エロスで考えるテクノロジの未来
■人の数だけエロスはある
世界の人口の約半分は男だ。この男たちが追い求めて止まないもの、エロス。女人という限られたフィールドに、これほどのバリエーションがあるのかと言うほどの広がりを見せる。
そして、エロスは人種、言葉を越えて通じ合えてしまう。そこに猥褻な画像1枚あれば、男たちは通じ合えてしまう。人の性(サガ)と業を感じずにおれない。
■テクノロジとの共通点
エロスとテクノロジ。この2つを「追求」というポイントから考察してみる。現代社会において、エロスの追求の対象はより大きな性的刺激。テクノロジの追求の対象は利便性による経済効果だ。
エロスは煩悩を根本として悶々とふくらみ続ける。テクノロジは効率よく経済効果を上げるために日々研ぎ澄まされていく。それらを満たしていくいことが社会的に肯定されている。
■見返りのと結果
ただしこの追求には問題がある。エロスの追求をしすぎると、倫理的な破綻をきたす。ここを追求しすぎると、俗に言う“変態”とカテゴライズされる人種となる。この“変態”となると、対象の選別条件が非常にシビアになるため、対象が得られず、時に社会的問題行為を引き起こすことさえある。
テクノロジについても同じことが言える。利便による経済効果を追求するあまり、デメリットの部分をひた隠しにしてしまう。そのために、地球規模での環境汚染や経済格差を生み出している。ここについては言うまでもない。
そう、両者に共通するもの、それは欲望を満足させるためのエゴを背景としていることだ。
■真に追求すべきもの
下衆な例えではあるが、現代社会におけるテクノロジの追求は、エロスと同列と考えている。テクノロジにしろ、エロスにしろ、追求する上での一番の問題。それが“エゴ”だ。この“エゴ”を根本とする以上、広がる世界の先にはトラブルや破綻しかない。
本当に解決するべき問題に目を向けなければ、これ以上のテクノロジの発展は無いように思える。エゴを捨てたとき、私たちの想像を越えた発展を成し遂げるだろう。
どう発展をとげるかって?それは分からない。エロスがエゴを離れ、愛に昇華するように、きっと今よりもっと崇高なものに変貌するのではないだろうか。きっと、エゴにまみれた私たちでは想像がつかないだろう。