便利すぎると不幸になる?! -楽になるための技術開発がしたい!
そんなにおいしい話があるわけない
「1000万円が当たりました」 「3000万円の遺産が入ります」
以前は私にこんなメールが毎日のように届いていた。しかしそんなメールに返信はせず、私は毎週数億円を得る機会を捨てていたことになる。 さすがにそんな怪しげなメールに引っ掛かるヤツも少なかったためか、最近はこの手のメールは来なくなった。 これは分かりやすい極端な例だが、おいしい話には罠があるものだ。
便利に慣れてしまうと、不便なときに怒るヤツがいる
最近日本は便利になった。コンビニはあちこちにあり24時間開いている。ネットで注文すれば土日でもすぐに商品を送ってくれる。サービスセンターに電話すれば土日でも対応してくれる。100円ショップでは意外なモノまで100円で手に入る。それが当たり前だ。当たり前品質になってきている。便利になったものだ。
便利が当たり前になったせいか、便利でないと怒る人がいる。 「なんで24時間開いていないんだ!」「土日だろうとすぐに送って来い!」「300円じゃ高い、安くしろ!」
便利を求めすぎると不幸になる
だがそれでいいのか? 便利に慣れ過ぎてしまっていいものなのか? おいしい話には罠があるものだ。
お客様の要求にすぐに対応するために、毎日深夜まで働かされている人がいる。サービスを安く提供するために安月給で働かされている人がいる。他人事ではない。自分が忙しいのも、実は社会に急かされているからなのだ。 忙しいのは仕事を一人で抱えるからであって、ちゃんと分担すれば大丈夫なはず、と言う人もいる。けれども労働者が余っている訳ではない。高齢化社会で労働人口は減っている。人が足りないのだ。 みんなが、「早く」「安く」とワガママを言わなければ、もう少しノンビリしてくれれば、自分の仕事は楽になるのではないだろうか。 「便利」で「安い」というおいしい話には、回り回って自分の仕事が忙しくなるという罠があるのだ。
便利さに慣れ過ぎてしまってはいけない。もうちょっとのんびりしようよ。便利に、早く、安く、ばかりを求めてばかりではなく、多少の不便さを許容することが、みんなの幸せにつながるのではないだろうか。
あべっかんでした。
と、ここで終わってしまってはエンジニアらしくないのでもう少し考えてみよう。
エンジニアの技術を仕事を楽にするために使え
コンビニは24時間開店していなくても、外にいろいろな自動販売機を設置すれば済むのではないか。ビジネスホテルには下着の自動販売機もある。サービスエリアにはいろいろ食べ物の自動販売機がある。からあげクンやおでんを自動販売機で売るようにしたら、今では美味くないかもしれない。けれども機械を改良してもっと美味しくできる余地はあるだろう。
サービスセンターや配送業にしても、ロボットを導入することで無人でできることをもっと増やせるだろう。
新しい資料を作るとき、このドキュメントを見てこのデータを参照して、という作業を夕方までにやっておくと、そのやり方を覚てしまう人工知能を持ったロボットを作れるかもしれない。夜中のうちに小人さんが仕事をやっておいてくれた、というのが現実化すれば徹夜組も減る。
新しい技術は、新製品を作って金儲けをするという目的に使われがちだ。でもそれだけではいけない。新しいモノをどんどん作って社会を急かすためばかりではなく、労働者を楽にするためにエンジニアの技術を使うべきではないだろうか。
もう一回、あべっかんでした。