入社2週間で書類1枚書かずに大きな決裁!グリーのスピード感
「オレ、入社2週間で大きな決裁を通しましたよ! まだ試用期間中だったのに(笑)」。JRubyのコミッターで、Rubyコミュニティで広く知られた大場光一郎さんに久しぶりにお会いしたら、ちょっと興奮気味にこうおっしゃるのですよ。具体的な数字は書けませんが、確かに、ふつうの企業なら1週間や2週間で決まるような金額ではありません。まして入社2週間の試用期間中の社員の提案です。
大場さんは2011年12月に、日本で5本の指に入る大手SIerを退職し、ソーシャル・ネットワーキング・サービス「GREE」を運営するグリーに入社したというではありませんか。そして、あまりの2社のスピード感の違いに驚いているというのです。Developers Summit 2012(通称デブサミ)が終わった後の飲み会でお話を伺ったのですが、水を得た魚とはこのことかというほど楽しそうに、新しい仕事上のチャレンジについて話をされているのが印象的でした。
大場さんといえば、日本のRubyistの間では「JRubyの人」、「エンタープライズRubyの人」として有名です。大場さんが六本木方面の会社に入社したらしいとは、私もうっすらと察していましたが、グリーだったとは知りませんでした。そして、転職を考えるようになったきっかけの1つが私の暴言だった(大場さんの転職報告ブログ)ということも知りませんでした……。
ともあれ、入社したての試用期間中の社員が通したとはとても思えない「大きな決裁」の顛末は以下の通りです。
GitHubを社内で使う=ソーシャルコーディングの採用
従来のオープンソースの発展形ともいえる“ソーシャルコーディング”というムーブメントが起こっていることは、Rubyistの皆さんならご存知ですよね。ソーシャルコーディングをテーマにデブサミで講演した松田明氏によれば、GitHubが標榜する“ソーシャルコーディング”で起こったことは、人民によるソースコード所有が実現し、コミッタ階級によるアンシャンレジームが崩壊した革命なのだということになります(発表スライド)。ソーシャルコーディングとは、近代史にたとえていえばフランス革命に匹敵するオープンソース界の革命だと。……、ちょっとネタっぽい比喩だけを切り出してしまった感もありますので、元のスライドも是非ご覧ください。ネタっぽい感じもありますが、英国の「Gov.uk」のようなプロジェクトを見ていると(参考記事:英国政府、新ポータルGov.ukをクラウド、アジャイル、Rubyで開発。ソースはGithubで公開 - publickey )、「人民によるコードの所有」とか「コードを読み書きする権利」といったものが、あながち絵空事とも言えない時代なのかなと思います。Gov.ukのレポジトリのコミット履歴を眺めると、委託された人々だとはいえ、作っている人々の顔が見えるわけですよ。パッチだってウェルカムなのでしょう。
IT業界をウォッチしている私のようなジャーナリストの目にも、これは大きな潮流と映っています。1998年ごろ、それまでフリーソフトウェアと呼んでいたものを「オープンソース」と戦略的に言い換えてオープンソースムーブメントが始まったときと同じか、それ以上のインパクトをソフトウェアの世界にもたらすのではないかと感じています。ソーシャルコーディングを実践するコミュニティにあるのは、気軽にパッチをコミットし合う文化で、GitHubはそれを支える優れたプラットフォームです。パッチという形でコード片を投げ合い、行単位でコメントをし合うために必要な諸々の機能を提供しています。GitHubには、今やCI環境も統合されています。
GitHubでは有料でプライベートレポジトリが持てますから、実はオープンソースだけでなく、企業内のプロジェクトで使われるケースも増えています。名前は書けませんが、「うちのプロダクトもコードはGitHubにありますよ」という話を聞く機会が増えました。私自身も、現在推進中の社内プロジェクトでGitHubのプライベートレポジトリを使っています。委託先の開発者たちがGitHub上で“ソーシャルコーディング”している様をリアルタイムで眺めつつ、ときどきpull requestを送ってみたりしています。コードと、それに付随する会話や議論、顔アイコンが一緒に並ぶことのメリットは計り知れないなと感じています。GitHubで日々コードと人の動きを追うことで、発注側としてプロジェクトやコードを所有しているという感覚が持てますし、実装方法に悩みながらもわいわいと作っている生の姿が見え、一緒にプロジェクトを進めてモノを作っていっているという感覚があります。
というわけで、私はGitHubはソフトウェア開発のあり方を変えつつある、超イケてるサービスだと思っています。「Webのソーシャル化」という流れの中で必然的に変わってきた開発スタイルと見ることもできるかもしれません(3年ほど前に「ソーシャル化するOSS開発者たち」という記事を書きました)。そういう見方をするのなら、GitHubは「ソーシャル」「コーディング」の2者を融合させたプラットフォームの最先端ということになるかと思います。
現場のRubyistの方々は、とっくの昔にこういうことを感じていて、「弊社でもGitHub採用を!」と社内で呼びかけ、実際に動いてみたという話を複数の方から聞いたことがあります。ただ問題もあって、とある大手ITコンサルでは、git/GitHubを採用するために、社内の説得、教育に1年かかったと聞いたこともあります。顧客のソースコードを預っているのだからGitHubとの間でNDAを結ばないとリスクが大きすぎてコードなんて置けないよ、という事情もあったようです。
セキュリティ上の理由でGitHub上にソースコードが置けない場合、実は「GitHub Enterprise」という選択肢があります。これは一種の仮想アプライアンスで、適当なサーバにGitHubから提供されるOVF形式のイメージをマウントして起動すると、そのサーバがGitHubそのものになるというものだそうです。デーモン類もGitHubと同じものが動き、非同期のバッチ的なものもちゃんと動くそうです。バージョンアップでGitHub本家にキャッチアップできるといいますから、なかなか良い「プライベートクラウドサービス」だと思います。
書類なし、説得すべきはCTOの、ただ1人
大場さんは、グリーに入社してすぐに「GitHub Enterpriseを採用すべき!」と社内で発言し、それから1週間足らずで採用に至ったそうです。私には結構な金額に思えるのですが、決裁には書類を1枚も書く必要がなかったと言います。
「前職の経験から、これは稟議書に10個ぐらいハンコが並ぶ“スタンプラリー”の始まりかなと思ったんです。でも、実際にはCTOに説明をして、コーポレートの経理部長にGitHub Enterpriseのオンライン申し込みの最終画面にまで行ったPCを手渡してクリックしてもらっただけで、1枚も書類を書かなかったんですよ。このスピード感は驚きでした」
最初にCTOにGitHub Enterpriseの説明をしたときには難色を示されたそうです。そこで「誰と誰を説得すればいいのでしょうか?」と聞くと、そのCTOは「うーん、オレかな?」とだけ答えたのだとか。
一晩経った翌日、CTOが「あれ、いいんじゃない?」と言って採用が決定。コーポレートカードの番号を入力してボタンを押す経理部長に対しての説明も、ものの数分だけで完了したといいます。インフラチームの協力ですぐにVMも立ち上があり、GitHub Enterpriseの社内運用が始まったそうです。
※追記:書類を書いていないのは発案者の大場さんであって、グリーの社内で稟議書類が回らなかったわけではありません。CTO秘書が稟議書を起こしたということです。一部上場企業なので、この辺は当然でしょうか。いずれにしてもすごい速さです。
驚きのスピード感ですが、合理的すぎて私は鼻血が出そうです。大企業で10個もハンコが必要だったら、「ジットハブなんて聞いたことがないぞ。大丈夫なのか?」という人が2、3人はいそうです(GitHubはギットハブと読みます)。そうでなくても、「説明させたがる」「意見を言いたがる」「採用が難しい理由やリスクを並べたがる」の3つの“ガル”が待ち構えていそうな気がします、ガルって何だか分かりませんが。「フィージビリティ検証タスクフォース」とか、ナントカ委員会とかで関連部署総出の週1の会議体が発足して、“情報共有”と“勉強会”に数カ月かかりそうです。「オレ、先週のやつ出てないんで、情報共有よろしく」みたいなメールが飛んできて、プロジェクト担当としては思わず、「知らないとか、分からないとか、自分で勉強しないっていうなら判断しようがないんだから、せめて黙っててくれませんか」と一気呵成にメールにしたためて威勢よく送信ボタンを押す……代わりに、ぎゅぎゅぎゅっとメール消去ボタンを画面に押し込みつつ、サラリーマンの悲哀にすすり泣く。そんな姿が目に浮かびます。
あ、上の段落は私の想像の翼の奔放なる飛躍によるものです。ブログだからって、スミマセン。調子に乗りすぎました。しかし一方、私の想像でしかない架空のシーンに「そうそう!」と画面の前で頷きすぎて液晶画面に頭を突っ込んでいる方も多いのではないかと思ったりしています。
ちなみに、DeNAさんもGitHub Enterpriseを使っているそうですよ。複数の関係者の口ぶりからすると、クックパッドさんが採用する可能性もありそうです。
数千台単位のサーバを操る快楽!?
大場さんは現在、数千台のサーバに対してソフトウェアをデプロイする作業を刷新すべく取り組んでいるそうです。今のところ、グリーではまだSubversionとGitが混在するリポジトリからコードを展開しているほか、多数のサービス間の整合性を取る必要があることから、デプロイ作業が職人芸になってしまっているという話です。これを、TwitterのようにP2Pを使ったインフラで置き換えたい、ということです。すごくチャレンジしがいがありそうですよね。グリーでは、自分で問題や課題を見つけて手を上げれば、それでプロジェクト担当になるという文化があるそうです。
お話を聞いていると、「こんな職場があったのか」と言わんばかりに大場さんは本当に楽しそうにエンジニアリングの話をするのですね。前職のSIerでは、「エンジニアとしては給与水準がマックスに達していて、管理職になる以外にキャリアパスが見いだせなかった。グリーに転職して給料が上がった」ということですから、幸福な転職だったのだろうと思います。1000人のPGを率いて基幹システムを作るのもやりがいがあることなのでしょうけど、1人で1000台単位のサーバを操るのって、「新しい技術に触れること」「コンパイルが速いマシンを使うこと」というエンジニアの二大快楽に続く、クラウド時代の最高の愉快の1つではないかという気がします。P2Pデプロイインフラを設計して、それが実際に動くのを見届けるのって、壮大に計画した1万枚のドミノ倒しに似た快楽がありそうです。ドミノが途中で止まってしまったかのごとく、アプリのバージョンアップでデータに不整合が蓄積していく、決済系は問題はないが、ユーザーが不具合に怒り始めて運用チームの現場に緊急事態アラートがガンガン鳴り響く、、、エキサイティングなエンジニアリングじゃないですか!
グリーぐらい規模が大きくなると技術的に楽しいチャレンジがあるのでしょう。そういうことを言うと、「でも、やってることがゲームでしょ。しかも、褒められたビジネスモデルじゃないじゃん」という反応が返ってきそうです。私もそこを大場さんに聞いてみました。元々大場さんはソーシャルゲームをやる人ではありませんでしたが、入社後に、外部から見ていたときと印象がガラリと変わったと言います。ひと言でいうと、ソーシャルゲームの多くは、良くできていて面白いということです。私自身には判断できるだけの材料もゲーム経験もありませんが、少なくとも大場さんがソーシャルゲーム業界をネガティブに捉えていないことが私には分かりました。
“遅行指標”グループからの離脱
さて、だいぶお調子者風に書いてしまいましたが、真面目な話、大場さんの転職は、いまの日本のIT業界、あるいは日本のサービス業関連の企業社会の縮図のように私には思われるのです。硬直して成長が低い業界もしくは企業群から、より生産性が高い業界や組織へと人材が動き始めた、あるいは動くべきということです。サービス業は、外国に行って資源を掘り起こしたり大きな船を作るような産業と違って、ビジネスモデルと人材が全てというところがあります。クラウド時代になって、IT業界はますますこの傾向を強めています。
日本のRubyistなら多くの人が知っていることですが、“エンタープライズRuby”を標榜していたと言っても良いRubyistが、大場さんを含めて3人ほど立て続けにWeb系の企業へ転職しました。エンタープライズ分野へのRubyの普及は難しかったということなのかもしれませんが、逆の見方もできるでしょう。
例えば、マイクロソフトがNode.jsやHadoopをAzureで採用するというニュースが流れたとき、従来なら「マイクロソフトがNode.jsやHadoopを採用! つまり、これらの技術は本物」と考えたのかもしれませんが、今は逆です。「エンタープライズで採用されるぐらいに良い技術」というのは古い発想で、今は「やっとエンタープライズも●●●を発見(採用)したのか」という順番に思えるのですね。もはやエンタープライズは技術者にとって、”遅行指標”なのではないかと。
そう考えると、RubyのようなLLや、GitHubなど開発生産性を上げられるツールを採用できない「IT企業」のほうこそ、優秀な人材に見限られているのではないかという風にも思えてきます。人が会社を辞めるのは「この会社(業界)に未来はない」と悟ったときです。
「選ぶ→選ばれる」という関係は、かつて「会社→人」「会社→技術」だったのでしょう。今は「人→技術(会社)」と逆向きのベクトルが強まっているようにも思えます。技術者にとって、現場経験は一種の投資です。どういう技術が使えるのか、どういう技術課題が与えられるのかによって10年後のスキルや実績に差が出ます。ですから、より技術的にチャレンジができるところへ技術者が流れるのは自然なことではないでしょうか。
クラウドを作ったり、それを生かしてサービスを運用するというのは、コンピュータサイエンスに基づくまっとうなエンジニアリングが求められている分野です。ここでは大きな価値が生まれていると思います。
以前、大手SIer幹部の方と雑談していたとき、こんなことをおっしゃったのを思い出します。「SIにコンピュータサイエンスなんて要りませんからね」。それはその通りなのでしょう。しかし、要らなくなってしまったのは、コンピュータサイエンスを適用する分野を掘り当てようとしてこなかった“SI”という業務のほうなのではないかと思えなくもありません。コモディティ化したSI業務に関するスキルは海外にアウトソースされ、案件はクラウドで低価格化が進んでいます。
全く異なる2つの業種を一緒くたに論じてしまった感もあるかもしれませんが、私には大場さんの転職が“遅行指標”グループから先頭集団への移行に思えたのでした。大場さんが1年後のデブサミで、「GREEにおけるP2Pデプロイ・インフラの設計と運用」という講演をして他社のエンジニアからも喝采されるような日を楽しみにしています!