細々と働くエンジニアが、細々と何かを書いていきます。

大地震発生……今、自分がすべきことを考えてみた

»

 「東北地方太平洋沖地震」と名づけられた、先日の地震。

 僕は、半年の派遣生活を終え、神奈川の自社で内勤していました。ビルの8階。今までに経験したことのない強い揺れが、しかも1分以上続き、「東海地震が発生してしまったのか」とさえ思ってしまいました。

 その後、ビルの館内放送で避難指示が出たため、近くの公園へ社員の方々と避難しました。しばらく公園にいたあと自社へ戻りましたが、強い余震が続くためビルの8階では仕事にならず、早退することにしました。幸い、自社からでしたら電車で1駅だけなので、徒歩で1時間以上かけての帰宅となりました。

 しかし、家は停電していました。アパートだけでなく、周辺近所が広範囲に渡って停電となっていたようです。暫く自宅の中でじっとしていましたが、2時間ほどで復旧しました。一人暮らしということもあり、電気がないというだけで、恐怖と寂しさを強く感じてしまいました。

 今まで、本当に何不自由なく生活できていたんだな、と痛感しました。

 ここで思い出すのは、自分が中学のとき。95年、阪神大震災が起こったときです。あの頃の自分は中学生で尚かつ知人が被災地にいないというのもあってか、対岸の火事のような気持ちでした。日本国内で大変なことが起きているというのは事実としてわかるものの、テレビを見ていても、自分の国内での出来事とは到底思えないような子供でした。

 その意識が変わったのは、2004年の中越地震の頃からです。テレビで見る悲惨な光景。中学生の頃は対岸の火事だった僕もこの頃は「家にも帰れず、ご飯も食べられない人がいる。なのに僕は家でのんびり過ごしているし、ご飯も好きなだけ食べている。本当にこれでいいのだろうか」といった罪悪感に苛まれるようになりました。

 そのようなことを当時、あるサイトに書き込んだところ、「それを考え始めるとキリがなくなるから、止めた方が良い。自分は自分の生活を送るべきだ」という指摘を頂きました。考えてみればそうで、今回の被害で国内に目を向けていますが、世界レベルで見れば貧困で苦しむ人たちもいるわけで。不謹慎なのは承知していますが、キリがなくなります。

 では、災害や貧困で苦しむ人たちがいる中で、自分は何をすべきなのか。

 「自分だけこんな贅沢はいけない」と思い、自分も外で暮らしてみたり、絶食を続けたりするべきなのでしょうか。そんなはずはないと思うんです。話を発展させたら、「今回の災害で死者が多数いる。自分はのほほんと生きていていいのか」と思って自殺する、なんていうレベルになりますし。

 「自分も被災地の方々のために何かしたい!」と思い、仕事を投げ捨てて現地へ向かってボランティアすればいいのでしょうか。もちろん、ボランティアは大変すばらしいことですが、場合によっては足手まといになるという話もあります。被災地の受け入れ態勢ができていないと、結局なにもできない上に、被災者のために用意された食料や水を飲食してしまうことにもなるとのことです。そもそも、仕事を投げ捨てることの是非もありますし。

 では、今のようなときに、1人の人間もしくはエンジニアとして何をすべきか、いろいろと考えた結果、ひとつの結論に達しました。

 「今の仕事を精一杯はたらき、社会に貢献する」

 社会貢献です。それは、現地でのボランティア活動を指すものではなく、昨日までやってきた仕事のことです。お客様もいます。仲間もいます。その方々と一緒になって何かを作り上げる。それも「社会貢献」だと思います。

 人は社会貢献のために仕事をしていると思うんです。いつもどおり、ないし更に努力して仕事を行い、お客様を満足させることで、社会へ貢献する。被災しなかった人のミッションは、被災者に対して何かすることばかりではなく、今の仕事を精一杯やることだと思いました。(もちろん、募金などのリモートから出来ることを行うのも大切です。それを行いつつも、今のお客様や仲間、そして社会に貢献することが大事だと思います。)

☆★☆

 以下には、それ以外に12日と13日の土日に思ったこと(今後すべきこと)を書いていきます。主にメンタル面での注意点です。

■テレビやネットでの情報収集は必要、しかし、収集しすぎない

 各局では地震に関する最新情報や現地の情報、私たちの生活に関わる情報(電気等)について報道されています。ずっとテレビをつけていた方も多いかと思われます。また、ネットでも各情報が速報され、Twitterなどのソーシャルサイトでは沢山の情報が流れてきます。

 そういった情報を逐次追うというのも大事ですが、テレビの見すぎ、ネットのやりすぎは非常によくないと感じました。心が辛くなるような話題ばかりですから、たとえ自分の家族や知人が被災した地域にいなかったとしても、そういうのばかり見聞きしていると気持ちがおかしくなってきます。僕自身がそうで、この土日で何度もおかしくなりかけました^^;(実際、僕はこの土日、Twitterで変なことを書きまくっていましたし……)。

 過度に、テレビを観ない、ネットもしないということはメンタル面からも大事だと思います。

■誰かと話す

 上記と重なる部分がありますが、強い余震があると恐いから家にいる。けど、家は1人暮らしで、1人でテレビやネットで情報収集をし続ける。こうやっていることで、気持ちがおかしくなっていきました。そんな中、美容院で髪を切る予約を土曜の夕方にしていたので、外に出て美容院へ行きました。美容師さんに髪を切ってもらいつつ雑談をしましたが、それで気持ちが凄く楽になりました。話題は前の日の地震や停電についてではありましたが、話題が何であれ、誰かと話すことは気分転換に非常に良いと感じました。実家の父と電話したときもそうでした。「話すこと」が大事だと思います。チャットやメールよりも。

■可能であれば、外に出る

 家の中で(ニュースを見る)、というのも良くないかもしれません。まだ余震が怖い段階ではありますが、気持ちよく晴れている天気であれば、外を散歩して気分転換、というのも必要かと。僕は日曜のお昼に近所の公園へ行き、ベンチに座ってCCNAの本を読んで勉強していました(今の自分のミッションとして、仕事以外にも、シスコ様の協力の下、勉強してCCNAに関するコラムを書きつつ合格を目指すというものがあるので)。

■笑えること、楽しいことを観たりやったりする

 やもすれば「不謹慎」となり賛否が分かれるかもしれませんが、こういうときこそ、お笑いのようなものを観てガハハと笑ったり、好きな事に没頭したりすることも大切だと思います。明日からの仕事の糧にもなりますから。イラストが得意な方が皆を元気づける絵を描いている等の話も早速あるようですし。面白い文章が書ける人は、ぜひ書いてネットで公開して欲しいですし、ニコニコ動画にあるような「弾いてみた」シリーズなんかも良いですよね。

 また、ギャグ漫画など何らかの笑える本を家に置いておくのも良いと思います。いつもアクセスする面白いサイトが地震の話ばかりで笑えず、かといって本棚には技術書かビジネス書か英語の本(つまり勉強のための本)ばかりで笑いたくても笑えなかったので……。

 笑いや笑顔は、明日への糧だと信じています。なので、社会貢献のためのエネルギーを得るためにも、このような状況では不謹慎でもそういった楽しみを行うというのは、個人的には、やって良いことだと思っています。

■医者やカウンセラーを訪れる

 どうしてもショックが強く、仕事すら出来そうもないという方もいるかもしれません。明らかに精神的におかしいなと思ったら、心療内科や精神科のお医者さんや、カウンセラーさんに話を聞いてもらうことも重要だと思います。

☆★☆

 不便な生活はまだまだ続きます。「輪番停電」なる計画的な停電が関東で行われるという話もあります。被災していない方々もしばらくの間、大変な生活を送らなければならなくなりそうですが、節電等を心がけて、このピンチを何とか乗り切れるよう、努力していきましょう!

Comment(3)

コメント

ハムレット

確かに一人はつらいですよね。震災情報のTVも家族と一緒にみるのと、一人で見るのとでは、精神的な負荷も変わると思います。昨日は携帯のメールに実家が福島の南相馬市な東京の知人からの、生まれ育った町が壊滅した際の状況報告メールが届きました。
関西在住の私がこれを知ってどうやねんって意見もあるのですが、相手の状況に耳を貸し、理解すると云う態度は有る意味、故郷を心配する友人の気持ちを落ちかせる一助になるのかなと考えています。
ちなみに昨日は知人が4月から海外転勤になったので、その送別会でした。こういうとき、集まって何かをするというのは有る意味、心強いなと思った次第です。

ではでは。

レモンT

つくづく同感です。私は阪神大震災当時芦屋市役所の税関係の開発業務をしていましたが(地震の発生があと二時間遅かったら、おそらく今この世にはいなかったでしょう)、『開発室の扉を開けるとそこは避難所』などという環境にいると自分の家が倒壊しなかったことに凄まじい罪悪感を覚えたものです。

K

今年大学に進む者です。僕も被災地の方の情報を聞くたび辛い生活をしているというのに、自分は...と罪悪感に悩まされていました。やるべきことが見つかりました。ただ被災地の方が未だに苦しんでいるということは忘れずにいたいと思います。ありがとうございました。

コメントを投稿する