いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

汝、孤高なる道を往け!

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■君は一人でディズニーランドに行けるか

 東京ディズニーランド。今や遊園地というより、日本を代表するリゾート地だ。周りには高級ホテルが立ち並び、おしゃれなショッピングセンターまで隣接する。海沿いには素敵な公園もある。全国各地から多くの観光客が訪れる。

 そこで私は一つのことに気付く。多くの観光客が訪れているが、一人で訪れる者はほとんどいないのだ。もし、ディズニーランド自体に楽しさの本質があるのなら、一人で行っても楽しいはずだ。事実、そういう熱狂的なディズニーファンもいるらしい。

 本当に楽しいと思うなら、一人でも行動できるはずだ。君が楽しいと思っているもの、欲しいと思っているもの。それは、君の意思で楽しいと思っているのだろうか。欲しいと思っているのだろうか。

■君の進む道を問う

 人は生きていく上で、必ず道を選ぶ。少なくとも、現代の日本では自分の進むべき道は自分で選ぶことができる。道といっても職業とか結婚相手だけではない。自分の生きていくためのスタイルだ。何を思い、何を求めるかということだ。

 ここで問う。君の選んだ道は、群れる家畜の道だろうか。孤高なるオオカミの道だろうか。家畜の道を往くなら、そこには安らぎがあるだろう。決してそれは恥じるべきではない。ただし、ここで考えて欲しい。君は自分の意思で進むべき道を選んだのだろうか。

 もしかしたら、選ぶという概念すら思い浮かばずに、周りに流されてはいないだろうか。二つの道を、自分の目で見て一つを選ぶ。その行為が崇高なのだ。そして、選んだ道を悔いを残さずに進むことが、人の魂を揺さぶるのだ。

■孤高なる者の武器

 安らぎに溺れると、人は何かを失っていく。その一つに、野性的な観察力というのがある。多分、それが何のことか分る人は少ないだろう。理解したければ、一人でディズニーランドへ行こう。身をもって実感できる。

 一人でディズニーランドに行くと、色々なものが見えてくる。例えば、イッツァ・スモールワールドの池水の中にコケが生えている部分があったり、ホーンテッドマンションで、機構部分が見切れているオバケが何体かいることに気付く。また、レストランに入ると、生々しい別れ話をしてるカップルがいたりする。

 カワイイ恋人とホンワカしてる人では絶対に見えない世界が、平常心をもって観察することで見えてくる。生暖かいオブラートを引きはがした、現実という名の真実だ。そういう野性的な観察力というのは、エンジニアをやっていく上で、強力な武器となるのだ。

■孤高という宿命

 孤独に高いと書いて、孤高と読む。もし君がずば抜けて高い能力や独特な価値観を持っていたとしたら。万人が君を理解することはできない。普通の人が理解しえない程の高度な思想、技術を持っていると、話の通じる人が限られてくる。故に孤立しやすくなる。ただの協調性が低いのとは訳が違う。

 コミュニケーション能力とか協調性を求める企業が多い。そんな企業に問いたい。自分の知らない世界を切り開く気はあるのだろうか。高い技術や能力を持つ人が、常に自分に合わせてくれるとは限らない。また、自分の持つ概念でしか物を見れない人は、ずば抜けた能力を持つ人がただの変人にしか見えない。

 最近、人間関係だけで何とかしようとする人が多いように思う。故に、人間関係外の事に目がいかなくなってはいないだろうか。人間関係で恩恵を受けすぎると、自分で見れる世界が狭くなり易い。一人でいる時間、じっくりと考えることの大切さを忘れていないだろうか。

 

Comment(1)

コメント

仲澤@失業者

ディズニー単独登頂はお金もかかるので、
もちっと簡単なやつはどうでしょう(笑)。

一人で飯を食う。

これってなんと言うのでしょうかねぇ・・・孤食?
まぁ子供にはお勧めしませんが。

込み合っている社食でトレー持った集団がうろつくのって
いかがなものかと思う、今日この頃です
(なぜそうまでして毎回同じメンバで一緒に食いたいのかまったく不明)。

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