意識改革からの作業改善 ~ 4.受け継がれる非効率
これまで、固定観念の除外、残業に対する意識の変革、システムを作っていることの意識化について書いてきました。
少しずつ実際の作業に近づけた話を書いていこうと思っていたのですが、考え直して、一度ここで要点を振り返りつつ補足などを加えていきたいと思います。
実は本コラム、(序文は除いて)最初に重要なことが書いてあります。つまり、最初の方に書いたことを応用展開していくことが、作業を広範に見直させる鍵となります。その部分を他の説明と同様に書くだけでいいのかということに思い至り、少々振り返ってみることにしました。
(※今後展開予定のコラム内容は、実際の作業に展開させた事例的作業方法などが中心となります)
まずは、固定観念の除外についてですが、これは常識のすべてが駄目ということではなく、誤った固定観念を排除してより科学的(柔軟)な思考ができるようになろうということでした。
現実とは変化に富み、「絶対、もしくは、絶対以上」というものは9分9厘存在していないと言えます。
しかし、多くの人が作業や成果に絶対を求めます。
現実の不安定さを受け入れることに不安を感じるためです。
そうして自身の不安さから求めた「絶対」は、やはり現実には合わないため過剰なストレスになりやすいのです。
特に部下への命令に固定観念を当てはめて絶対を押し付け、完全に思ったとおりの成果が上がらないと叱責するというのは、マッチポンプに近いものがあると言えます(※後に詳しく解説する機会があると思います)。
「絶対を求めないで物を作ろうとすると、成果物の完成度が下がるのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、この考えは正しくありません。
まず、「絶対に完ぺきな成果物を作らなければならない」と考えて作業しても、実際に完成した成果物が完ぺきであるかどうかはまったくの別問題であり、その考えを持てば「絶対に完ぺきな成果物」ができるわけではありません。
つまり、ここでの「絶対」は、魔術的な考えであることが分かります。
逆に、「成果物は完ぺきであった方が理想的ではあるが、残念なことに完全ではないかもしれない」という考えを受け入れた方が、その後起こるかもしれないリスクにも柔軟に建設的に対応することができ、成果物に対してより強固な姿勢を築くことができます。
また、この考え方を持ち続けていたとしても、「限りなく完全に近づける努力をする」ことは現実的であり可能なのです。
自分の作業に対して絶対を課し、うまく回っている場合にはそれほど問題はないかもしれませんが、うまく回らなくなってきた場合には考え方を見直したほうがいいでしょう。
科学的な思考ができるということは、言い換えれば「現実を見ることができる」とも言えるかもしれません。
では、その誤った固定観念というものはどこから来るのでしょうか?比較的多いのが経験則、そして上位者からの教育・学習です
(※これらがすべてではありませんし、これらのすべてが固定観念につながるものでもありません)
経験則とは、過去に体験した出来事から学んだことです。話の根拠や説得力となる場合があります。また、社会だけでなく生活にも密着していて、ことの大小問わず重要視される機会は多いと思います。
しかし、残念なことに経験則というのは間違いを含むことが多いのが現実です。
たとえば何らかの出来事が起こったときに、「認知のゆがみ*注1」や「認知バイアス*注2」などを持っていると、誤った認識を生み出し、それに気付くことなく誤解含みの出来事を体験として学習してしまいます。
誤りを含んで学習した思考は、その思考に従って行動し、その行動がうまく行き続ける限り強化学習されてしまうのです。
そうして固定観念化した物事が正しいのかというと、やはり誤りが含まれていることとなり、その誤りが表面化するまでは(もしくは、表面化しても)なかなか気付くことはありません。
上位者からの教育・学習は、新人時代や昇進時など新たな作業を覚える必要性のある状態で、先輩に作業方法を教わる、作業方法を見て学ぶときなどに、上位者の教えを無条件に受け入れてしまうことで起こります。
中には、「言われた作業だけをしろ」などという上位者もいるでしょうが(それが合っていることも多々ありますが)、果たしてそれは、その人が持っている誤った固定観念ではないと言えるでしょうか?
しかし、教育されたことへの見直しは、上位者の教えへの反抗のようにもとらえる事ができ、無意識的に気が引けてしまったり、考えないようにしてしまったりして、見直しの機会を逸してしまうこともあるようです。
自分で何かを学んだとき、他人から何かを教わったときに、それは本当に現実に沿っているのかを(即座には難しくても、時間を見つけて)考えてみると、意外と多く誤った固定観念が存在します。
それを意識して除外しようとしない限りは、誤った固定観念が確かめられることのないまま、非効率的な作業方法は脈々と受け継がれていくのです。
(※ただし、誤った固定観念を除外する作業が、本来の作業を遅延・停滞させる理由にはまったくならないことに気をつけましょう)
「常識は固定観念の一部を含む、かつ、固定観念は常識の一部を含む」が捉え方として正しいと思います。
■注1:認知のゆがみ
何らかの出来事、事象などを知覚・解釈(情報処理)する際の考え方のクセのうち、不健康なものをいいます。
代表的な例として下記が挙げられます。
・恣意的な推論……結論を支持する証拠がないのに、自分の推論に基づく情報だけを受け取り結論に結び付けてしまう。出来事に対して、客観的な判断を行うことができない。
・選択的抽象化……指向性を持って事柄や情報を選択し、抽象化して、それを全体的な概念としてとらえること。 選択したささいな事柄に焦点を合わせて自分の信念を正当化し、その他の情報を有用か否かに拘わらず無視する傾向。
・迷信的思考……独立した関連性のない出来事に、勝手に何らかの因果関係があると信じる傾向。 現実的、論理的な思考が欠落し、迷信のような思考に固着する。
・過度の一般化……ささいな出来事を過度に一般化し、全体に当てはめるためのルールや結論を生み出す。 客観的に関連性のない状況であっても、そのルールを適用して物事の判断基準にしてしまう傾向。
・誇張と矮小化……ささいな出来事を誇張して重要なことに目を向けなかったり、逆に重要であることを矮小化してしまう傾向。 自分にとってネガティブな出来事ほど、大げさに誇張する傾向が強い。
・ねばならない思考……「OOしなければならない」など、絶対的な断定で考える傾向。 自分自身に対する要求、他人に対する要求、世の中や環境に対する要求のいずれかの形を取る。
・自己関連付け・個人化……自分に無関係な出来事であっても、何でも自分自身に直接関係しているかのように考える傾向。 良くない、否定的な出来事はすべて自分の所為と考え、責任を感じ、自分を悪者にし、責めてしまう。
・絶対的二者択一的思考……「良いか悪いか」「敵か味方か」「完全か不完全か」「0か100か」という、二者択一的な思考を行う傾向。
■注2:認知バイアス
無意識のうちに収集情報、記憶、意思決定に偏りや誤りを持たせてしまうという、認知心理学や社会心理学の理論。
影響を受けないように意識していない場合は通常、何かしらの影響を受けている場合が多いのではないでしょうか。
特に、管理者、評価者などは認知バイアスについての知識を確実に要求されますが、結構な確率で知らなかったり、知っていてもまったく実践できていなかったりするので、困りものです。
(※もし上司が知らなかった場合は、悲劇的な評価を受けてしまう前に何げなく会話に出したりして、知識をつけても らいましょう……必ずしも悲劇的な評価になるわけではありませんが、より健全な組織になるために)
確証バイアス、感情バイアス、正常性バイアスなど細分化されているため、ここでの説明は難しいですが、興味のある方はWeb検索などで調べてみると良いでしょう。
ただし、利用者が編集可能なWeb百科事典などの場合、編集者が認知バイアスをもって編集作業を行っているケースがあるので要注意です。
■余談
なかなか気づきにくいかもしれませんが、「業務知識を一番持っている人」「仕事ができる人」なども、固定的な考えと言えます。
それ自体が事実のように思えたとしても、業務知識を知っているがゆえに仕様書をしっかり確認しないでシステムを作成していたりする場合もあるため、「業務知識を一番持っている人」などのレッテルを理由に、その人の作成したシステムのテストを省略したり、安心したりするのは良くないでしょう。
むしろ、本当にしっかりした仕事をする人であれば、「(自分が作った所も)区別せずにしっかりと確認して欲しい」と言うのではないでしょうか。