066.能力主義の幻想
初回:2020/03/11
1.能力主義を考えてみる
『年功序列』は古いとか『能力主義(または実力主義または成果主義)』を採用すべきとか色々な意見がありますが、私は昔からこれらの考え方を疑問に思っています。
P子「じゃあ年功序列推進派?」(※1)
年功序列については、後で考察したいと思います。
皆さんは『能力主義』って、どういうイメージをお持ちでしょうか?
ここでは、能力主義、実力主義、成果主義の違い(※2)は議論しません。何らかの『差』に応じた報酬がもらえる...ざっくり言うとそういう給与体系と考えて下さい。
P子「ざっくりすぎない?」
悪しき年功序列のせいで、能力のない上司が自分より給料が多いと、やはりやる気がなくなります。これは理解できます。だからと言って、安易に『能力主義』に賛同するのはどうかと思います。
例えば、100m競争で上位3名には賞金が出るとします。参加者100名で予選して、本選には8名進出できました。もちろん予選落ちの人達には交通費も出ません。本選の8名の内、5名は交通費だけ出ました。1位 50万円、2位 30万円、3位は、20万円の賞金です。
1位のタイムが、10.00秒で、2位は 10.10秒、3位は 10.20秒、4位の10.3秒から10位の10.9秒だったとします。1位と2位の0.1秒差は、20万円の差額で、2位と3位の0.1秒差は、10万円の差額。3位と4位の0.1秒差で、30万円。
整理すると、こういう感じになります。
1位 10.00秒 50万円 0
2位 10.10秒 30万円 0.1秒
3位 10.20秒 20万円 0.1秒
4位 10.30秒 0円 0.1秒
......
10位 10.90秒 0円 0.1秒
......
100位 19.90秒 0円 0.1秒
P子「相変わらず、たとえ話が長いわね」
つまり、能力差(=0.1秒差)に応じて賞金が決まるのではなく、上位者による総取りに近い事が起こります。
『能力主義』=上位者による総取りという事です。
しかも、100m競争みたいに結果が誰にでもはっきり判り、判定基準が公開されている場合ならまだしも、『何らかの判断』により闇の内に判定が下され、その判定結果すら誰にも知らされない判定方法で、本当に納得できるのでしょうか?
P子「例えば営業職での判定基準は売上金額として、歩合給のみにすれば、公正な判定ができるんじゃないの?」
技術職はどうするのかという疑問は置いといて、その人達は出世無しと言う事でしょうか?いくつになっても歩合給のみで出世しない、権限も持たないというなら能力比例でしょうが、営業成績トップの人には営業リーダーになってもらうとか、営業部長になってもらうとかの人事が発生するでしょう。その場合の営業成績が2位とか3位の人の処遇がどうなるか、それ以下の人をどうするかという事です。
会社には、事務職の人も居れば直近の売上に貢献しない研究を行っている人もいます。経費も掛かれば管理職も必要です。能力差がそれほど大きくなくても、給料の差が大きく異なってくることは十分にあり得ます。
しかも、この能力ですが、人柄が良いとか真面目とか信頼できるとかそういう項目ではありません。あなたとほとんど変わらない能力の上司が、性格が悪いなんてことは十分にあり得ます。
経営側にとっても、良いとは言えません。
上位者総取りで、みんなが鼻先の人参目当てに競い合って切磋琢磨してくれれば良いのですが、先の100m競争の予選落ちの人達は努力を放棄するかもしれません。会社としての売上金額としては、優秀な上位数名に頑張ってもらうよりも多くの人にそれなりに頑張ってもらう方が得なのではないのでしょうか?
2.年功序列を考えてみる。
私は、能力主義より年功序列の方が良いと思っています。もっと正確に言うと、能力ではなく年齢に対応した給料にすべき、とまで思っています。
P子「年齢に対応って、月収が8000円×年齢...とか」
50歳なら、月収40万円でボーナス5か月分とすれば、(12+5)*8000*50=680万円 みたいな感じです。
P子「全く働かない人でも、この年齢が来ればこの給料がもらえるの?」
そういう事です。ただし、国民が全員国家公務員の場合の『ベーシックインカム』に近い考えかも知れません。
P子「売上とか利益とかは変動するんじゃない」
毎年の昇給額は一定なので、景気が良ければ、一律1万円のアップにするとかボーナス割増を増やすとか出来ると思います。
P子「管理職とかリーダーはどうするの」
統率力があるとか先見性があるとか管理職やリーダーとしての『能力』がある人がなれば良いのです。若い人が管理職になったとしても、給料=年齢なのでやっかむ事も無いでしょうし、リーダーの選別は360°評価としてチームみんなで決めればいいんです。
P子「責任が増えるんだから給料も増やさなくていいの」
仕事はチームまたは会社の総力で対応するのですから、上司責任も部下責任もありません。みんな同じだけの責任で取り組むのです。
P子「以前、言ってたオーケストラ方式ね」
そういう事です。
3.拡張型年功序列を考えてみる。
P子「バチスタ手術とか出てきそうなタイトルね」
先ほど述べた年齢給は、単に年齢に比例した給与でした。しかも働かなくても給料がもらえるというのは、やはり無理があります。
年齢に比例した給与を関数で表すと、下記の様になります。
f(t)=at+b (tが年齢、f(t)が給与)
例えば、30代、40代が住宅購入や子供の教育費などお金がかかる年代であり、それより若い頃や50代で家庭が落ち着いた頃は少し給料が減っても大丈夫だとすれば、逆U字型の賃金カーブにすることもできます。
f(t)=at^2+bt+c (a<0で逆U字型)
もっと単純にするなら、EXCELで年齢と月給の対応表を作っておくだけでもいいでしょう。
これなら、支給する方もされる方もいつどれくらいの給与になるのか見込みが付けられると思います。当然、売上や利益変動は、ボーナスの増減でやりくりするとかすればよいでしょう。
能力給と言いながら能力で給料が決まらない...能力が無いのに年功序列で管理職になった人が高給をもらっている...などの不平不満を考えると、能力に関係なく給料が決まる方がすっきりします。
P子「能力の低い人も高い人も同じ給料って、逆に不公平じゃないの?」
チームで成果を上げる、メンバーの能力を最大限に活かして仕事するという考え方にシフトする必要があるでしょう。「One for all, All for one」(※3)の精神です。
P子「けど、チーム毎に売り上げが違ったり目的が違ってくるけど...」
年齢給じゃなく、チーム内のメンバーが同額になるような給与体系が良いかもしれません。その場合、チーム毎に配当が異なってきて、チーム間格差が出てくる...所属するチームを自分で選べる、またはメンバーを募集するみたいな感じになるのでしょうか?
P子「能力主義に戻ってない...」
年功序列が駄目で、能力主義の方が良いという結論が出てしまいました。つまり、前提条件がおかしいという事です。
P子「前提条件って何?」
資本主義です。資本主義の枠内で活動する限り『みんなが幸せになる』ということは難しいのかもしれません。
P子「社会主義が良いと言ってるの?」
社会主義の手本が劣悪なのでピンとこないかもしれませんが、戦後の日本は「成功した社会主義国」(※4)と呼ばれる様に、一億総中流で『みんなが幸せ』と感じていた時期があります。
そのおかげで、生産性が低くグローバル化されない非効率なガラパゴス化が至る所に残っていますが、1割の富裕層と9割の貧困層になった今の日本では『みんなが不幸になる』気がしてなりません。
ほな、さいなら
======= <<注釈>>=======
※1 P子「じゃあ年功序列推進派?」
P子とは、私があこがれているツンデレPythonの仮想女性の心の声です。
※2 成果主義、実力主義、能力主義の違い
http://www2.shl.ne.jp/hrqa/index.asp?id=342
人事部長からの質問
2004/09/09 342
成果主義、実力主義、能力主義の違いを。
※3 「One for all, All for one」
https://note.com/ss_morioka/n/n8d4e9222f517
誤解されがちな「One for all, All for one」の本当の意味
ラグビーの世界では「一人はみんなのために、みんなは一人のために」ではなく「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」という解釈だそうです。
今回は、この表現がしっくりきます。
※4 成功した社会主義国
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9E%8B%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%B8%BB%E7%BE%A9
コメント
匿名
> つまり、前提条件がおかしいという事です。
能力主義の例が相対評価で年功序列の例が絶対評価だからでは?
> 『能力主義』=上位者による総取りという事です。
絶対評価ならそうなりませんよね?
もちろん、能力の絶対評価が難しいという問題は残りますが・・・
ちゃとらん
企業活動で給料が決まる場合、全体評価であろうと、相対評価であろうと、給料の分配段階で、その企業内の順位付けによる相対評価になってしまうんですよね。
ここでいう絶対評価とは、あて名書き1枚10円とか決まっている場合とか、能力に無関係に時給800円とか、そういうケースになってしまいます。
企業内の賃金が全員同じとしても、景気の良い悪いで利益が変われば賃金が変動します。どうしても利益を多く出すための工夫(鼻先の人参)が必要で、よく走る人を優遇する・・・評価する流れになってしまいます。
何が良いのか(幸せになれるのか)はっきり結論が出せないでいます。
コウ
ちゃとらんさんの今回のコラムを読んで思った理想の給与体系は、途中で触れられていた「年齢給じゃなく、チーム内のメンバーが同額になるような給与体系」ではないかと思いました。
ただし、チームはせいぜい4~5人の少人数かつ年齢層をばらけさせ、特定のタイミングごとにシャッフルします。給料はチームの平均年齢+αという方式なら、「チームで成果を上げる」「年功序列の不公平感を減らす」「会社のために切磋琢磨する(シャッフルの結果良いチームにあたる可能性あり)」「フリーライダーを減らす(少人数だから相互監視しやすい)」などが出来そうかな、と思いました。
管理職等どうするのか、という問題は残りますが。。。
ちゃとらん
コメント、ありがとうございます。
書かれている給与体系、いいですね。もちろん私も何が良いのか結論は出ていませんが、「仲良しチーム」でもなく「険悪な雰囲気」でもなく「自己犠牲の上で成り立つ」のでもなく「安心・安全の上でのチャレンジ」的な「良きライバルだが良き仲間」であり「充実感」と「使命感」と「達成感」がある仕事で、「過不足ない暮らし」が出来れば幸せなんじゃないかと思います。
とはいえ、贅沢もしたいし・・・欲が深いですね。
熊猫
>~『能力主義』=上位者による総取り
ここで示されているのは、能力が必ずしも関係があるわけではない、勝者総取方式かつ結果主義ではないかと存じます。
>前提条件がおかしい
コラムをから感じる前提条件、「みんなが(等しく)幸せ(でなければならない。)」がおかしいのかも。
差を生む個や革新的なことを是とするならば、みんな(等しく)幸せでなくてよいと考えます。
また、みんな(等しく)幸せとしても、幸せを評価する側とされる側で明確な幸せの差があります。
ついでに、みんな(等しく)幸せは、同時に(等しく)不幸せかと。
>給与体系
コラム読んで考えた理想の給与体系は、チーム(プロジェクト?)ベース+ジョブベース+個の能力評価かなぁと思います。評価軸の設定が非常に難しいですが。。。
なお、給与体系ではなく社会の仕組みとして、ある一つの生産性だけでの評価はよろしくないし、差をある程度是正する努力は必要と思います。
#コラムの論じていることが、社会(経済)の仕組みなのか、会社の給与体系なのか、あえて混ぜてるのか、判別つきませんでした。
ちゃとらん
コメント、ありがとうございます。
今回、能力主義、成果主義等を分けると、さらに話がややこしくなるので混ぜています。(一応、区別のリンクだけは用意しました)でも、やっぱりややこしいですね。
> みんなが(等しく)幸せ(でなければならない。)」がおかしいのかも。
基本的には、『みんな幸せ』を目標にしていますが、そもそもこれが無理なのかもしれません。(人間が動物の一種である限り)このあたりは、もう少し色々と考えていきたいと思います。
> 社会(経済)の仕組みなのか、会社の給与体系なのか、あえて混ぜてるのか、判別つきませんでした。
給与体系の話のつもりでしたが、結局社会の仕組みの話をしないと、どうにもならないという方向に進んでしまいました。(シェア100%で競争もなく値決めも何もかも自社のみで完結するなら別でしょうけど)
熊猫
>能力主義、成果主義等を分けると、さらに話がややこしくなるので混ぜています。
せめて結果主義(勝者総取り方式)は分けるべきだと考えたので触れました。
実力も能力も成果がなくとも、結果勝者にはなることは可能なので。
>給与体系の話のつもりでしたが、結局社会の仕組みの話をしないと~
給与体系の話なら、評価の方式だけで済みますけど、
社会の仕組みとなると、富の再分配、富の偏在の是非、生産性の価値の是非、イノベーションの是非、等まで広げないと、意味や意図が伝わりにくいと思います。
そもそも単発じゃ収まらないという話かもしれません。
>シェア100%で競争もなく値決めも何もかも自社のみで完結するなら別でしょうけど
独占状況を許す、共産主義や社会主義なら国がシェア100%を許すなら可能ですね。そのような過去事例はあるでしょうし。
ちゃとらん
ご指摘の通り、この話は、ひとつづつきちんとけりを付けていかないと、結論までたどり着けそうにありません。
能力主義も成果主義もまぜちゃったのは間違いでしたが、(初めに)言いたかったのは、そういう事に給料(生活費)が左右されるべきかどうか、と言う事でした。
でも、給料が全く同じことが、同じ幸せでいられるか、というとそうでもなく、私自身が給料を平等にしたいのか、幸せを平等にしたいのか、そもそも平等ってなに?っていう所の結論が出ていないので、話がまとまらないのだと思います。
逆に、結論ありきではなく、ひとつづつ真理を追究していくのが良いのかもしれませんね。