意見を言う力
人にものを言うための覚悟
最近、同僚にこんなことを言われた。「そんな、自分の意見をバスバス言うなんてできませんよ。そこまで自信とか確信とかありませんし。」私はこの言葉にハッとした。ご存知の通り、私はコラムで言いたい事をバスバス言っている。クソコメントがあったら、容赦なく反論、論破する。場合によっては、キッチリとどめを刺す。
自覚は無いが、普通の人がなかなかできないことを、いとも簡単にやってしまっていらしい。これが良いか悪いかはさておいて、普通ではないということだ。私にはその認識が無かった。言いたいなら言えばいいじゃん。というところまでしか思索が及んでいなかった。そうか。私は人に意見を言うという行為に慣れている。だが、普通の人はそうではなかったんだと。
特に大勢の人に対して意見を言ったり、重要な場面で意見を言う状況であればなおさらだ。こういう場面では押し黙ってしまうのが日本人というものだ。意見を言うという行為に慣れていない。意見を言った時に反発されるという恐怖や、相手がどう考えているか分からない恐怖というのもあるだろう。意見を言うにはそれなりの勇気が要る。
特にエンジニアであれば、技術的なことで意見を求められることが多い。言うべき内容、裏付けを揃えたなら、あと必要なのはちょっとした覚悟だけだ。ここで勇気を振り絞ることができない人が多いように思う。では、どうすれば勇気を出して意見が言えるようになるのだろうか。それをテーマにコラムを書いてみようと思う。
意見はまちがえてもいいものだ
決断は間違えてはいけないが、意見は間違えてもいいのだ。報告は事実を元に行う必要があるが、意見は予想でも良い。意見は結論ではないのだ。足りないものがあれば、後から付け足していけばいい。間違えているなら、修正すればいい。意見に必要なのはコンセプトだ。そのコンセプトを伝えることが意見を言うことの意味だ。
そもそも、意見とは何だろうか。ネットで調べてみたら、「ある問題に対しての考え」と出ていた。逆説的に考えていくと、意見を決断と直結させる人は、意見と決断の間に思索を置いていないと言える。これは短絡的ではないだろうか。意見に正解しか許さない人は、簡単に考えて正解が導き出せる程度の問題にしか向き合っていないのだろう。つまり、安直だ。
意見の段階で間違えても問題は無い。意見は自由な発想で発言して良いものなのだ。こう考えるだけでも、かなり楽に意見が言えるようになるはずだ。現に、親しい人同士であれば活発に意見を出せるはずだ。親しいが故に、間違いても許されるし、自由な発想が認められるからだ。そういう場を作れば、意見は活発に交わされる。
ただ、ここで間違えてはいけないのは、必要なのは人間関係ではない。あくまで認められることだ。意見の意味が的確に検討されて、返答されるということだ。人間関係に偏ると、「誰々が言ったから」という理由で検討のプロセスが省かれる。結局、その誰々の考えだけが通るので、意見を言う意味が無くなる。意見は検討されてこそ、新しいテーマにつながり、新しい意見へと繋がっていくのだ。
技術者としてどう意見すべきか
とは言っても、技術者の方というのは技術を背景に意見を求められる。「意見は間違えてもいいものだ」なんて真っ向から言ったら、信用を失ってしまいかねない。発想は自由でいいが、技術的な根拠を元に意見を言う必要があるだろう。発想は間違えていてもいいが、技術的な根拠は可能な限り正確に。ということだ。
ただし、この技術を裏付けにした自由な発想というのが、ものすごく難しい。自由な発想というのは、定石を覆したり、人が思いつかないような組み合わせを弾き出すことがある。普段、人に言われた通りの仕事しかしない人では、技術的な根拠を示しきれない。技術に対して深い知識や経験が問われるのだ。
つまり、言われた通りの仕事しかできない人では、自由な発想は無理だということだ。そもそも、言われた通りにやることを前提にするので、意見を出してどうこうするという発想が浮かばない。現にそういう人は意見を言わない。ただ付和雷同に終始して、問題が起きても判断は上に丸投げだ。
もし、エンジニアとして意見を言える力を伸ばしたいと思うなら、多くの試行錯誤が必要だろう。一見無意味に見えるかもしれないが、同じことを何度も繰り返したり、わざとうまくいかない設定を試してみたりと。こういう思考錯誤を、技術の学習の一環として積み重ねることだ。
意見はソシャゲのガチャに似ている
唐突な話で申し訳ないが、ゲームで課金をしたことがあるだろうか。意見を言うということは、課金してガチャを引くことに似ている。百回引いて一回レアが出ればめっけものだ。現状にヒットした意見が出る確率もそんなものだろう。
確実にレアを引く前提で考えたら、ガチャなんて詐欺以外の何物でもない。引かずして延々と抗議しつづけるだろう。意見を言うのも同じだ。鶴の一声を求める人ほど、延々と文句を言い続ける。ガチャでレアが欲しければ、淡々と回し続けるしかない。同じように、鶴の一声が欲しければ、淡々と意見を聞き続けるしかない。
意見を出す方も同じだ。ダメならだめで、次の手を考えて意見を出し続けよう。もちろん、思索するためのリソースは消費する。ダメなら次、ダメなら次と、淡々と挑み続けないと、良い意見は出てこない。RPGでのレベル上げみたいなものだ。気が付くと、思索する力がレベルアップしていたりする。
現代人は圧倒的に物事を考えなくなった。人間関係や権力で、思索のプロセスをすっ飛ばして決定を下すことが多い。また、自分のエゴを通すために事実を捻じ曲げる。こういうズルをやらないというだけでも、思索力は飛躍的に向上する。もし不条理に思うことがあるなら、ぜひ意見を言ってみたらどうだろう。その一言が、次の成長の足掛かりになることだろう。
コメント
仲澤@失業者
たしかに意見がでないときがありまよね。
そんなときは、あえて間違った(結論を導く可能性のある)意見を言ってみる実験、
ってのをやってみます。
たまに、まんま通りそうになってあわてることもありますけど。
山無駄
日本人は、意見と人格の間が狭い様に感じますね。
意見は、いま時点の仮説なんだから、間違いを指摘されれば考え方の修正をすれば良いだけなんだけど、どうも人格まで否定されると思い込んでしまいムキになってしまう人が多い気がします。
逆に、人格を否定されたくないから意見を言いたくない人もいますし。
TPOさえわきまえれば、なるべく意見はいって、過ちがあれば修正す出来れば、それこそ人格も成長するのでしょうけども。
y
こんにちは。
①コンセプトの後ろ盾となる事実を正確に把握するスキル
②事実を元に鳥瞰的観点からのコンセプトを構築できるスキル
があれば、自分のロールと誰に対していうべきかを考えるだけで
意見をいう力はつく気がします。
開発現場に限れば、
①はソースコードやログを見る
②は業務モデリングの精度を上げる
の繰り返しだけでスキルはあがると思います。