僕を育ててくれた先輩は、モンスターエンジニアだった(2)
早速、作業に取り掛かろうと思った。
メソッドは確かこうだったなぁ、などと考えながら書いていく。実は、レビュー用にと思って、ソースを印刷していたものがあった。少し古い状態のソースだが、ないよりははるかにましである。
分からなくなったらそれを見て確認し、作業を進めていく。ふと、横を見るとツルマキの手がまったく動いていない。
「どうしたんだ?」
気になって小声で話しかけた。左手にはエグチさんがいる。気づかせてはいけない。
「全然覚えてない」
「え?」
「ソースが全然思い出せない」
なんということだ。連日質問をし、周囲が一生懸命回答してそれを四苦八苦しながら自分なりに消化して書いたソースを覚えていないというのか。もちろん全部覚えているのは無理だろうが、まったく覚えてないとは……。
「例えばLoadイベントとかは覚えてるか?」
「……ああ、そういえばあったなぁ、そんなイベント」
ほうけた顔でツルマキがつぶやく。その姿にカチンときた。
「考える気あるのか? 確かに頑張って書いたものが消されてショックなのは分かるけど、いつまでもそれを悔やんでたってしょうがないじゃないか」
「うん、まぁ、そうなんだけど……」
あまりにも気のない返事に、関わるだけ時間の無駄だと僕は判断した。自分の画面に目を向け作業を再開する。
夕方になってツルマキの様子を見たが、一向に進んでない。端から見ても20行程度しか書いていないように見える。
……しょうがないなぁ。いつまでもほっておいて、後でエグチさんに見つかり怒られるとツルマキはまた落ち込む。チームの雰囲気だって悪くなるし、ツルマキの仕事がこっちに振られるのは目に見えていた。
「……ほら、俺のソースだけど大体一緒のはずだから。早く書いちゃえよ」
もう自分の作業は終わっていたのでツルマキにソースを渡した。
「あ、ありがとう」
申し訳なさそうにツルマキはいった。それから、すぐに画面に向かってソースを書き始めた。
◇ ◇ ◇
ツルマキは――分かってはいたが――プライドが高く、やたらと他人と自分を比較し、少しでも自分が劣っていると思うとすぐにへこんだ。
与えられている仕事が違うのに、僕の方が先に終わると、それだけでへこむ。へこんでいるときのツルマキは、消え入るような声で返事をするのが常だった。エグチさんが常に言っていた、「元気に返事をする」「分からなかったらすぐに聞く」という基本箇条が守れなくなっている。
エグチさんは明るく、元気にがモットーの人なので、それが癇に障るらしい。2人の仲は冷え切り、特にツルマキからエグチさんへのアプローチはなくなっていた。何か問題があっても、いったん僕を経由してから聞くようになった。
チームワークってこれでいいのかなぁ。
常々思ったものだが、なにせ初めての上司、初めての仕事なもので判断基準がない。
さらに、エグチさんは常々報告で「こいつら、すごいうまくやってますよ! 全然大丈夫です!!」といっているのを聞いていたので、こういうものなのかなぁ、とも思っていた。
これが大きな間違いであった。
あるとき、ツルマキと2人で昼飯を食べに行ったときのことだ。
「ツルマキ、仕事で参ってないか?大丈夫か?」
最近のツルマキは目に見えて元気がなかった。それが気になったので、食事に誘ったのだ。ツルマキがおもむろに口を開いた。
「あのさ……実は俺の親戚で揉め事が起きててさ」
「え? そうなんか?」
「ああ。なんか裁判ざたになりそうなんだよね」
「仕事でこんな状態のときにそれはきついなぁ」
「ああ、正直きつい。なんでできないんだろうっていつも思う」
自分が仕事ができなくて悩んでいるときにプライベートでも問題があるとは……。精神的には相当参ってしまうだろう、と思った。
「できなくてもしょうがないじゃないか。うちらまだ新人なんだし、そのためのOJTなんだからさ」
せめて仕事だけでもストレスが減ってくれればなぁ、と思っていった。もちろん本心である。
「そうだなぁ。俺さ、この仕事やってSEになって、バリバリ働いて部下とか持つのが夢なんだ」
初めてツルマキが夢を語った。
驚いた。この業界に夢を抱いている人がいることにも驚いたが、自分との違いにも驚いた。
自分はせいぜい、会社の邪魔にならないように仕事をして、そして体を壊さないように気をつけよう、位にしか思ってなかったから。ツルマキの方が前向きだ。
「だったら落ち込むなって。落ち込むとその道は遠ざかるぜ」
笑いながら答えたが、目標があるっていいなぁとツルマキをうらやましく思った。
◇ ◇ ◇
エグチさんはよく「あと少しで会社が興せる」といっていた。口癖のようだった。
会社を興すには仕事をとってこれるSEにならないといけない。
SEは自分の単価を知って、売り込めるようでなければいけない。
技術によってSEの単価はこれだけ変わってくる。
などなど。
非常に経済意識の強い人だった。今思っても。経済意識の強いSEであることは非常にいいことだと思う。
先輩に付き合っての残業がいかに無駄か分かるし、しなければいけない残業も見極められる。また、作業効率を上げることの大切さが本当に分かっているからどんどん伸びていく。
ただ、当時の自分はそういったことは分かっていなかった。技術的なことや知識ではまったくかなわなかったので「へぇ~」とか「なるほど」などと相槌を打ちながら話を聞いていた。ぼんやりと「うちの会社に転職して2カ月足らずで会社を興すって言いふらすってことは、仕事やめますって言ってるようなもんなのになぁ、周りから信頼されるのかなぁ、この人は」などと思っていた。
他にも毎朝5時に親父と剣道の素振りを1時間ほどやってる、とか毎晩1時くらいに5キロ走ってる、とかいつ寝てるんだろう、と不思議になるほどバイタリティあふれた生活を語ってくれた。
会社での仕事は遅くても7時くらいにあがって、そのあと別の場所で営業をし、それから終電で帰る、といったこともやっているといっていた。
休日には勉強会もあるから、その準備をやる必要もある。
本当に多趣味多忙を絵に描いた人で、自分にはとても真似できないといつも思っていた。
この人のまねをしないと一流になれないなら、一流になれなくてもいい。
その時間を自分の趣味や交友に使いたなぁ、などと思いながら話を聞いていた。
◇ ◇ ◇
あるとき、エグチさんがツルマキをしかった。原因は単純なことで、昨日聞いたメソッドを覚えていなかったからである。
ツルマキは質問しに行ったときに、その場で覚えて何もメモを取っていなかった。だから、今日また分からなくなったとき、再び聞きに行ったのである。
研修中のときのエグチさんは、快く何度でも教えてくれた。ただ、メモを取る大切さを毎回言い含めてはいたが。
今回は、メモを取っていないツルマキが悪い。隣から聞こえてくる声を気にしないようにしながら作業を続ける。しかし、これだけ近いのだから完全に無視しようとしてもできるものでもない。ところどころ聞こえてくる言葉を拾ってしまう。
「お前、こんな簡単なことも分からないんだったらダメだろ」
聞いたことのないような冷たい声でエグチさんがしゃべっている。
「なんで言ったことが守れないんだ。メモを取る。しっかり返事をする。報告をきっちりする。そんなに難しいことか?」
「いったことが守れないような奴が仕事できるようになるわけないだろ」
「まだ学生気分なのか? 仕事だっていう自覚がなさすぎるんだよ」
聞いているこっちの心臓が痛くなりそうだ。こっちが泣きそうになってくる。ツルマキの様子を見ると、うつむいてじっと耐えている。
15分ほどだったろうか。エグチさんが「もういい」といってツルマキを無視して自作業に戻る。ツルマキは少しその場で立っていたが、意味がないと悟り席に戻ってきた。
「エグチさんの言うとおりだけど、気にしすぎるなよ。今回のはちょっと言い方が冷たいとおもったし」
IPメッセンジャーを飛ばして、最後に質問していた内容の参考URLを貼り付けた。
「ありがと」
ツルマキの表情は無表情に近かった。
◇ ◇ ◇
あるとき、ツルマキが具合が悪いといって会社を休んだ。エグチさんも僕も無理はするなよ、と電話でいい、メールでも励ました。1人暮らしのツルマキは具合が悪くても看病してくれる人はいない。ましていろいろ抱えているようだったから落ち込まないかと心配だった。
しかし、残念ながら思惑は当たってしまった。ツルマキはそのままずるずると3日間休んだ。出社してきたときは、完全に負のオーラをまとっていて、返事もろくに返さないようになっていた。
次の週は最初遅刻してきて、その次の日は休んだ。部長が声をかけてきた。
「ツルマキ君、大丈夫そう?」
「ちょっと分からないです……。仕事でもプライベートでも思い悩んでいたみたいで」
「あら、それは大変だね」
部長が驚いたような顔をした。
「はい。よかったら部長の方から話を聞く時間を取れますでしょうか」
「うん、そうだね、聞いてみるよ」
部長は快く引き受けてくれた。
多分、端から見ていても、エグチさんがツルマキのことをすでに見放しているように見えたのだろう。
実際、ツルマキが休みがちになってからというもの、仕事は全部僕に任せて、ツルマキがいるときは僕の作業補佐のようなことしかやらせていなかった。
とにかく、相性が悪すぎる。確かにツルマキは人間関係が不得手で、すぐ落ち込むのは近くにいてこちらまで気が滅入る。
けれどもこの業界に夢を持ってきている以上、そういった部分はがんばって直していってほしい、と思ってたしまだ入社して半年もたっていないのだ。こんなところでつまずいてはどうしようもない、と思っていた。
人間なので、合う合わないがあるのはしょうがない。今回は合わなかったのだ、と割り切って次のプロジェクトでがんばってほしいと思った。
しかし、時すでに遅かった。ツルマキは休職することとなる。
続く
※この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。
コメント
マサヤ
楽しく拝見させてもらってます。
ツルマキさんは自分ができないのを他人のせいにしないだけいいと思いますよ。
続きを楽しみにしてます。