【小説 愛しのマリナ】第二話 ダメな後輩
六階建てのテナントビルの四、五、六階にブレインズ情報システムは入居していた。
面談の場所は四階と指定されていた。
慶太は森本に「ビルの前に着いたら連絡しろ」と伝えて、先に社長と面談会場に行くことにした。
入口にある受付に人はおらず、代わりに呼び出し用のベルと内線電話が置かれていた。
社長は呼び出しベルの方を「チン!」と鳴らした。
数秒待ったが、誰も現れなかった。
そこで社長は、内線電話を使った。
数回のコールの後、総務らしき女性が電話に出た。
「はい、ブレインズ情報システムです」
「お世話になっております、ダイナ情報サービスの生島です。プロジェクトの面談で来ました。荒川さんはおられますか?」
「少々お待ちください」
数分後、受付と執務室を仕切るパーティション越しに、一人の男がのっそりやってくるのが見えた。
小太りのその男は、抜け目のなさそうな目をしていた。
「お待たせしてすいません。荒川です」
慶太達の目の前に現れた小太りの男は表情も変えず、そして会釈もせず挨拶をした。
何日も剃っていないと思われる伸びた無精ひげと、目の下のクマがこれから配属されるプロジェクトの過酷さを物語っていた。
「ダイナ情報サービスの方ですね、社長さんとは二度目ですね......、そちらの方は、はじめまして、か?」
荒川は慶太の顔を見ると、そう言った。
「はい、よろしくお願いします。大沢慶太です」
最初の印象が肝心だと思っている慶太は、三十度のお辞儀を丁寧にゆっくりした。
そして、ゆっくり顔を上げた時、既に荒川は社長の方を見ていた。
名刺交換をするものとばかり思っていた慶太は、拍子抜けした。
「もう一人、来るんじゃなかったんですか?」
荒川は怪訝な顔をして、社長を問い詰めている。
「すいません、弊社の森本はちょっと体調が悪く病院に寄ってから来るとのことで、おそらく途中で面談に参加できます」
社長は口から出まかせを言ってごまかした。
「あ、そう。面談前に逃げたのかと思った」
荒川が馬鹿にしたような口調で言う。
自社の社員が逃亡という負の実績がある社長は、痛いところを突かれ愛想笑いをするしかなかった。
「あっちの、会議卓で話しましょうか」
会議卓を挟んで荒川、向かいに社長と慶太が座った。
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「私は開発リーダーの荒川です。よろしく」
「よろしくお願いします」
結局、名刺交換は無いままに、面談が始まった。
「これが、弊社大沢の職務経歴書です」
「あ、事前に貰ったやつね。だいたい目は通しましたよ」
荒川は慶太の職務経歴書を一瞥しただけで、会議卓の上にパサッと置いた。
「失礼します」女性社員がお茶を運んできた。
荒川はお茶をすすりながら、慶太に訊いてきた。
「JAVAとSQL出来ますか?」
「はい、出来ます」
慶太はそれまでVBのプロジェクトばかり関わっていた。
JAVAをやるのは入社してから受けた研修とOJT以来だ。
だが、社長からは「知っている」と言えと吹き込まれていたし、慶太としてもいつまでもVBと言うわけにはいかないので、これを機に習得しようと思っていた。
その時、慶太のスマホに森本からLINEメッセージが入った。
「今着きました。どこにいますか?」
謝罪もなく「どこにいますか?」とは、こいつは何てとぼけた奴なんだと、慶太は思った。
慶太は怒りというよりも、呆れに近い感情を抱いた。
「社長、森本が着いたそうです」
小声で社長に伝える。
「すいません、弊社の森本が今着いたみたいです」
「呼んでください」
荒川は頷いた。
「四階まで上がってこい」
慶太は電話で伝え、そしてエレベータホールで森本を待った。
数秒してエレベータが四階で止まり、扉が開くと森本がそのエレベータから出てきた。
慶太が嫌いなヨレヨレスーツに、三カ月は切ってないであろう不精に伸ばした髪。
そんな風貌の森本は、特に悪びれた様子もない。
「すいません、寝坊しちゃって」
「ばか、そんなこと言わなくてもいいんだよ。あっちに聞こえるだろ」
慶太はブレインズ情報システムの受付を指し示しながら、声を潜めて注意した。
「ん、おまえワイシャツの袖に黒いものが付いてるぞ?」
慶太は森本の右手首を指さして言った。
「あ、すいません」
シミにしては黒すぎるそのシミは、何か墨のようなものを思わせた。
「すいませんじゃねえよ、今日面談なんだからちゃんとした服装で来いよ。見つからないように上着で隠しとけよ」
真面目な慶太は服装や身だしなみにウルサイ男である。
「はい、はい」
慶太は「はい」は一回でいいと言いたくなったが、これ以上言うとウルサイと思われるのも嫌だし、時間も無いし、と思い面談が行われている会議卓に戻ることにした。
「これが、弊社森本の職務経歴書です」
社長がおもむろにカバンから取り出す。
「ふーん、君はJAVAとSQL出来る? 職務経歴書には前のプロジェクトでやってたって書いてあるけど」
「いえ、分かりません」
臆面もなく言い放つ森本の態度に、その場の空気が一瞬凍りついたような感じになった。
「え? じゃあ何で書いてあるの?」
荒川は不思議そうな顔をして訊ねた。
「前のプロジェクトでは最初ちょとJAVAやってたけど、すぐに雑用ばかりやらされて、プログラミングはほとんどやってませんでした。一応少しやってたという意味で書いてます。出来るってレベルではないです」
それを聞いた荒川は黙ったまま、森本の職務経歴書をじっと見ていた。
そして顔を上げると、社長に向かってこう言った。
「今回は大丈夫なんでしょうね?」
「は......はあ」
「はあ、じゃないよ!」
荒川は右の平手でバシッと会議卓を叩いた。
全員の湯呑の中のお茶がタプン、と揺れた。
慶太はビクッと肩を震わせた。
社長はそれが最適な処し方なのか分からないが、嵐が過ぎ去るのを待つかのように愛想笑いを浮かべてペコペコしている。
森本は我関せずといった態度で、慶太の湯呑に浮いた茶柱を見つめている。
「あんたらのところの社員のせいで、うちのスケジュールがどれだけ狂ったか分かってるの!?」
慶太はうんざりした。
この上下関係がこれからしばらく続くのかと思うと。
困惑し返答に窮している社長を見た慶太は、助け舟を出した。
「彼はまだ経験が浅いので、私が教えながら仕事させます」
すると、それを聞いた荒川は試すような口調で訊いてきた。
「教える余裕がないくらい忙しいよ? 大丈夫?」
「はい、前任者のリカバリーもしっかりやりますので、よろしくお願いします」
慶太は、この荒川という開発リーダーが、何だかこちらを軽く見ているということに対して歯がゆさを感じながらも、誠意を前面に出した口調で答えた。
ただでさえ逃亡者を出した会社の社員と思われているうえに、自分自身までも面談の時点で悪い印象を与えて働きにくくなることはご免だったのである。
荒川は、慶太の言葉に多少安心したのか「じゃ、結果はまた追って伝えますんで」、と面談の終了を告げた。
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面談を終えた慶太は会場となったそのビルを出ると、外が雨だということに気づき溜息をついた。
折り畳み傘をカバンから取り出し、後ろを振り返る。
トイレに寄っている森本が追いついてくるのを待った。
「大沢さん、すいません待たせちゃって、トイレが混んでて」
「大丈夫だよ。そこのベロッチェで社長を待とうか」
「社長は何してるんですか?」
「ああ、あっちの担当者とお金の話をするって言ってたから、時間かかるって。ベロッチェで待ってろってさ」
「お金の話って?」
「俺たちの単価の話だよ」
「なんで、面談の結果が出る前に金の話をしているんですか? まだ採用って決まった訳じゃないのに」
不思議そうに森本が慶太に訊いた。
「もう面談する前から採用が決まってるんだよ。俺たち」
「どういうことですか?」
人身御供にされたことも知らない森本を、哀れな目で慶太は見つめた。
つづく