【小説 パパはゲームプログラマー】第二十一話 勇者の国1
「これ以上近づいたら、舌を噛んで死にます」
黒髪の美しい女は無表情で、俺に向かってそう言った。
「死ねばいい。出来るならな」
俺は精一杯の恐ろしい表情でそう言ってやると、女の両肩に手を掛けた。
勢いをつけ、押し倒す。
女の身体は羽のように軽く、ふわりと後ろに倒れる。
小さな後頭部が羽毛布団の上ではねた。
俺は女の頬に手を触れた。
冷たくて柔らかい。
女の目は真っすぐ俺を見ていた。
俺はその朱色の唇を奪おうとする。
だが--
女の口の端から血があふれ出ている。
こいつ、本気で舌を噛み切るつもりだ。
「やめろ! 頼むから、やめるんだ!」
俺は女の口に手を入れ、自殺を止めようとする。
口の中は血でぬるりとしていた。
女は起き上がり、白い面《おもて》に真紅の血を滴らせながら、動転する俺を紫紺の瞳で見下ろした。
「憐れな人。あなたは人から愛されたことが無いから、こんなやり方しか出来ないのね」
落ち込む俺の肩を、女が両手で優しく包み込む。
俺の乱れた心がほっこりと暖かく癒されて行く。
女の名前はマリナ。
一年半前。
魔王討伐が完了し、俺は晴れてこの大陸の王となった。
圧政をしくことで、皆、俺にひれ伏す。
うるさいディオ王は流罪にしてやった。
欲しいものは何でも手に入る。
俺は理想の女を妻にしたいと思った。
先代の王様、ディオの娘であるジェニ姫は、顔は美しかったが性格が全く合わなかった。
婚約破棄してやったら、俺の頬をひっぱたきやがったので追放してやった。
俺は母親を知らない。
だから、優しい母親の様な女を求めていた。
市井を歩き、目に付く女は親衛隊を派遣し、無理やり引っ張てこさせた。
だが、どの女でも満足出来なかった。
心は満たされない。
そんな無為な日々。
マリナを見つけたのは幸運だった。
今思えば、胸を締め付けられる日々の始まりだったが。
マリクの占いで北の方角に良縁があるという。
俺は親衛隊を連れ、北へ向かった。。
薄汚い教会の横を通った時、
純白のドレスを着たマリナ(この時、俺はまだマリナの名前を知らないが)がそこにいた。
一目ぼれだった。
俺は声を掛けようとした。
だが、王が自ら平民と接する訳には行かない。
国民に知られたら、なめられる。
躊躇していると、俺の両目に驚くべき光景が飛び込んで来た。
ケンタ。
黒いタキシードを着た雑用係。
俺がパーティから追放し、平民に落とした男。
そんな男がマリナと腕を組んでいる。
俺は気が狂いそうになった。
ケンタを平民に落としたのは理由がある。
平民にしたことでマリナと知り合えたのか?(後でマリナに訊いたら、ケンタは彼女が拾って育てたらしい。その事実も羨ましい)
俺は結婚式の様子をじっと見ていた。
どす黒い感情が俺の中から湧いて来る。
「さすがに人妻は......」
親衛隊長が俺の決定を覆そうとする。
だが、俺は指示した。
「やれ」
マリナとケンタが誓いの口づけをする寸前で、結婚式をメチャクチャにしてやった。
力づくで俺はマリナを奪った。
ケンタは自分の妻を助ける事すら出来ず、無様に地面に突っ伏すだけだった。
その日から、マリナと俺は同じ屋根の下(城)で暮らすことになった。
彼女にはアンティーク調の家具で彩られた広い部屋を与えた。
豪華な食事も与えたし、召使いを何人も当てがった。
「私には、そんなものいりません。それよりも、今すぐケンタの元に帰して下さい」
俺は自分の思いが通じなかったことに怒りを感じた。
愛しさと憎らしさがない交ぜになった複雑な感情が胸に湧いて来た。
思わず手を出しそうになるが、寸前で思い留まった。
俺は地道な努力を続けた。
彼女の心を振り向かせるために。
だが、いつも彼女の心はケンタの元にあった。
俺は賢者マリクがいるブーコック市に向かった。
「マリク、俺はケンタを殺す」
奴は今、スライム島にいる。
奴が死ねば、マリナの気持ちも変わるはずだ。
「やめておけ」
マリクは首を振った。
「なぜだ?」
「そんなことをすれば、マリナは後追い自殺するだろう」
俺はマリナの気持ちを知っているだけに、そのことを否定出来なかった。
そして、そこまでマリナに想われているケンタに嫉妬した。
「くっ......あんな雑用係が......」
俺はマリナを振り向かせるために強引な手を使った。
まず、彼女を地下の牢獄に閉じ込めた。
暗くジメジメした石畳の地下牢で、何日も食事も与えず放置した。
マリナが音を上げて泣きついて来るまでだ。
だが、何日経ってもマリナは無表情のままだった。
その内、見る見る痩せて行き、白い面《おもて》が更に白くなっていく。
俺はマリナが死ぬんじゃないかと心配になり、牢から出してしまった。
何のことはない、俺が音を上げただけだった。
愛する人をこんな目に合わせるなんて。
泣きながら謝罪する俺の頭を、そっと撫でてくれた。
「よいのです」
こんな俺を許してくれる何て、どこまで深い優しさを持った女なんだと思った。
俺はますますマリナに惚れこんでいった。
だが、彼女の心は変わらなかった。
「マリク、俺はどうしたらいい?」
俺はマリクにいつも相談する。
カンストの俺を創り上げ、魔王を討伐出来たのは、実はこの男のお陰だからだ。
魔王討伐パーティを組んだばかりの頃、俺はどちらかというとケンタよりも弱かった。
そもそも、パーティはディオ王のお眼鏡にかなったマリクを中心に結成された。
ギルドで強くも無いのに勇者気取りだった俺に声を掛けて来たのがマリクだった。
何で俺を選んだのか訊いたら
「強いて言うなら風貌が勇者っぽいから」
確かに俺は、精悍な顔つきだし身長も高く女にもモテた。
だが、仲間にした理由がそれだけかよ。
表向き俺をリーダーという形にして、マリクはメンバー集めを始めた。
イケメンの俺が爽やかな挨拶と共に声を掛ける。
皆、好印象を抱きパーティに加わってくれた。
「次はあいつだ」
そしてマリクが、最後に選んだのがケンタだった。
あいつは街の片隅で、背中にたくさんの荷物を背負い行商みたいなことをしていた。(今思えば、孤児院の資金稼ぎのためにガラクタでも売りさばいていたんだろう)
「正気か?」
あんな弱そうな奴、入れてどうするんだ?
不思議がる俺に、マリクはこう答えた。
「パーティには何でもやってくれる雑用係が必要だ。それに、あいつは面白いおもちゃだからな」
後半部分は何を言ってるか分からなかったが、まあ、マリクに従って声を掛けた。
ケンタは一度は断った。
だが、マリクを通してディオ王から勅命を出してもらい、強引にパーティに引き込んだ。
「よ、よろしくお願いします」
オドオドしたケンタを見てると、俺はイライラして来た。
賢者マリクは『能力監視《キャパシティーモニター》』で、ケンタのステータスを確認した。
俺とほとんど変わらないステータスに愕然とした。
目の前の卑屈な男と、俺が同レベルだという事実が、胸を締め付ける。
そして、旅立つ前の晩。
「グラン、ちょっと来い」
宿舎でメンバー全員が寝静まったことを確認したマリクは、俺をそっと起こした。
「お前とケンタ、どっちにしようかちょっと迷ったけど、私はお前をカンストさせることにした」
そう言うと、俺の頭頂部に手をかざし、詠唱する。
光の輪が、俺のつむじから現れる。
それが大きくなり俺の身体をすっぽり包むと、力が漲って来た。
「明日からよろしく頼むぞ」
次の日、魔王討伐の旅が始まった。
俺はリーダーとしてパーティの先頭に立ち、数々のモンスターを打ち破って来た。
マリクの魔法のお陰で、得られる経験値は他メンバーの5倍から10倍だった。
伸びしろも通常じゃ考えられないくらい準備されていた。
俺は日々、自身が成長していくことに快感を感じていた。
モンスターがアイテムをドロップする確率も、他メンバーとはけた違いに高い。
ただ、いつも疑問だった。
なんで、マリクはケンタじゃなくて俺を選んだのか。
あの時、マリクが気まぐれを起こしたら、俺じゃなく、ケンタが選ばれていたのでは......
そう思うと、俺はぞっとする。
「グラン。お前の夢が叶うぞ」
相談しに来た俺を、マリクが笑顔で迎えてくれた。
「それって......」
俺はマリクが手にしている小瓶を指差し問い掛けた。
「惚れ薬だ。遂に完成したぞ」
マリクが人差し指と親指でつまんでいる小瓶の中には、琥珀色の液体が入っている。
その液体に俺の顔が映り込む。
我ながら、何ともいえない表情だ。
困惑と歓喜そして自己嫌悪が混じり合ったような複雑な気持ちを、顔と言う額縁に、目、鼻、口で表したかの様だ。
「何を迷ってるんだ? お前がやることはただ一つ」
欲望のままに生きること。
「うう......」
マリクの言葉はいつも核心をついていた。
だが、こんなものを使ってマリナを振り向かせたとしても、それは本当の愛なんかじゃない。
「格好つけるんじゃない。お前は元々、あの女を牢獄に閉じ込め、言うことを聴かせようとしてたじゃないか。結局、お前は、何かの力を借りなければ、あの女をものに出来ないんだ」
「くっ......」
「それとも、このまま思いを果たせず死ぬか?」
マリクはそう言うと、瓶を持った手を振り上げた。
「ま、待って!」
俺はその動作に驚き、情けない声を上げる。
それを見て、ニヤリとするマリク。
「いいか? 飲み物に混ぜるだけでいい。それだけで効果がある」
「本当か?」
「ああ。この私が苦労の末、27ループ目でやっと創り上げたものだ。あんな小娘に効かないはずがない」
27ループ?
マリクはたまに訳が分からないことを言う。
マリクは一見小柄で大して強そうに見えない。
だが、優れた知性と、何物にも動じない態度。
年は俺より1こ上なだけだが、この世を知り尽くしたかの様な目をしている。
俺達とは違う世界で生きているのではと、その存在を遠くに感じる時がある。
ステータス的には俺と遜色ないはずだが、まだ見せたことも無い得体の知れないスキルを持っていそうなので気味が悪い。
その日の夜。
毎晩、俺とマリナは食事をする。
いつも会話は無い。
正確には一方的に俺が話すだけで、マリナは気まぐれに相づちを打つだけだ。
俺はそんな気まぐれに喜びつつ、彼女が食べ物を咀嚼する姿にドキドキする。
そのドキドキが、今日はいつもより強い。
「ありがとう。ソーニャ」
メイド服を着た給仕係の太った女、ソーニャがマリナのグラスに水を注ぐ。
マリナはソーニャから給仕される物しか食べないし、飲まない。
平民の出のソーニャと、同じく平民の出のマリナは出自が同じことから気が合う様だ。
城の中で仲良く話しているのを、よく見掛ける。
だから、マリナはソーニャが差し出す物に毒が入っているなど、夢にも思わないだろう。
否、毒じゃない。
惚れ薬だ。
マリナはグラスに口を付けた。
気付いていないようだ。
もしも、気付いたらこう言うだろうか......
「いっそ、毒でも盛って殺してくれればよかったのに」
俺は、思わず吹き出してしまった。
自分の愚かさに。
何が、勇者だ。
俺は最低だ。
だけど、俺はそれでもマリナが欲しかった。
そんな俺を不思議そうな顔でマリナが見ている。
グラスはもう空っぽだった。
「グラン......」
マリナの声は、今や、俺を寄せ付けまいとする硬い声では無かった。
甘く、柔らかい、まるで恋人が耳元で囁く様な声だった。
「好き......」
つづく