いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

「5人が1000人を凌駕する」について

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■けた外れに「いいね」がついたコラム

 先々週だったろうか。「優秀なエンジニア5人は二流の1000人を完全に凌駕する」というコラムが公開された。三週連続ランクイン(だったかな)で、ツイートの数やらが他のコラムとけたが違う。やはり、裏付けのあるデータを元にかかれた記事で、読む人の何かをがっちり掴んだのだろう。素晴らしいです。

 5人が1000人を凌駕するという内容の記事なんですが、これを見て”一騎当千”という言葉を思い出した。平たく言えば、けた外れに強いと。ある意味、このコラムが5人が1000人を凌駕したようなアクセス数を叩き出したんじゃなかろうか。まさに、一騎当千だなと思いました。

 で、コメントを見て気になった事がある。実際にそんな事が有り得るかという話題が出ている。私は有り得ると思う。ただし、皆が思うほどすごいものではないと私は考えます。

■隙を突く

 まず、正当に5人が1000人を凌駕する方法からいきます。単純に、みんなが思いつかなかった事を実行することです。大体、いつの時代にも常識というものがある。常識があるが故に、普通の人が考えない“穴”が存在します。そこを突いて成功した人がコロンブスです。5人が1000人を凌駕するどころか、歴史を塗り替えました。

 単純に能力面しか見なければとんでもない話です。発想1つでいろいろなものが覆る事があります。本当に優れようと思うなら、単純な努力以外の要素も考慮に入れるべきではないでしょうか。

■現実は思うものと違う

 もう1つ、状況を斜めに見た5人が1000人を凌駕する方法です。方法ではない。どちらかといえば状況です。1000人集まっても、管理がずさんで、混乱しているようなプロジェクトなんていくらでもある。そんなプロジェクトであれば、まともな人が5人集まったプロジェクトに凌駕されるんじゃないだろうかという事だ。

 能力は単純な掛け算じゃない。ベクトルの合成だ。この時点で、大半の人の認識がずれている。方向も考えずにつなぎ合わせると、相殺してゼロになる事もある。また、仕組み的に無理のある方法を、強引に遂行するような例も多々見かける。

 そんなことで、まともな方法を取った5人に凌駕されて当然とも言える。

■現実の厳しさ

 5人が1000人を凌駕する事は可能だ。しかし、凌駕し続けるとしたらどうだろうか。例えば、アーティストの小室哲哉さんを思い出してほしい。日本の音楽を動かすくらいの功績を残したが、今もそういう功績を残し続けているだろうか。

 エンジニアとして考えるなら、時代が変われば技術も変わる。開発手法なんかも、新しいものが登場すれば、古いものは廃れていく。気が付けば、人より優れていたはずの技術が使われないものになっていたなんて有り得る。こういった事情は、小室哲哉さんが追い続けたトレンドと同じではないだろうか。

 また、人を出し抜くことで後に引けなくなったりもする。目覚ましい実力を発揮して、独立を果たしたり高い立場に就いたりすると、未知の重圧がかかる。それでいて、変わらずに実力を発揮し続けられるだろうか?

■優れる事にこだわり過ぎると、足元をすくわれやしないだろうか

 というか、私がすくわれたことがある。優れるというのは、人と比べてという見方の上で成り立つ。優れる事にこだわり過ぎると、「何かを実現するため」でなく、「誰かと比べるため」と、目的がすり変わる事があります。また、何かと単独行動を起こしがちになったりする。

 1人が1000人を凌駕でなく、5人が1000人を凌駕というのがミソだと思う。これは単身の能力より、5人の結束ということに核心があるのではないだろうか。つまり、人数の問題でなく、結束の問題だと。



 最後に、「優秀なエンジニア5人は二流の1000人を完全に凌駕する」をお書きになった西村さまへ。非常に良いコラムでしたので、引用させて頂きました。ありがとうございます。

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