「目的意識」至上主義(2)
自分が人生で目指すべき「何か」は、他の人なんかよりずっとずっと大きいはず。だから、飛行機が現れるまで待っていよう。一歩一歩進むなんてナンセンス。最短距離が見つかるまで動かないでおこう。全ての道が青信号になるまで、待っておこう。
* * *
【 悩んでいた彼女への返信 】
前回のコラムに登場した悩み相談のメール、覚えていますか?
自分にはエンジニアになって何をしたいかの目標がない、と悩む彼女。けれど現にエンジニアを目指して就職活動をしているわけです。それは、なぜ?
――彼女のメールにはきちんと、その答えが書いてありました。
「小学生で最初に習ったときから何か面白いと思って」
私の返信は次の通り。
最初のコラムに書いた『ITで鹿児島を活性化したい』というのは、確かに私のやりたいことではあります。ですが(メールを頂いて、考えて、初めて気付きましたが)ずいぶん省略した言い方になっています。例えば『地元への貢献、その手段として何故、ITなのか?』……そう質問されたら、私にはこう答えるしかありません。
コンピュータの世界に、何となく興味があるから。好きだから。
つまり、○○さんと同じです。何か物事を『始める』のに、最初から明確なビジョン・目的意識を掲げて腰を上げる人もいるでしょう。ですがその物事を『続ける』には、手段としてこなす作業・行動自体に何らかの楽しみを見い出す必要があると思います。例えばダイエットのためにウォーキングを始めるようなとき。いくら健康という人間にとって重大な目的が先にあろうとも、歩くこと自体が苦痛で苦痛でたまらないなら、その習慣が『続く』ことはありえません。
『なんだか、面白い』――これは物事を『始める』ときにも『続ける』ときにも有効なモチベーションです。これが最初から備わっているなら、それはとても素敵なことだと思います。あとはぜひ、親戚のおばちゃんにも『大変そうだよね。でも私はきっと、好きになれそうな気がする!』と宣言してほしいです。
それで例えば3年くらい頑張ってみて、結果的に好きになれなかったら?
――まあ、それはそのとき考えても良いのではないでしょうか。(以下略)
【 バブルな夢に中身を与えるもの 】
……いまここに書くために自分の返信文を読み返したのですが、「親戚の“おばちゃん”」とは一言も言われていないのに、勝手に「おばちゃん」と決め付けて返事をしてしまいましたね、私。この場を借りてお詫び申し上げます(私信すみません)。
前回のコラムでは、私自身の就職活動中に感じた次のようなことを言葉にしてみました。
「私たち『最近の若いもん』は、インターネットをはじめ技術の進歩が『自分のできること』に対する制限をほとんど取り去ってしまったことを感じ取っている。『自分にも何か大きなことができる』という意識が進みすぎると、『身近な範囲で小さく行動するのは愚かなこと』と考える傾向が生まれるのではないか」
就職活動中によく聞いたセリフで、「好きなことがない/見つからない」というものがあります。改めて話を聞いてみると、決して好きなことがないわけではないのです。何となく惹かれる分野はあったり、小さなころ熱中していたものはあったり――。「でもその程度の『好き』で仕事にしようなんて駄目」と自分でブレーキをかけてしまっているのです。それはなぜなら、「やろうと思えば自分には大きなことができる」のに、何となく面白そうだからと横道に反れて時間を浪費するなんて愚の骨頂だから……。
少し大げさに書き下していますが、「仕事を始めるならしっかりした目標がなければいけない」という考え方に囚われている人は、確実に増えていると思います。件のメールをくれた彼女も、前回のコラムに「自分も大きく考えすぎていた気がします」との感想を寄せてくれました。ちなみに同い年の友人からは「『最近の若いもん』って、もう23(歳)はギリギリだよね」と言われました。大変にショックでした。それはさておき。
ではこの具体的な一歩が分からなくなるほど抽象化した夢の足を、もう一度地に着けるにはどうすれば良いか?
現実世界では、どんな夢を目指すにも、必ず消費しなければならない基本リソースがあります。そう、時間。どんな夢・目標も、叶えるためにはそれ相応の時間がかかります。その間、私たちは、夢・目標に達するための具体的な行動をとり続けなければなりません。そこで――先ほど返信メールの中で、次のような一言を書きました。
「物事を『続ける』には、手段としてこなす作業・行動自体に何らかの楽しみを見い出す必要がある」
できそうなこと、始められそうなこと。瞬間的に心惹かれるステージならば、この情報社会(もう情報“化”社会ではないですね)、いくらでも難なく見つけられます。それが目の前を横切ったら(もちろん、それが見つかること自体は素敵なことですから)、もう少しだけ粘って考えてみましょう。
それを「続けている」自分が想像できますか?
せっかく見つけた「夢」を小さくするようで嫌かもしれません。でも、とりあえずイメージを作ってみてください。どんな夢も最終的には連続した「タスク」にブレークダウンされてきます。道なりに並んだタスクがどんな内容であれば、1つ1つクリアしていけそうですか? 最初の作業は、どんなものが良いですか?
これは実は、スタート地点について考えること。今までの「あれもできそう、これもできそう」と言っていた時間、思いはゴール周辺ばかりを巡っていました。せっかく目的地をあれこれ思い描いたのだから、次は今のあなたが、どこに、どの方向を向いて立っているのか、再確認する時間です。
不思議なもので、考える対象をぐっと卑近なものにした瞬間、「これかもしれない」という道が見つかることがあるようです。――いえ、考えてみれば当たり前ですよね。スタート地点には現にあなたが立っている「地面」が必ず存在し、そこから少しずつ視線を上げていけば……「地面」がどこかに繋がっていくさまを、確認できるに違いないのです。
以上――後輩に向けた、あんまり直接的には役立たないお手紙でした。
【 実は一番考えたかったこと 】
このコラムを書くにあたり、一番恐れていたツッコミがあります。今のところどなたにも言われてはいませんが――。
「考えるきっかけは『エンジニア志望の女の子のメール』だけど、内容的には全くエンジニアリングと関係ないよね?」
――はい、確かに。それを頭の片隅で気にしつつも、今回のような形にまとめてみました。
その埋め合わせというわけではないのですが、別の視点から1つ気になることを挙げておきます。もう散々引用してきたメールですが、最後はこの一文。
「親戚にプログラマーを目指してることを言うと、『すごい大変な仕事なんじゃないの!?』って心配されて」
やはりこういったイメージがあるのだな……と考えさせられました。というより、私自身も身近な人に言われた記憶があります。ITの仕事はきついんでしょう、3Kなんでしょう、と(意外に『3K』という表現を知っている人は多い)。私はまだ経験年数的に「すごく大変」な局面に遭遇してはいないと思います。ですが、こうしたイメージの少なくとも一部は、誤解や先入観によるものだと感じます。
何か……自分にできることを見つけて行動していきたい。そう考えました。
「わざわざ、何を目的に?」
そりゃあ、誤解が解けて仲間が増えた方が、家族にも心配されるよりは応援された方が、楽しそうじゃないですか。……何となく、ね。