意識改革は、比較的簡単に大幅な作業改善を図ることが可能です。

意識改革からの作業改善 ~ 1.固定観念を除外する

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 学習を始めるにあたって、まず最初に知っておきたいのが「考えるということ」についてです。

 人が何かについて考えようとするとき、そこに誤った固定観念、思い込み、先入観から生まれる誤解などがあると、それにとらわれる、あるいはそれを引き合いに出して比較したりと、真実とは異なる結果を導き出してしまいます。

 誤った固定観念、思い込み……こう言うと「当り前だな」「注意しなければ」と思うことでしょう。しかし、これらは別の言葉として深く浸透しているのです。

 それが、「常識」です。

 常識は、「自分の周りの環境で横行している慣例的な事柄を、自分なりの解釈で捉えて標準化したもの」であることが多く、真実であるかは別の話です。(※一般論的常識:「○○の場合、自分はこのように行動する」と言い換え可能)

また、多くの場合「ねばならない」「するべきである」というような、柔軟性に欠ける思考であることも多いのです。

 この常識の厄介なところは、真実であるかどうかということを抜きに、常識であるということ自体が知識を受け入れる状態、もしくは、受け入れざるを得ない状態を作り、何の検証もなしに知識として取り入れてしまうことにあります。そして、それは多くの場合、頑固に知識として永住しようとするのです。

 真実性に欠ける固定観念を挟むと、自分で何かを考える前にフィルタがかかってしまい、脊髄反射的な応答となる可能性が高く、新たな知識を身につける上で障害となったり、柔軟な思考をすることが不可能になったりします。

(※関連:思い込み、ラベリングも、本来自由であるはずの思考を限定し狭くしてしまう。 ラベルを通してしか見ることができない状態)

 では、どうすればいいのか。私はこう勧めています。

 「科学的な思考を持とう」

 人によっては、「科学的」という言葉に、ガチガチに固まった不変的印象を持ってしまうかもしれませんが、そうではありません。

 「科学的な思考」とは、固定観念的ではなく、不確定な要素も含みます。柔軟で常に書き換えが可能な思考で、それは現実の把握や真実の追求に最も適した考え方のことです。

(※自分で気付いていなくても、「柔軟な思考ができない人=使えない」と思われていることが多いので注意)

 新たに得た知識に対して、または既知の知識に対しても、それは論理的に正しいか、現実であるかなど確認をすることで、それらの知識がたとえ一般的ではないことだとしても、より実践的な知識を豊富に得れるのです。

(※作業量を減らすことができるという名目でも、従来の作業を変更することに対してストレスが発生し、従来の作業にしがみつく人が非常に多いが、自らのモチベーションで見直していく姿勢が大切)

 皆さんも、常識という言葉に捉われず(非常識になれという意味ではなく)、今一度、それが本当に真実であるか、見つめ直してみるのはいかがでしょうか?

 注:ちなみに、ここで言いたかったことは、「常識の全てが駄目」ということではなく、「多くの常識を含む、誤った固定観念が良くない」ということなので、取り違えないようにしましょう。

■余談1

 誤った常識のもう1つの形態は、「判断や行動などに対するもの」で、その結果を聞いたときに「その行為が容易である」、または「当然すべきである」と思ったときに、後付けで常識として披露するものです。

 「当り前」という言葉で表せることが多いのではないでしょうか。

 常識と比較して当たり前と思うことはよくありますが、実際にいつも念頭に置いていること以外の事柄に対しては、あまり使わない方が無難でしょう。

「他人に注意しておきながら自分も同じミスを犯す」「偉そうにできると言い切っておいて、結局できない」等の恥ずかしい事態に陥る可能性が非常に高まります。

■余談2

 すべてのことに対して、冷静に真実だけを見抜き考えなければならない……という考え方になってしまうと、やはり柔軟性に欠けてしまいます。

 このような考え方を一般生活にも持ち込むと、うつになり易くなる可能性も考えられますので、仕事と日常はしっかりと分けて、普段はリラックスするようにしましょう。

 何も考えずに楽しむということも、時には必要なのです。

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