いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

Z・刻をこえて

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■今は動けないそれが運命(さだめ)だけど

 現役バリバリで仕事をしていると、なかなか動けない。仕事やなんやらと忙しい。休日といっても、いろいろな誘惑が多く、なかなか自分を見つめるための時間が取れないのではないだろうか。そして、気がつけば何か得られたようで、実は何も得られていない。そんな虚無感を感じたことはないだろうか。

 私たちは、自由なように見えて、実はいろいろな制約が多くかかっているのではないだろうか。仕事とか人間関係もそうだが、誘惑に心揺れることが多いので、意外に自分を見つめ直す時間が少ないのかもしれない。

■諦めはしない。もう目覚めたから

 そんな制約が多いことも気づかないとなかなか分からない。どっぷりと仕事や人間関係にはまり込んでるうちはあまりそんなことを考えないと思う。20代の内はひたすら突っ走り、30代を超えると、自分を振り返って限界が見えてしまう。そんな話をよく聞く。

 自分を振り返った時、自分のことを考えた時間の少ない人は、焦りを感じることがあるそうだ。仕事にしても、これが本当に自分のやりたかったことだろうか。とか。

 まぁ、私も20代の後半にそんな焦りを感じていました。しかし、最近は少し変わってきました。実際はそんなに焦る必要もないんじゃないか。年をとってからでもそう捨てたものでもないのではないか。と、そう思うようになってきた。ちょっとした焦りから、何かに気づいて目が覚めた感覚です。

■そこに残った若さ取り出し

 20を超えると勢いが無くなってくる。自分に残された“若さ”を絞り出してどれだけ走り続けられるのだろうか。そんな、タイムリミット感が迫ってくる。

 しかし、若さ以外に、もっと深い生き方のコツみたいなものがあるのではないだろうか?

 いろいろ試行錯誤を繰り返して、いろいろな物事に納得のいった状態。頑張ってお金持ちになったり高い地位に上り詰めたりしなくても、いろいろなものが見える境地というのがあるのではないだろうか。しかも、誰を蹴落とすわけでもなく、皆が平等にたどり着ける。そんな境地があるのではないだろうか。

■Believing a sign of “Z”

 その境地にたどり着くためのキーワード、それは“Z”だ。“ZiZii”(ジジイ)の“Z”だ。人生の最後が近いという意味も込めて、“JiJii”(じじい↓)ではなく“ZiZii”(ジジイ↑)だ。一見、人生の終焉を目の前にした悲壮感を感じる人も多いが、老いてからが楽しいという話もよく聞く。最後が見えるからこそ、人生の総集編のような反省ができたり、おおくのものに捕われる無意味さを知る事もできるのかもしれない。

 ようは、目指したものの違いだと思う。何かを得ようとするガツガツした生き方ばかりしていると、こういう老いてなお楽しいという境地にたどり着けないのかもしれない。

 特別な才能とかなくっても、酸いも甘いもしっかりと噛み締めていけば、自然といろいろなことが理解できて、落ち着いた状態になるのだろうか。実際、そういう年齢まで生きてないのでわからないが、最後に気づけることもあると思うと、意外と希望に満ちているかもしれない。

 Bilieving a sign of  “Z”。終着点を一つ、キーワードに信じてみたくなった。

 ZiZii(ジジイ)時を超えて今!

元ネタ♪

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