いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

君におっぱいを語られたくない!

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■エンジニア界隈でよく見る無駄な議論

 議論をするのが好きなエンジニアは多い。だが、たまに議論の仕方が下手な人がいたりする。何を持って下手かというと、ヒートアップしてるかどうかだ。自分の意見を言いたくて仕方のない時に、きちんと取るべきプロセスを取って発言するというのは難しい。

 この前もちょっとそんな場面に遭遇した。題材となるミス自体はちょっとしたものだった。ただ、インパクトが強かったり、思い込みが入ると、たちまち議論はヒートアップする。戒めるべき点を一言いえば済む状況で、ヒートアップしても大した利益は無い。ヒートアップした議論の渦に巻き込まれて、醜態をさらさないためのテクニックは必要だ。

■そこでおっぱいだ。

 ヒートアップして醜態をさらさないための良いテクニックを教えよう。自分の主張したい内容をおっぱいに置換するのだ。例えば、スタティックが云々議論がヒートアップしていたとしよう。自分が発言したくてたまらなくなった内容を、おっぱいに変換しよう。

 「おっぱいが重複避けるために、使われるおっぱいが公開されて、どこからでもおっぱいが見れてしまう。それによって、おっぱいおっぱいが・・・云々」

 変換した用語は関心の無い人にとっては、どれも同じように聞こえる。用語を知らない人にしてみれば、元々意味が分からないので、おっぱいに置換しても大した違いはない。用語をおっぱいに置換した時、自分の話を知らない人が聞くとどう聞こえるかがわかるのだ。

■だからおっぱいなのだ。

 置換する言葉におっぱいを選んだ理由はある。置換を痴漢とかけて、おっぱいに結び付けるとか、そんな風情のある理由ではない。強いこだわりと言うのが、議論とおっぱいに共通するからだ。

 どうしても相手のミスが許されない理由。それをおっぱいに変換してみよう。相手のミスが許せないほど、その理由を追求したくなるものだ。それは、青臭い思春期の青年が、おっぱいに馳せる情熱に似ている。勢いが止まらないのだ。

 言いたくて仕方のない衝動をおっぱいで代弁することで、自分を客観的に見ることができる。そして、クールダウンすることができるのだ。激情に任せて相手を非難する「君にそれを語られたくない!」は、「君におっぱいを語られたくない!」とほとんど変わりはない。

■改めて議論の仕方を考える

 議論とは喧嘩ではない。ついでに言うなら、利益、不利益でもない。議論は相手を理解するためになされるべきものだ。自分の意見を突き通したところで得られる利益は無い。論破して得意な気分になれるだけだ。そんな奢りが積み重なると、思わぬ醜態をさらしてしまう。

 コラムを書いているとよくあるが、どんなに議論が炎上したとしても、二か月後、そこに再び意見する者はいなくなる。冷め切ったコメント欄に自分の意見を書き綴ることができるのなら、その意見は本物だと思う。

 議論することをおっぱいなんてふざけた言葉を使って語るな!言いたい方もいるかもしれない。しかし、内容はふざけたものを書いたつもりはない。おっぱいの一言に惑わされず、きちんと内容を読んでいるかを、私は見ています。

 まず、相手の言葉をよく聞いて、よく読んで言葉を交わすこと。それが議論だ。それは、このコラムを読んで、おっぱいの一言に惑わされないくらいに難しいことなのだ。

Comment(1)

コメント

EarlCrey

これはひどいwwww

ありがとうございます。
ちょうどヒートアップしそう(いやもうしてたかも・・・)だったのですが、
おかげさまでかなり落ち着きました。というか笑えてきた。

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