意外と気づかない大卒の傾向
■大卒の実際
エンジニアって頭脳労働の代表格っぽい。私がIT業界に入って思ったのが大卒多いなと。ちなみに、私は専門学校卒業だ。しかも芸術系でIT全然関係ないです。専門学校とはいっても、実際は新聞配りながら学校に行っていたので半分社会人みたいなものだった。
一般的に大卒というと知性が高くまじめだ。実際どうかはよく分からないが。私的に見ると、それとプラスして大卒の人の方が中卒や高卒に比べて以下のような傾向がある。
- 調子の良いときに発揮する能力は凄い
- 暗記や知識に頼りやすい
- 個人プレーに走りやすい
- 意外とツメが甘い
いい大学を出てる人ほどこういう傾向は強い。もちろん、こういうのを乗り越える人もいるし、勤めてる会社の影響がさらに強ければ、別の傾向が出てくる人もいる。全ての人に当てはまるわけではない。私の持つ観点の一つです。
■傾向の出てくる理由
なんでこういう傾向が出るかというと簡単だ。受験に勝ち残るためにやったことが癖になってるのだ。なので、スポーツや芸術分野の推薦で大学へ行った人は、もっと別な傾向があったりする。多感な時期にやったことって自分の癖になりやすい。しかも、いい大学へ行くほど全力で受験勉強をするので、傾向が強くなる。
とちらかといえば大卒の傾向というより、受験で受けた影響という方が正しいかもしれない。特にエンジニアの場合、勉強することでスキルを上げていく。言葉は同じ勉強だが、受験勉強とスキルアップの訓練を同じ感覚でこなす人は、けっこう多い。エンジニアという仕事でもこの影響は出やすいという感覚がある。
■良い悪いでなく、あくまで傾向
やはり、知性は高いに越したことはないし、まじめな方が仕事がしやすい。そんなわけで、大卒を好む企業は多い。しかし実際は、知識を基にした頭の良さだと、いわれたことをこなすのは優秀だが、新しい発想が苦手だったりする。きちんと目標を立ててがんばるが、目標しか見ずに盲目的になることもある。
結局、優秀な人を生かすには、引き立てる人が必要になってくるんじゃないだろうか。大卒の人を…… 一応、優秀な人として“主人公”と例えるなら、脇役に当たる人はどれだけいるのだろうか。企業にしても、優秀な“主人公”ばかり欲しがる。教育にしても、優秀な“主人公”ばかり育てようとする。結果として、脇役不足で物語がつまらなくなる。
そんな人材の偏りが競争力の低下や、幸福度の低下に繋がっているように思う。日本は、大卒とかエリートを量産し過ぎてしまったのではないだろうか。大卒やエリートという人たちを受け止める土台が貧弱だ。
■バリエーションだよ。うん。
確かに優れた人がたくさんいると、凄いことができそうな気になれる。でも実際どうだろう。優れた人を求めるのはいいが、劣る人を排除しようとしたりしてないだろうか。そんな事すると、チームワークを阻害して逆に結果が出せなくなる。そういう意味で、やさしさを肯定したいのではなく優れたチームワークのために人を優劣で見たくはない。
優れた人材を集めるのもいいが、結果として、組織の多様性が破壊されることが多い。優れた人といいつつも、結局は自分の都合のいいように動かせる人だったりしないだろうか。そんな人を集めるものだから、優れた人が集まるわけではなく、実際はイエスマンが集まることになる。
組織にいる人材には、もっとバリエーションがあっていいと思う。みんなが同じ考えで似たような性格では組織が変化しない。変化がないということは、成長もないということにも繋がる。いろんなタイプの人がいると、確かに疲れる。多様な考え方をまとめるにもエネルギーが要る。しかし、多様な人間の中で共存していくことで豊かな発想が生まれるんじゃないだろうか。そういうものが、発展の原動力になると考えている。
企業の募集要項が「大卒の新卒~25歳まで」とかじゃなく、「ヤンキー1人、オタク2名、初音ミクを熱く語れるヤツ1名」みたいな募集のやり方でもいいんじゃないかな。あくまで人を見るポイントは傾向だと思う。