今、話題の人工知能(AI)などで人気のPython。初心者に優しいとか言われていますが、全然優しくない! という事を、つらつら、愚痴っていきます

309.能力・実力・成果主義の限界

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初回:2023/4/26

 今回もまた、実用性の無いコラムをお届けいたします。

P子「自覚はあったのね」※1

 これは昔からなのですが、理想形...あるべき姿というのを先に考えた後に、現実とのギャップを認識したうえで、落としどころを見つけるという事を繰り返してきました。そのためか、理想形の条件として、例外のない完全な形を求めてしまいます。現実の世界にはそのような完全体は存在しないため、落としどころは、完全体の部分と例外で成り立っているという風に分離して考えることにしています。

P子「絶対なんてものは絶対にない...ってあれね」

 という事で、理想形の話をすると、実用性がなくなってしまうのですが、逆に実用性のある話は例外規定があるので、理想形を見失ってしまう可能性があるため、まずは理想形から入ろうというのが、私の基本的な思考方法です。

P子「要するに、めんどくさい奴ってことね」

1.能力主義の定義

 一般的な定義ではなく、ここでは私が考える独自の定義で話を進めたいと思います。

 まず『能力』ですが『内面に持っており、その人のポテンシャル』と言ってもいいかもしれません。内面に持っているので、誰も見ることも知ることもできません。例えるなら、不透明の容器に何か入っているという感じです。容器の大きさも形状も異なり内容物も容量も異なります。水かも知れませんし、ガソリンとか、どんな怪我や病気でも直す秘薬かもしれませんし、逆に有毒物質かもしれませんし、空かもしれません。
 なので、これを直接見ることはできませんが、ひとつの指標...例えば重量を図ることができるかもしれません。

 すでに察しの良い人なら判ったかも知れませんが、有名大学出身とか、大企業の重役さんとかの肩書で推し量るのが現状です。

P子「能力主義の指標は学歴ってことね」

 実績も何も判らない新卒社員を選別するには、学歴位しか判断できないですし、その後も学歴を元にした昇進とかを重視する考え方が、能力主義と定義します。

 最近は、だんだん減ってきているかもしれませんが、全く何もわからない状態で手探りで人を判断する場合、〇〇大学卒業なら、△△大学卒業より、能力が高いんじゃないかという判断方法は、あながち間違いではないとは思います。

2.実力主義の定義

 次に、実力主義の定義ですが、先の能力主義に対して『表に現れている力』と定義したいと思います。

P子「『表に現れている力』って?」

 車に例えると、300馬力の『能力』があってもアクセルを踏まなければ走りません。アクセルを踏んだ結果、時速100㎞ に到達すれば、それが実力という感じです。

 計算式で言うと『実力=能力×行動』という感じでしょうか?

 つまり、300馬力の車で、時速100Kmで走っているのと、100馬力の車で、時速100Kmで走っているのでは、どちらも同じ速度なので、実力的には同じという事です。もちろん、掛け算なので、能力が高いほど、実力を発揮しやすいかもしれませんが、そんなに能力差がなければ、行動の差で実力差は簡単に逆転すると思いますし、そもそも能力自体も変化するものですから、いつまでも過去の学歴にしがみついていると、痛い目に合うという事です。

3.成果主義の定義

 最後に成果主義の定義ですが、実力を発揮した結果、得られたものを成果と定義します。という事は成果自体は行動した結果、得られるかどうかは判らないという事です。もちろん、実力が高いほど、成果に結びつきやすいという事はありますが、実力がそのまま成果に結びつくとは限りません。

 計算式で言うと『成果=実力×環境×時の運』という感じです。

 これに、先の実力の式を代入すると、『成果=能力×行動×環境×時の運』となります。

 判ると思いますが、能力というのは一つではなく多面的な要素を持っているので、環境要因によって有効な能力が異なってきます。また、同様に行動も環境要因に影響されます。例えば、上司が挑戦することを重視しており失敗に寛容な場合、大胆な行動に出たり、試行錯誤を繰り返したりできますが、失敗をマイナス要因と考える上司の場合は、行動自体を自己抑制することになるかもしれません。

 また、自身に裁量権が多く与えられている場合、行動しやすい環境と言えるでしょう。

P子「管理職の人の場合はどう考えるの?」

 今回は管理職の場合は考えないことにします。というのは、各担当者一人一人の能力を最大限発揮できる環境を準備し、モチベーションを上げて行動に結びつけ、それらの相乗効果が発揮されるように適切に導くことによって、成果を上げることになるので、だいぶ複雑な話になってしまいます。

4.能力・実力・成果主義の限界

 さて、これらを評価基準にする場合の問題点を考えてみましょう。

 まず、成果主義を取り入れた場合、評価のタイミング(例えば年1回の昇進・昇格判定)に合わせて成果を出す必要が出てきます。これは目先の短期目標の場合は良いのですが、ある程度時間がかかる課題の場合は、評価できないことになります。また、チャレンジの結果、失敗に終わった場合も評価されません。そうなると、皆が短期目標の比較的簡易な課題を解決することで成果を主張することになります。そんな会社に未来はありません。

P子「部署ごとに最適な評価軸が必要ね」

 実力主義を採用した場合、能力があり行動していても、成果が出ないことがあっても評価します。一見、正しそうに見えますが、能力が見えないのですから、行動から判断することになりますが、その場合頑張っているかどうかが判断の指標になる可能性が高くなります。例えば、夜遅くまで残業して働いている人が成果が出ていなくても評価される...みたいな感じです。

 また、まじめにきちんと取り組んでいる人も評価されるかもしれません。

P子「それは良いことじゃないの?」

 まじめにきちんと...というのが曲者で、上司の命令を疑うこともせず従うだけで、自分で何も考えない人もまじめにきちんと取り組んでいる...様に見えます。本来のまじめな人ならば、上司が間違った判断をすればそれを正すとか、自分できちんと考えて行動できるのが正しいと思います。

 能力主義は言うまでもなく、見えない物を評価することはできません。一番簡単なのが学歴でしょう。でも、能力が本当に高くても行動が伴わないとか、能力自体が多面的であり、その職場、環境に合うかどうかも判定する必要があります。所詮、1次元の判定基準である学歴では人の能力は測定不可能という事です。

5.例外事項

 実は、ここからが今回の本題です。

P子「前振りが長すぎるわよ」

 最初に説明した通り『理想形の条件として、例外のない完全な形』を考えたいと思います。

 企業活動としては、能力・実力・成果主義をうまく混在させて適材適所で使用するのが、現実的な落としどころになるでしょう。例えば新卒一括採用するなら、能力主義(学歴)を参考に、新人時代は、成果より行動を重視し、管理職は短期の成果を求める...など。

 さて、ここにいきなり女性の従業員を考えてみます。全員とは言いませんが、中には結婚して妊娠して子供を産む人もいるでしょう。

 その場合、会社としては1年程度、任務から離れるわけで、当然昇給・昇格を1年遅らせることになるでしょう。夫が家事・育児をものすごく頑張ってくれたととしても、妊娠・出産時には必ず休むことになるでしょう。

P子「女性というだけで不利なのよね」

 この生物学的な男女の違いを無視して、昇給・昇格を同じにしない限り、男女差は埋まらないと考えています。

P子「女性は1年間、会社を休んでいても、男性社員と同じ時期に昇給・昇格するってこと?」

 そうすると、男性社員や子供を産まない女性社員から不平等という声が聞こえてきそうです。営利企業(民間企業)なら利益を上げなければいけないので、そのような待遇は不可能でしょう。となると、男女差を埋めるのは、福祉政策の責任でしか解決できないという事です。

P子「それで終わり?」

 ここからです。

P子「さっきもそんなこと言ってなかった?」

 男性と女性の差を埋めるのは多くの人が理解できると思います。

 では、障害者の場合はどうでしょうか?生まれつきの場合もありますし、交通事故や不測の病気などの後天的な障害もあるでしょう。そのような場合、健常者と同等の権利や保証があっても良いと思います。

P子「財源はどうするの?」

 まあ、それはとりあえず置いておきます。ただ、アイデアはあります。

 では、健常者でも能力の高い人、低い人、才能のある人、ない人がいますが、それらも自己責任で生活すればよいのでしょうか?能力、実力、成果に関係なく、基本的な部分で平等にすればよいと思います。

P子「能力のあるなしに関係なく、平等にする方が不平等なんじゃないの?」

 平等という事の意味合いをどうとらえるかによるでしょう。

 男性、女性の違い、身長の高い・低い、イケメンかブサメンか、親が金持ちかどうかなど、色々な面で不平等がありますが、それをどこまで許容するかという問題だと思っています。

P子「それが『理想形の条件として、例外のない完全な形』ってこと?」

 私の思考の出発点です。

 ここから『現実とのギャップを認識したうえで、落としどころを見つける』作業に取り掛かることになります。

P子「現実とのギャップが大きすぎない?」

 最近は、ますますギャップが広がっているような気がします。

6.まとめ

 男女格差がなかなか埋まらないのは、平等の定義がきちんとされていないためだと思っています。

 これは、生物学的な違いが、能力や実力に直接的な差がないとしても成果という点で差が出てしまいます。この差をどうすべきかが課題で、この差をなくすという事は、その先の成果が異なる人たち(障害者や能力の低い人)の差をどうすべきかという課題に突き当たります。

 これを、どのような落としどころに持っていくかが、重要だと思っています。

 ほな、さいなら

======= <<注釈>>=======

※1 P子「自覚はあったのね」
 P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。

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