筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

高等学校情報科の「師範」になりたかった

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 平成12年(2000年)、僕はわざわざ職業訓練校を抜け出して、わざわざ東京行きの切符を買って、新幹線と中央線に乗って、わざわざ大阪から東京の武蔵小金井まで行って、高等学校普通科「情報科」(この年新設)の高等学校教員資格認定試験を受けました。職業訓練校の先生(オブジェクト指向の強者)も偶然一緒でした。当時29歳。まだ教職に間に合う年齢でした。

■ 疲れた身体にムチ打つ試験

 これが、当時の受験票です。もう9年……いや、もう10年ひと昔のレベルの黄ばみ具合いですよね。これ、マジ、本気で受かろうとしていたのだから、我ながらアッパレだよなー。無茶かますよなー。

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これは、当時の受験票 一般の電卓さえも禁止でした

 まあ、電卓禁止は、数学の達人からしてみればもっともな話ですが……。僕は暗算が苦手で……。それはともかく、僕の部屋の中で、当時の試験問題を探してみる……。どこじゃどこじゃ。あ、どこにもない。大掃除の時に、落ちたショックから、思い出し怒りして、かなぐり捨ててしまったのでしょうか。場所は、東京学芸大学 武蔵小金井キャンパスとありました。

 ともあれ、当時の試験会場には、別教科も含めて、軽く2000人は来ていたような気がしました。別教室におられた職業訓練校の先生を交えて、お昼をごちそうになりました(失業中だったので、この時点で雇用保険を使い果たしていたのでした)。つまり、ぎりぎり新幹線代だけという有様だったのです。よく帰りの阪急の電車賃が出ましたね。あ、これは確か、駅前の銀行で下ろしたのですが、当時のさくら銀行だったかも知れませんね。

 もし、僕が合格者2%の中に入れたら、もしかしたら、もしかしたかも知れなかった。が、その試験は、職業訓練校の先生、つまり、オブジェクト指向の強者をもってしても受からないものでした。これは手強い試験でした……。ああ、いろいろ恥ずかしい。しかも、この合格率です。あー、あほらしー。これはもう、ハチのムサシは死んだのさ状態、あるいは飛べ、イカロスの翼状態でした(このネタが分からない人は、お父さんお母さんに聞きましょう)。

■ しかし、僕はしぶとかった……

 情報科の教諭がダメならば、その補佐はどうじゃ、と受けたのが、兵庫県教育委員会の試験でした。けっこう、おばちゃん多いよな、と辺りを見回す。それもそのはず、話を聞けば、民間のパソコン教室と掛け持ちの受験だったのです。つまり、相手は教えるプロ。これは手強い、僕はもう受かるまい、と思っていたのですが、翌週、案外簡単に受かってしまったのでした。当時の、県立武庫荘(むこのそう)高等学校(現在の県立武庫荘総合高等学校)の、校長先生から書面で、面接に来てください、といわれて出かけました。

 緊張の校長室。幾つになっても、校長先生というのは、畏れ多い存在です。三つ揃えのスーツに身を固め、ガッチガチになりながら自己紹介をすると、早速、労働条件の話になったのでした。

 「あのー、たいへん申し訳ないのですが、臨時雇ということで……」

 「は? り、臨時だった……のですか?」

 「そうなんです。教諭が授業をしている間、生徒のサポートをしていただきたいのですが、そのー、勤務日数はおおむね週2日です」

 「え、そうなんですか?」

 「そうなんです。授業のある時だけ、1日2~3時間という条件で……」

 「は、はあ……」

 もし、今のように、パソコン内職を引き受けるぐらいの自由人ならば、二つ返事でホイホイ引き受けたのでしょうが、当時は借金を背負いながら、フルタイム勤務を目指していましたので、この条件は、さすがの僕でも飲むことはできませんでした。つまりは残念でした、という案配。出されたお茶も飲まずに帰って来ました。嗚呼、無念残念です

 そうして、30歳の僕は、途方に暮れていました。将来、何ができるのか。安定した職種につけるのか。プログラムの勘は取り戻せたのか。いろいろ考えました。当時の武庫荘高校の校長先生、一度は僕のスキルを認めて下さって、どうもありがとうございました。

■それからの教員採用は……

 中央教育審議会(中教審)の答申とかで、現在は……

 (文科省HPより)中央教育審議会「今後の教員免許制度の在り方について」(平成14年2月21日)の答申の内容等を踏まえ,平成16年度以降の高等学校教員資格認定試験については当分の間行いません

 というわけで、シャットアウト。もうダメかも分かりませんね、これは。なんで、こんな答申が出されたのか、その経緯も分からないままなのですが……。いろいろと事情がおありのようで……。教職はそんな甘いもんやおまへんで、といわれているようで、どうも済みませんでした。それでは、お後がよろしいようで。

(今後とも、思索と模索はつづく……)

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