僕を育ててくれた先輩は、モンスターエンジニアだった(1)
僕の名前はウエダ。今年からシステム開発会社の一員になった。外部研修でJavaを学んだけど、結局よく分からない。メソッドって何? オブジェクト指向って何?
そんな状態で、あっという間に1カ月の研修は終わってしまった。正直何ができるのか皆目、見当がつかない。憂うつな気持ちで社内に戻った。
社内研修はこれから続くから、そのとき頑張れればいいよ、と同期のオオタニは慰めてくれた。こいつは大学時代からバリバリプログラムを組んでたから、研修程度のレベルではまったく物足りなかったらしい。
研修所の先生は「このころの実力差なんて1年もすればなくなるもんよ」といっていたが、果たして本当なのだろうか……。いまいち信用できない。
そんな風に思っていた折、会社の創立記念日に新しい人が2人入ってきた。
名前を、ヒラタさんとエグチさんといった。ヒラタさんはおとなしそうな人でマスオさん見たいな人だなぁ、というのが第一印象。もう1人のエグチさんはバリバリできます! オーラがすごく出ていた。はきはきしていて、自分はこういう言語をやってきました、と自己紹介をしている。
正直、聞いていてもさっぱりだが、とにかく会社に人が増えるのだということは分かった。
◇ ◇ ◇
次の日、部長が2人を研修室に連れてきた
「今日からみんなの研修をみてくれるエグチ君とヒラタ君だ。2人とも、よろしく頼むよ!」
「はい!!」
エグチさんは元気よく返事をし、ヒラタさんは合わせるように声を出した。今日から社内研修が始まり、それを2人が見てくれるらしい。内容は外部研修のおさらいということだ。
社内研修はたしかに分かりやすかった。講義形式で前でエグチさんが説明をする。ヒラタさんは後ろで待機して、分からない人がいればマンツーマンで説明をしてくれた。教本に沿ってカリキュラムを進め、7人という少人数に対し2人の先生という破格の待遇は非常に恵まれた環境だったと思う。
当初はまったく分からなかったJavaもなんとなく、こうすれば動くのかな? こうしたらだめなのか、ということが見えてきた。Exceptionが出ても、何が悪いのか見当がつくようになった。自分でも日に日に実力が伸びているのが分かる。
楽しい時間だった。
2週間ほどしたとき、ヒラタさんが新人研修から外れることになった。外部案件で人が足りないので増員に入ってほしい、というのが理由だ。こうして、エグチさんが僕らの専属の講師となった。
エグチさんは、僕たちのためにいろいろなことをやってくれた。日々の報告に自分の分からなかったことを書くように指示をし、それを受けてエグチさんは分かりやすい資料を作成して、次の日に持ってきてくれる。コメント欄にも必ずレスポンスを返してくれて、こちらも安心して自分の状況を伝えることができた。
自分はそうではなかったが、同期の中にはなかなか感覚をつかめない人がいて、特にツルマキとヤマモトさんは顕著だった。
2人とも何が分からないのか分からない状態で、質問すらまともにできていない。エグチさんはそんな2人に「分からないのはしょうがない。元気よく、質問するのを怖がらないで!」とやさしく接している。ツルマキは理解自分が非常に情けないと思うらしく、よく悩んでいた。ヤマモトさんも同じようだったが、だんだんと質問の仕方を学んできて、1カ月もすると、どこが分からないのか説明できるようになっていた。
同期の中でも2人の動向は気になっていて、自分たちがこうやったら分かった、などと一生懸命説明するのだが、どうもツルマキの反応がよくない。
ツルマキはちょっとプライドが高くて、素直に質問にいけない癖があった。同期でもそれを注意するのだが、本人は「分かってるんだが……」といつもお茶を濁していた。
あるとき、エグチさんがツルマキに何か話をしていた。いつものように質問に答えているのかな? と思ったがそういう雰囲気でもない。第一PCに向かっているのに、2人とも手が動いていない。
ちょっと気になったので耳をそばだててみると、エグチさんがツルマキのことをしかっていた。
「いいか、質問をしてくれないとこっちは何もできないんだ。難しいことは言ってないだろ? 大きな声で返事をする。分からなかったらまず15分調べてそれでできなかったらすぐ聞く。こんな簡単なことができないんじゃどうしようもない。分かってるか?」
ツルマキは体を硬直させうつむいている。確かに、今回の件はツルマキが悪い。研修の一番最初に言われた約束を守れてないからだ。
少々かわいそうかな、と思ったがその後のフォローも特に何も入れなかった。仕事で勉強しているのだから、言われたことをやらないのはまずい。まして難しいことを要求されているわけではないのだから。学生気分が抜けていないのであれば、こういうきつい思いをするのも仕方ないだろう、と。
◇ ◇ ◇
エグチさんは喫煙所でよく自分の夢や理想、信念を語った。
「最初からできるやつなんていない。でも頑張ってればできるようになる。それが分かってもらえるように俺は新人教育をしているし、後輩を育てたいんだ」
「勉強は大事だ。毎日勉強しろ。俺の親父は毎日2時間必ずかかさず勉強している。俺も親父に負けないように頑張ってるんだ。みんなもそれくらいやれ」
「俺は会社を作るのが夢なんだ。あと少しで資金がたまる。会社興したらお前らもくればいいよ!」
エグチさんの社内評価は、うなぎのぼりだった。新人教育で新人をきちっとした社会人に成長させ、プログラマとしても使えるようにする。そして時にはやさしく、時には厳しく指導していた。
とある先輩から小耳に挟んだところ、別会社で働いているときに、社長からラブコールがあったらしい。3年間コールがあったので、せっかくだから、とうちの会社に来たということだ。なんでもできます! なんでもやります! そして絶対にもうけさせます! と大見得切ったらしいが、それだけの実力を備えている自負があったのだろう。
そして、実際に入って2カ月でそれを認めさせた。すごい。
同期一同、エグチさんについていけば成長できる! と思い一心不乱に言われたとおり勉強した。土曜日に勉強会と称して会社に集まり、簡単なプログラム作成とソースレビューを行ったりもした。
心のどこかに不協和音が生じていることにみんな気付いてはいたが、耳を傾けないようにしていた。
◇ ◇ ◇
配属発表の日が来た。同期の誰と一緒になるのか興味があったが、それ以外はどうでもよかった。どこの課に入っても、あまり大きな違いはないだろうと思っていたのだ。あるとすれば、1部1課に配属されたときくらいだろうとも思っていた。
1部1課は、拠点ベースで活動しているほかの課とは違い、個人個人が思い思い好きなようにやっていることで有名だった。よく言えば個人スキルが高い。悪く言えばチームワークが嫌い、苦手で好き勝手やっている、といえる。
メンバーも会社創立初期からいる人が多く、他の課よりも平均年齢が圧倒的に高かったのも特徴といえるだろう。エグチさんは1部1課に配属されていた。
「1部1課、ウエダ君、ツルマキ君!」
社長が配属を発表した。え? と一瞬からだが硬直する。1部1課になったのも驚いたが、それよりツルマキが1部1課に配属されたことに驚いた。この課は単独行動ができるくらいのスキルと人間力が要求されている、と思っていたのだ。だから、本当に失礼だが、正直ツルマキはついていけないのではないかと思った。
このことが疑問に思ったので、エグチさんにきいてみた。
「なに、簡単なことだよ。オオタニはツルマキとうまくやっていけない。でも、同期で誰か助けなきゃいけないから、ウエダとくっつけたんだ。問題があっても、俺がいるからなんでもきいてくれよな!」
なるほど、できないやつは抱き合わせにしておこうということか。考えてみたらヤマモトさんはオオタニと一緒の課に配属されている。同期同士だと話しやすかったり、悩みも打ち明けやすいとの判断なのだろう。僕は同期といっても浪人しているので、みんなより1つ年は上である。そこでも、精神的なカバーを期待されたのではないだろうか。そして、ヤマモトさんの方が、現時点ではツルマキより頭一個伸びている。より遅れているツルマキは、同期同士でカバーするだけでなく教育担当をしていたエグチさんが直接キャッチアップしていこうという方針らしい。なるほどなるほど、納得の配属である。
それから2週間後、今度は言語をVB.NETに変えて研修を進めていたときだった。
部長から僕とツルマキに声がかかった。会議室に入ると部長と、エグチさんがいた。
「今エグチ君がやっているプロジェクトに参加することになったから」
なんと、配属されていきなりOJTのチャンスがやってきた。話を聞くと、エグチさんがリーダーで開発要員として2人ほどほしいとのこと。ならばOJTにしてはどうか、ということで話がまとまったらしい。
「同じ課の先輩とだし、チームワークは作りやすいだろう。頑張ってくれ!」
「はい!」
僕らは元気よく返事をした。同期はまだ研修をしている中、社内開発でしかも3人という少人数、リーダーはエグチさんと願ってもないくらい好環境だ。
ここできっちり仕事で使える技術を学んでいこう! ツルマキと僕はが然やる気になった。
しかし、この気持ちはそう長くは続かなかった。
◇ ◇ ◇
よくあるパターンで、僕ら2人にはマスタ画面の製造が言い渡された。
検索、新規登録、更新があるごく一般的なものである。とはいってもその時点でのツルマキと僕にそれを作れる技術力はない。エグチさんはサンプルとして先に作ってあるマスタ画面のソースを僕たちに渡した。
「とりあえず、これを見ながら作ってみて。分からないところがあればいくらでも質問していいから」
そう言われたので、作業に取り掛かった。このときの僕らの席順は左からツルマキ、エグチ、ウエダとなっていた。これはエグチさんが僕らが質問しやすいように、と配慮したもので、間にパーテションはなく、空気の通った空間である。
製造を開始して3日くらいたったころだ。僕は煮詰まっていた。というのは、質問がなかなかできないからである。それは自分がうまく質問できないためではない。聞かなきゃいけないことはまとまってるし、分かりにくいところはないか何度も確認した。
しかし、肝心のエグチさんが、ずっとツルマキにかかりきりなのである。横で聞いていると、昨日と同じ説明をしているように聞こえる。いつもよりエグチさんの機嫌が悪そうに見えたのも、気のせいではなかったようだ。ずっとかかりきりだし、同じ質問を繰り返されたのでは、教える側からしたら、たまったものではない。自作業は進まない上にストレスもたまる。ついにエグチさんが怒り出した。
「質問するのはいいが、教えたことは覚えろ! 覚えられなかったらメモを取れ! お前が質問することでこっちの工数が取られていくんだ。質問にどれだけお金がかかるか考えろ!」
うわぁ。と隣で聞いているこっちが身を振るわせたくなるような怒り方だった。当のツルマキは目に涙を浮かべて半べそである。
確かにエグチさんの言うとおりだった。ツルマキには悪い癖があって、質問をした後にこちらが回答すると「やっぱりそうだよねぇ」と答えるのである。あたかも、自分は知っていて、それの確認をしました、という態度をする。聞かれた方は、なら質問するなよ、とむっとなるし、さらに悪いことに回答を聞いたあとにメモを取ることもしないのだ。そして1時間もすると、忘れてまた同じ質問をする。
エグチさんは、ツルマキを無視して自作業を再開していた。これはちょっとまずいと思って喫煙所にツルマキを呼び出した。
「ツルマキ、前に言ったじゃないか。メモを取れって。あれは怒られるよ」
「すまない。なんで俺は、こうだめなんだろう……」
ツルマキがうつむいた。涙をこらえている。
「そんなにだめだ、だめだって言うなよ。今だめだからこうやって研修とかOJTとか受けてるんじゃないか。そうやって成長していけばいいだろ」
同期の仲間がいなくなってほしくない。その一心で必死に慰めた。この業界の新人の4割は次の年にいなくなっている、とまことしやかなうわさを聞いた。絶対にそうならないようにしよう、自分も同期も、とそのとき心の中で決心したのである。自分が手伝ってそれを防げるようなら少しでもそうしよう、と。
「そうだな……」
少し落ち着いたのか、ツルマキは少し表情を和らげた。
「じゃあ、そろそろ戻ろうぜ。俺ちょっとエグチさんにお願いしてみるわ」
自席に戻った後、エグチさんに席を変わってもらえるようにお願いした。今のツルマキ、エグチ、ウエダの順からエグチ、ウエダ、ツルマキにしてほしいと頼んだ。理由は簡単な質問であったり、同じ内容であったら僕が答える。そうすればエグチさんに余計な負荷がかからないです。こちらで分からないことはもちろん質問しますので、と。
エグチさんは先ほどの一件もあって気まずかったのか、あっさり承認してくれた。席順が変わり、僕が間に入ることでツルマキも余計なプレッシャーを感じずに済むようになったらしい。
質問の回答もすんなり理解するようになり、作業がはかどるようになった。僕も質問に答えるためにいろいろ調べることが多くなり、自分自身の勉強にもなった。3日後に画面ができた。
エグチさんに見せると「お、できてるじゃん!」といって2人をほめてくれた。初めて自分たちが作った画面が認められた! もちろん細かいエラーチェックなどはまったく実装していないが、それはあとでいいとのことだったので、今回は目をつぶってくれた。
とにかく、仕事で初めてものを作る、という喜びを感じた瞬間だった。
◇ ◇ ◇
次の日、会社に来るとツルマキの様子がおかしかった。顔面蒼白で落ち着きがない。具合が悪いのか、とも思ったがそうではなさそうだ。どうかしたのか、と聞いてもなかなか答えようとしない。やっと口を開いたと思ったら、今度は自分の耳を疑った。
「ソースが……消えてる……」
「そんな馬鹿な!!!」
慌ててVisual Stadioを立ち上げて、最新版を取得、ソースを確認してみる。確かにクラス宣言以外のソースがすべて消えていた。メソッドも何もない。
「なんだこれは……」
ツルマキが真っ青になるのも当たり前だ。自分たちが苦心して作ったものがすべてなくなっている。こんな馬鹿なことがあっていいはずがない。自分のソースも確認したが、同じように消えていた。あせる頭を必死に回転させる。そういえばソース管理ソフトで更新者の履歴が見れたような……。
エグチさんがソース管理をしていたのを見様見まねで、なんとか更新者の履歴を表示した。
最終チェックイン者:Eguchi
の文字が躍っていた。
信じたくなかった。
これは普通のことなのだろうか。
どんな理由で消したのだろうか。
製品として使い物にならないから?
レビューしてみて規約に沿ってないから?
もともと新人のソースは納品しない気だから?
あらゆる可能性が浮かんでは消えた。
しかし、どれも自分を納得させるものではなかった。こうなったら本人に聞くしかない。
エグチさんが出社してきたときに、真っ先に聞いた。
「エグチさん、いきなりで悪いのですが、確認したいことがあります」
「なに?」
いつもの笑顔だ。何の後ろめたさもない表情だ。本当にやったのか自身が揺らぐが、聞くしかない。
「僕とツルマキのソースが消えていて、最終チェックイン者がエグチさんでした。エグチさんが消したのですか?」
「ああ、俺が消したよ」
変わらぬ表情で、しかも驚くほどあっさり答えた。あまりにも普段どおり過ぎて、こちらが逆に面食らう。
「な、なんで消したんですか!」
少し感情的な声になった。エグチさんはやっとこちらが怒っていることに気付き、理由を説明し始めた。
「昨日レビューしたばっかりのソースだろ? 覚えてるよな? ソースは何回も体を動かして書かないと覚えないから、今日もう1回書いてもらおうと思って」
???? 頭の中にはてなが何個も浮かんだ。何を言っているのだ、この人は。
「大丈夫だって、たかだか200行くらいのソースだから。すぐ書けるよ」
相変わらずの笑顔で、こともなげに言ってくる。確かに、200行程度のソースだし、各内容も分かっているから1日あれば十分書き直せる。今回のことも、社会には理不尽なことを我慢しなきゃいけないときもある、その訓練だ、と思えばいい。そう言い聞かせた。
ここで感情をぶちまけてもしょうがない。なんと言ってもわれわれはまだ「新人」であり、「会社のお荷物」であり、「お金をもらってさらに勉強させてもらっている立場」なのだから。発言権はないに等しい。
「……分かりました。ありがとうございます」
そういって形だけのお礼を述べ、席に着いた。ツルマキも同じように席に着いた、がその顔は相変わらず蒼白である。
思えばこのときがはじめてエグチさんという人物にはっきりした疑念を持ったときであった。そしてその疑念はだんだんと確信に変わっていくことになる。
続く
※この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。
コメント
マサヤ
次はオブジェク指向を否定し始めると見た!
参考リンク
http://el.jibun.atmarkit.co.jp/pressenter/2010/11/1-828a.html
>「大丈夫だって、たかだか200行くらいのソースだから。すぐ書けるよ」
→その通りです。できないならただのコピペ君です。
というか、ローカルに以前のバージョンをエクスポートする機能がVSSにはあるんだから使えばいいのに、ロールバックされてたのかな。
みかん
??よくよく読まなくても、フィクションとすぐに分かるのでは・・・
それはさておき。
僕も本文のように「先輩がわざと」ではなく「自分で間違って消してしまった」
なんてのは新人時代に経験したことがあり、本文中の新人君みたいに顔面蒼白
になった経験があります。
でも、自分で一生懸命考えて作り出したソースなので、3日かかって作った
ソースが消えてしまっても、半日で元のソースを記憶を頼りに復旧しつつ
改良してスッキリしたモノに復旧?した経験が多々あります。
そこで得た教訓は・・・
・バックアップはとっておけ!
・100%完璧と思っても、後で見直すと修正したくなるもんだ・・・
ってとこでしょうかw
今では当たり前のように思いますが、新人時代はまさに「痛い目をみないと分からない」
ことだったのだなぁっと、このコラムを拝読させていただき改めて思い出しました。
続きを楽しみにしております。
ひでぶ
「高慢と偏見」のヒットをうけてか、小説仕立て、流行っているようですね。
これはそこそこ期待できそうな感じ。
staticおじさんも真似し始めたようだけど。いろいろと残念。
ここの編集部は校閲しないんですかね?
//
どんなに工数が少なくても、時間とお金はかかってるんだから、こういう育て方って、どうなんでしょうね。
新人で一番最初に作ったプログラムは、自分で消し(作り直し)たいですね。
「育て」られたんですよね。
これからどう主人公が育っていくのか、楽しみです。
ぴ
先に話してから削除ならよかったかもね。
または、見ないで同じものをもう一度作ってぐらい。
確かに問題だし、衝撃的なことでもあるけど
文章で無理やり大げさ感を出しているような気がしないでもない。
文字数の割には内容が軽いような。