創る人と使う人
現代の作りすぎ問題
今、中国が凄いらしい。ちょっと国外の事情に詳しい人に聞いた話だと、新しいビルがバンバン建設されて活気づいているとのことだ。分野によっては、日本はもう追い越されてるかもしれない。ここ最近の二十年でも大きな変化と発展を遂げているように思う。中国がここまで勢いづくとは、二十年前ではなかなか想像できなかっただろう。
しかし、この先二十年後、あの高層ビル群がどうなるか予想がつく人はいるだろうか。だいたいの人は、漠然と今の状態が続くと思っていることだろう。バンバン建てたビルというのも、なかなか維持費はかかる。特に、近代的な設備が揃ったビルほど維持費はかさむ。ビルを建てた会社が、そのお金を稼ぎ続けられる保証はどこにもない。
あのビル群が凄いという話はよく聞くが、どう使われているかという情報はあまり聞かない。どんなにインパクトがあっても、品質が高くても、創ったものがどう維持されていくかは使う人しだいだ。北京オリンピックの時に建てられたスタジアムも、当時はかなり話題になった。しかし、今は使われなくなって廃墟のようになっているらしい。
人が生きていくのにあんなに多くのビルが必要なのだろうか。使う人のメリットより維持にかかる労力が上回れば負の遺産になってしまう。作り出すこのとの価値は作る人だけでは決まらない。使う人がどう使うかも価値の一つだ。創造という行為も同様だと思う。あまりにも「創造的」を追求しすぎた結果、作ったはいいが使われないという問題が多発するのかもしれない。
創造の目的が不純
イノベーションとか創造性とかビジネスで声高に叫ぶ人に言ってやりたい。お前、単に稼ぎたいだけだろ。純粋に何かを創造したいわけでも無い。だから不純だ。そういう人たちの元に、純粋に創造性を発揮したい人が集うと不幸になる。「稼ぎたいから創造性を発揮したい人の力を借りたい」と正直に言ってみてはどうだろうか。
実際、創造というのは一種の才能だ。そして、思うほど素晴らしいものでもない。創造っていうのは凄く効率が悪い。ソーシャルゲームのガチャみたいなものだ。レアアイテムを引き当てるのに、膨大な回数のガチャを回さなければならない。しかも、レアアイテムを引き当てても、他の人も引き当てたら相対的に価値が落ちる。そんなものだ。
そんな博打打ちみたいな特性を万人にもとめるのもナンセンスだ。創造性の高い人より、計算やってて間違えない人の方が汎用性は高い。あと、創造性の高い人は人としても一癖、二癖ある。人と同じ事をしている人間が人と違う発想をすることはない。人と違うものを創りだす人は人と違う発想をする。今の日本で、真っ先につまはじきされる人種だ。
自分で創造したい理由なんて、たんに「かっこいいから」もしくは、先を行くことで既得権のようなものを得たいからだろう。単に優れたいことが目的であれば、人が創りだしたものを使わせてもらう方が圧倒的に現実的だ。そしてそれでいい。本当に使いこなせば、創造性は発揮できなくても能力は存分に発揮できる。それはれっきと素晴らしいことだ。
創造一に対して使用者一万人
一つの創造が価値を発揮するには、バックボーンは一万人くらい必要だとおもう。基準は、プロのアーティストになって、お金を出してくれるファンがこのくらいいればアイデンティティーを保てるだろうというくらいの人数だ。アーティストと言えば自分の世界を創って売り出す、いわばクリエイティブの代表格みたいなものだ。
ものにもよるが、ウェブサービスにしても利用者が数万、数十万はいないとサービスは成り立たないだろう。創造とは使う人とセットになって成り立つものだ。創る人と使う人がかみ合って、初めて創造の価値が発揮される。創造とは、一人で成り立つものではないということだ。
何かを創りだすことで食べていくというのは、実は効率がすごく悪い。同じ食べていくのであれば、一万人ファンのいるアーティストになるより、普通の工場で働いく方が楽だ。また、食べていこうと思うなら創り続けなければならない。肉体的にも精神的にもかなりしんどい。
創造なんて無理に仕事でやるもんじゃない。また、それができないからといって悔やむこともないし、恥じることもない。自分ができるならやればいいし、できないならやらなくていい。無理に創造力を捻り出してお金を稼いでもしんどいだけだ。誰も幸福にならない。やる人や関わる人が喜びを感じること。これが最も大事だと思う。
良い使い手になろう
何かを創りだせる人の方が幸福そうに感じるかもしれない。しかし、創り出す人というのは意外と淡々とやっている。私も多くのコラムを書いているが、数と質を追求すると淡々と取り組む方が成果は出る。書いて確かに楽しいが、楽しむだけなら人の書いた文章を読む方が手っ取り早い。
何かを創造することで喜びを感じることができるのと同じように、何かを使いこなすことで喜びを感じることもできる。アーティストのパフォーマンスは良質なファンによって支えられている。同じように、質の高いWebサービスは良質な利用者で支えられている。世の中に必要なのは良質な利用者だ。
誰かのイノベーションを待つのではなく、自分の身の回りのものを見直そう。最新技術を追い求めるより、ExcelやWordを丁寧に使えるようになる方が仕事を有利に進めることができるようになる。何か目新しいものを創るより、手元にあるものを使いこなす方が先だ。もしくは、人が創ったものを上手く利用しよう。
良い使い手になれると、自分の中でイノベーションが起きる。表現を変えれば、多くの気付きを得ることができる。創る人か使う人かではなく、対象にどれだけ真摯に向かい合うかで得られるものは決まる。使う人というのは、「その他大勢」のザコではない。支える人だ。ただ使う。それでも真摯に使うのであれば、創ること同様にすばらしいことだ。
コメント
匿名
いいこと言うなあ