筆者は1970年生まれ。先輩から、情報技術者を目指す若い方へ生きてゆくためのコラムです。

千葉工業高校で迎えた青春

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 久々にパソコン語りです。「あー、懐かしいなあー」と思っていただければ大いに結構です。

 僕は高校生になっても懲りもせずパソコン大好き。当時、メンタルヘルスという言葉は余り一般的でなかったと思います。できることを、組めるものを、やれるだけやる、というのが学校の方針でした。

【MSX2デスクトップマシンとの出会い】

 すでに千葉市内に移り住んでいた我々家族ですが、当時ロケットという家電量販店に置かれていた、展示品のある商品に目が釘付けになってしまいました。「高校に受かったら、買って買って買って買って父ちゃん」と、しつっこくおねだりし続けた商品。パナソニックのMSX2デスクトップパソコンFS-52000F2でした。

 当然MSXですから、カートリッジはあるのですが、違うのは筐体とキーボードがセパレートタイプになっていたこと。真っ黒なボディ。標準2ドライブ搭載。これに「日本語MSX-DOS」や「漢字変換ROM」の2種類のカートリッジを挿して、さらに背面の拡張ボードに「RS-232Cボード」を搭載して、外付けモデムを買えば、これはもう完璧なパソコン通信環境!! 値下がりして、値下がりして、最後の1台になった途端に「今だ!!」という調子で商品を押さえ、ゲットすることができました。電話回線を「DDX-TP」(特定の電話にダイヤルすれば、パケット通信網に格安でつながるというNTTのパケット従量制サービス)にして、パソコン通信し放題でしたね。

 勉強は……勉強は……。うーん(笑)。とりあえず及第点は取れていました。数学がものすごく難しくなっていき、ついていくのに必死でした。普通科でいうところの「数学2」や「代数幾何」の代わりに「工業数理」という科目があって、それが難しかった記憶があります。

 MSXを手にしてからというもの、Z80のプログラミングに専念しました。マシン語を、自力で組むのです。MSX用のアセンブラを買って、ますますZ80にのめり込んで行ったのです。幸いにして、工業高校でもNEC PC-8001というパソコンで外部デバイス制御を行っていたので、入出力インターフェイス関連の勉強もしました。

 一方、持っているゲームは少なかった(というか、ゲーセンへ行く方が多かった)ので、MSXを持ちながらも、ゲーム機としてあまり使わなかったですね。簡単ではありますが「MSX-Window」という簡易GUIを作って先生に見せたところ、「何が楽しいの?」と一蹴。しかしこれが、実際今になってWindowsになっていることからすると、ひょっとして僕には先見の明があったのかなかったのか、それとも下手の横好きだったのか……。

【国産16ビットパソコンN5200という学習環境】

 僕が工業高校(情報技術科)1年~3年の時には、今(2008年)から26年前に発表されたN5200model05とMS-DOSのサーバ(!)MS140(当時最高速)という学習環境でした。

 環境的には、PTOS(国産OS)上で動くFORTRAN77、COBOL80、ANSI C、N88BASICといった言語環境で、系統立ててリレーショナルデータベースを学習したこともなければ、もちろんインターネットなんてものもまだ民間になく、純国産OS。LANはこのとき、もちろん10base-2(テレビの同軸ケーブルのようなあれ)で、初級シスアドなんて資格もない時代のお話です。

 当時のカタログを見ると「先進の16ビット」というキャッチコピーが泣かせますね。でも計算は滅茶苦茶速かった。カラーのモニタがめずらしかった。それにしても8インチのフロッピー!! 当時は16ビットパソコンが最先端!! 32ビットコンピュータは想像を絶するものでした。でかい外付けHDDをもってしても180MBですから、現在の32ビットパソコンからは考えられないわけで、生まれたときにはすでに32ビットパソコンが動いていた若い諸氏からは、想像もできないわけでして……。

【個性豊かな教師陣 VS 個性豊かな生徒たち】

 実習のO先生が、最初の授業の前にひとこと。「敵を倒すときは、うーやーたー」……。後で調べたら、どうやら「少年ジェット」の必殺技らしかったのですが、このギャグは、僕らの世代には意味不明でした(笑)。そのほか、個性豊かな教師陣に囲まれて、個性派の僕としては「まあ、いいんじゃない」と思っていました。

 さて、少女漫画「あぁ愛しの番長さま」(白泉社)にもあるように、工業高校はどこもハイテンションなわけですが……。例えば、学校帰りのゲーセンでは「やべ、千葉工業だ」と言わんばかりに「大人が座席を譲ってくれる」といったありがたい環境で、歴代の先輩方に感謝したいです(え?)。また、エスケープこそはしませんでしたが、学食へ一番乗りして定食をむさぼり食う、近所の駄菓子屋でおやつをむさぼり食う、千葉駅で焼きそばをむさぼり食う、駅弁をむさぼり食うなどしていました。何だか学校に食べにだけ来ているみたいですねえ。いちおうスタディ要素はあったのですが、なにせ色気より食い気が……。

 また、ある日のこと、僕が独りで道を歩いていると、20代ぐらいの目つきの悪そうな兄ちゃんが、案の定、僕のところへカツアゲに来ました。けれども、僕の方が戦略的に勝っていました。「オレはいま、74円しかない」(といって財布の中身を見せる)そして「貧しい千葉工業からカネを取るんじゃない。狙うのだったら……狙い目は……お屋敷町付近のご婦人だ。いっぱい持ってるぞ。狙うのならそっちにしろ」

 相手はすっかり戦意喪失。すごすごと帰って行く背中に向かって僕は「頑張れよー」と一声。じつは、こういう時を想定して、かんじんの千円札はズボンのポケットにありました。へっ、ざまあみろ、お前とオレとの頭脳の違いだ。

 県立図書館へ勉強をしに行くために、自転車で2ケツで走っていたところ(あかんやろ)、パトカーがやってきて「そこの自転車、止まりなさい!!」「うわー」……パトカーを撒くのに必死で路地に入ったり、道を迂回したりして、ようやく日の暮れる頃に図書館に到着。結局、同乗の同級生からは「もうー、やめてよー」という声が(苦笑)これって、もうすでに時効だからいいですよね(笑)。あくまで「勉強」しに行ったので、今から思えば、何も必死に逃げることはなかったのですが……。

 また、ちょっとだけ威張っておきますが、千葉市内高校対抗のスピーチコンテストに、なんと「暗記部門」で学校代表として出させてもらい、そこで言ってのけたひとこと。“I'm sorry, I foget of all now, sorry...”

 ……そう、僕はアタマが真っ白になって、思わず謝っちゃったんですね。で、外国人の先生に「そんなに落ち込むことはないですよ」となぐさめられ……。おかげで英語の評価は「9」から「10」にしてもらえたのですが。

 現在でも、情報技術科の部長先生とは親交があり(というか、こちらが一方的に親交させてもらっているのですが)、例えば技術評論社の「TINAアナログ/ディジタル回路シミュレーター」を贈ったり、NECさんのC&Cフェアなどの招待状があれば、僕は近畿在住で幕張メッセにはおいそれと行けないので、代わりに行っていただいたり……と、いろいろしています。

(まだまだ続いちゃう)

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