盤(日本IBM) あちこちの会社が入り混ざってるからかまるでキメラのようなシステムだ。」
二人は徹夜に徹夜を重ねて要件定義から詳細設計に落とし込んで派遣の人たちをあちこちから呼び終電を何度も逃すほど精力的に移行作業を始めました。
すると納期に差し迫ってきた時期にまた新たな担当が来ました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか今までの要件定義で決めた内容をもう1度1から作り直してください。開発環境は今までのものを使えばできるでしょう。納期、費用、サービスインについては最初にお話したものとおりです。」なるほどクライアントの立派な要望書は置いてありましたが、これまで決めたスケジュールや手順、工期、テスト工程を1からやり直して納期は変わらないということです。
今度というこんどは二人ともぎょっとしてお互い目の下にクマが消えない顔を見合せました。
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
「要件定義の修正ってあるけれど内容を見ると今までやったことが全部無駄になってしまうよ。」
「だからさ、これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらはもう一度1から設計をしなおす……。」
がたがたがたがた、ふるえだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、ぼくらはまた徹夜を、……うわあ。」がたがたがたがたふるえだして、ものが言えませんでした。
「にげ……。」
がたがたしながら太っちょのプロジェクトマネージャはうしろの開発ルームのドアをセキュリティカードを使って押そうとしましたが、
どうです、セキュリティが変えられたからか戸はもう一分も動きませんでした。
するとどこから来たのかまた新しい担当がやって来ました。もう何枚名刺をもらったか数えきれません。
「いや、今までご苦労です。大へん結構にできました。ですが、上層部は最初に約束したものと全然違うものが来たとカンカンです。優秀なあなたがたなら今度こそはクライアントの要求するシステムを開発できるでしょう」と契約書をちらつかせてきました。
書いてある文面を見ると損害賠償などの文字が書かれています。桁が今までの業界より2つほど違うくらいの金額です。
「うわあ。」がたがたがたがた。
「うわあ。」がたがたがたがた。
ふたりは泣き出しました。
すると新しく来た担当の間では、こそこそこんなことを云っています。
「だめだよ。もう気がついたよ。この案件から逃げ出すつもりだ。」
「あたりまえさ。上層部の言い方がまずいんだ。不具合が発生した時に責任取れるのかなんて間抜たことを言ったもんだ。」
「どっちでもいいよ。どうせぼくらには、残業代も分けてくれやしないんだ。」
「それはそうだ。けれどももしあいつらがこの案件から逃げ出したら、それはぼくらの責任だぜ。」
「呼ぼうか、呼ぼう。おい、SIerさん方、早くコードレビューをしてください。リファクタリングしてください。テスト工程をしてください。あとはあなたがたと、他のSIerと作業をさせて、システムの統合をするだけです。はやくサービスインしましょう。」
二人はあんまり青いカラーに染まったからか、顔がまるで宇宙戦艦ヤマトに出てくるガミラス星のようになり、お互にその顔を見合せ、ぶるぶるふるえ、声もなく泣きました。
担当者たちはふっふっとわらってまた叫んでいます。
二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。
そのときうしろからいきなり、
「システム監査のものだ」という声がして、犬のように忠順なエンジニアが2人、黒服をきた人を大量に連れてきて扉を開け室の中に飛び込んできました。
するとこの案件はけむりのように消え、二人はぶるぶるふるえて、オフィス街の中に立っていました。
見ると、綺麗だった上着や靴や財布やネクタイピンは、残業続きでまともに替えることができなかったからか薄汚く汚れていまいました。
チームは解散し年のいったエンジニアも戻ってきました。そしてうしろからは、
「旦那だんなあ、旦那あ、」と叫ぶものがあります。
二人は俄に元気がついて
「おおい、おおい、ここだぞ、早く来い。」と叫びました。
この業界歴が長い営業がやってきました。
そこで二人はやっと安心しました。
そして営業のもってきた炎上しない単価の安い案件に取り掛かることにして東京に帰りました。
しかし、さっき一ぺんガミラス星人のようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、
故郷に戻っても、もうもとのとおりになおりませんでした。
これからこの業界で生き残れるのか
コメント
レモンT
お見事(^^;;
賢治はヴ・ナロードな人なので作品をこういう風に使うのはまあ間違いではないですしねぇ。
次は是非ポラーノの広場をネタに(無茶言うな(笑))。
MM
これの元ネタは宮沢賢治の「注文の多い料理店」。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43754_17659.html
ボクもたまたま読んで知ってたんだけど、独特のことばづかいと物語のシュールな展開がおもしろいです。
T.T
初めまして
面白く読ませていただきました。
秀逸ですよ(^^)