筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

能動的に生きるために

»

 気がつけば、僕の職業生活も約20年になります。平凡なんだか非凡なんだか分からない僕が、仕事をするに当たって気をつけてきたこと、気をつけなければならないことを、主に学生の皆さんにお伝えしたいのです。

【終わりました、仕事をください……そんな社員はダメです】

 仕事をやっていて感じたのですが、伸びない社員さんは、何でも上司に聞く。聞くのは大いに結構なのですが、いつまでも上司の「頭脳」を通してしか行動できない社員さんがいます。つまり、何事にも受動的なのです。上を向いて、口を開けて、仕事が降りてくるのを待っていて、それをただ、ついばんでいるような人のことを差します。

 こういった行動パターンではダメです。生き残っていけません。つまり、その「頭脳」がいなくなった時点で、ついばんでいたヒナたちは、エサを求めて途方に暮れなければならないのです。天才みたいな、大それた「デジタルネイティブ」にならなくていいので、せめて職場では能動的な「デジタルアクティブ」になりましょうね。その方が成長が見込めるでしょう。

 ポジティブに仕事を進めるには。小さくてもいい、何でもいいから、たとえ、認められないかも知れなくてもいいので、小さな職場改善提案を行うことです。たとえば僕は、顧客データを握っていても、販売が伸び悩んでいる営業部隊に「メルマガ発行」の提案をしました。静かで不気味な職場にあっては「職場にイージーリスニングか有線放送をかけてみる提案」をしました。こういった「小さな提案」の積み重ねで、人や職場は変わります。

 もし、そんな提案を煙たがる旧態依然とした会社ならば、こちらから5日でポイすればいいのです。小さなアクションを起こすこと。しかし、経営者じゃないのだから、決して大それたアクションを起こそうとしないこと。それが大事です。小さな改善提案の積み重ね。たとえそれは、どんな劣悪な職場にあっても出来ることだと思うのです。

【お前の代わりは幾らでもいる、という職場はポイしてください】

 なぜ働くかって? オレが生きるためじゃ。カネ儲けのためじゃ。オレの余暇にカネを使いたいためじゃ。家族を養うためじゃ。そのために、経営者には、オレの労働時間をくれてやってるんだ……という考え方でした。少なくとも、20歳代後半までは。

 しかし、40歳も目前となった今、「仮想自営」をしてみて分かったことですが、「交換がきくパーツ」、つまり「いつ首を切ろうかと考えているパーツ」を、決して経営者は大切にしないものです。経営者は粗末にぞんざいに扱います。なぜなら、その仕事を、誰に任せても同じだからです。なので、決してあなたは「交換がきくパーツ」に成り下がってはいけないのです。

 お金は大事です。しかし「交換がきくパーツ」になって、目先のカネだけに目を奪われて、誰にでもできるような「やっつけ仕事」をいつまでも続けるようならば、今すぐ方針を転換した方がいいかと思います。たとえば、書を執って勉強することです。たとえ、少しずつでも。

 会社にとって、「この人がいなきゃダメだ、仕事が進まない」と経営者に言わせるようになったら、こっちのものです。ですから、社内においてあなたは「欠かせない唯一無二の存在」になることが重要です。「使い捨てのパーツ」になるか、そうでないかの分水嶺は、あなたが会社において「欠かせない存在」になること。その足場固めを行うこと。上司の「頭脳」を頼らずに、上司にとって「良きブレーン」になることです。これは、一朝一夕には行きませんが、少しずつそれを目指して頑張りましょう。

【資本主義で生きるということ】

 この国は、幸か不幸か、資本主義の国です。ある一定の資本を持つ者が、持たざる者を使い、時には簡単に「非正規雇用」として、人材をかなぐり捨てます。しかも、ちょっと昔のアメリカの経営学を半端にかじった経営者が非常に多いのです。つまり、従事する人間を、いま要らないなら「即座にレイオフする」、もし必要ならば「どんな雇用形態でもいいから補う」といったふうに、安易に「取り替えがきくパーツ」を求めがちです。

 経営者だって、自分の財布を痛めてまで経営を続行するような「お人好し」ばかりではないのです。一部の例外を除けば、経営者は「慈善家ではない」のです。たとえ、お抱え運転手をクビにしてまでも、自分のクルマだけは大事にしたいのが経営者です。昔、僕の親父を見ていて、そう思いました。

 僕としては、もっともっと技術職に従事する人を大事に扱うべきだと考えるのですが、残念なことに、日本の企業でありながら、もし外国人が日本人と同じパフォーマンスを発揮できるのであれば、たとえ労働者が日本人でなくてもいい、とまで考えているのです。これは、僕の従兄を見ていて思うことです。事実、工場は上海に進出しました

 要は、経済の無制限な対外開放に伴い、労働分配のパイを、日本人のみならず、外国人とも奪い合っているのが現在の日本の雇用事情です。また、同じ日本人同士でも、正社員、派遣、パートと、日本人同士で奪い合っているのが現実です。これは、同じ民族同士で殺し合っているのと同じ状態で、何でも自由にすればいい、何でも改革開放すれば良い、という方針が、決して人々の最大多数の最大幸福を招かない、ということです。

【能動的に生きるために、今できること】

 僕はどちらかといえば、これまでネガティブシンキングで、何で自分は粗末に扱われるのだろう、何で文句を言われながら仕事をしなければならないのだろう、何で自分だけ不幸なんだろうと、ずっとネガティブシンキングな経歴書を書いては、あまたある企業の書類選考に落ち続けてきました。

 そこで、療養中という便利な立場を利用して、経営者は何を欲していて、何を考えているかを注視してきました。また、書店に行っては、僕の尊敬する新渡戸稲造先生の現代語訳の文庫本を購入したりしてきました。いろいろな人に雇用の現実を聞きました。そして、僕に足りないものが何かを理解しようと努めました。

 昔、新渡戸稲造先生は、確か「修身」(現代語訳:「いま自分のために何ができるか」三笠書房・絶版)という本の中で書きました。「浪費癖のある人は、たとえ給与を10円から50円に上げたとしても、喜ばず、ひたすら足りない、足りないと文句を言うだろう。むしろ会社が重用するべき人は、10円の賃金でいかに生活を足らしめるかを考える人だ」という趣旨のことを書きました。「そういう人は、やがて認められ、10円の賃金が20円になった時、喜び、ますます勤労に励むだろう」といった趣旨のことを書きました。これは、現在でも通用する理屈だと思います。

 能動的に生きるということは、視点を変えること。違う見方をすること。パースペクティブ(俯瞰的)に物事を見ること。そして、今おかれている自分の立場を理解し、改善することです。僕のモットーは、明日は少しマシになれという言葉です。少しマシになる分には楽です。たとえば、新しい情報用語を今日は1つ覚えた、だけでもいいんです。大きくマシになろうとするから、身分不相応、能力不相応になるのであって、あくまで自分ができる範囲で少しマシになるだけでいいのだと僕は思います。

 (思索と模索は続く……)

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する