ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (5) システム課とオーダー票

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 予定では正午から昼休み、ということになっていたが、宇都がさっさと姿を消し、桑畑も戻ってくる気配がないので、<コールくん>説明会はなし崩しに中断となった。吉村は無言で足早に立ち去り、二人のSV もそれぞれ約束があるので、と断って、言葉を交わしながら出ていった。
 田代は小さく嘆息すると、さっきのCC で見せてもらった<コールくん>についてメモしておこうと手帳を引き寄せた。ボールペンを握ったが、最初の文字を書き記す前に、残っていたイズミの申し訳なさそうな声によって中断された。
 「あの、結局、マルチテナント型ってどういう......」
 田代は二重の苛立ちを感じた。邪魔をされたことと、イズミの理解の遅さについてだ。目立たないように一つ深呼吸をして精神を落ち着かせる。まだ理解できていないのはイズミのせいではない。システムを一から組み上げるような仕事を経験してこなかった、というだけのことだ。田代は気を取り直して説明した。
 「最初のCC は旅行の業務、二つめは通販業務だっただろう。それぞれ扱う項目が違うのはわかるよね」
 「はい、それは」
 「入力した情報はデータベースに書き込んで記録しなきゃならない。これもわかる?」
 「はい」
 「システムが一つってことは」田代は新しいページを開くと、空白ページにグリッドを書いた。「簡単に言えば、Excel の一つのシートに同じ業務のデータを書き込むってことになるわけだ」

マルチテナント.png

 「......ああ、なるほど」イズミの目にようやく理解の光が点った。「ツアーコード列と商品コード列があるってことですか」
 「そういうこと。ただ、これは受電の履歴を保存するテーブルが一つだけって前提だけどね」
 「一つじゃないとしたらどういう......」イズミは言葉を切って視線を宙にさ迷わせた後、自信がなさそうに訊いた。「ああ、つまり業務毎にシートが別れてるかもしれないってことですか」
 「そう」田代は少し驚きながら答えた。「YT 履歴テーブル、W 履歴テーブル、みたいな感じにね」
 「そっちの方がよさそうに聞こえます。業務毎に項目をまとめておけるわけですから」
 「カラムね。確かに一つのテーブルにカラムをガシガシ追加していくよりはマシだろうな」
 「あれ」イズミが笑みを見せた。「あんまりお気に召さないって顔ですね」
 「はは」田代もつい顔をほころばせた。「鋭いね。なんか野良テーブルや野良カラムがゴロゴロ出そうで気持ち悪いというか。いや、ちゃんと管理されてればいいんだけどね」
 ORM を当たり前のように使ってきた田代からすれば、テーブルにせよカラムにせよ、動的に増減するのはあまり好ましい方法ではない。テーブルに対応するエンティティクラスを用いて、データベースに対する処理を行うことができなくなるからだ。そもそも田代にとってデータベースのメンテナンスとは、DBA の厳格な管理下で、定義書に基づいて実施されるべきものだった。プロジェクトによっては、カラム一つ追加するにあたっても、関係者の精査と承認が必要になったこともある。
 「はあ、そういうものなんですね。すいません無知で」
 「いや、あくまでも俺の経験の範囲ではってことだけどね。<コールくん>はアリマツ内でしか使ってないアプリケーションだから、そこまで厳格な管理は求められてないんだろうな」
 頷きながら聞いていたイズミが、何かを思い出したように言った。
 「確か、ソースからテーブル定義を修正する方法があったような」イズミは顔をしかめた。「えーと、マイグレーションでしたっけ。あれは使えないんですか」
 「......よく知ってるね」
 「単なる知識レベルです」イズミは肩をすくめた。「広く浅く勉強したんで」
 「なるほど。マイグレーションね。この場合は、ちょっと違うと思うけどね。そもそもそんなの使ってるとは思えないな」
 「そうなんですか」
 「想像で言っててもらちあかないし」田代は宇都が座っていた席をちらりと見た。「だからさっき訊いてみたんだけどね」
 イズミも同じ方向を見て頷き、ポツリと呟いた。
 「どうして、わからないなんて言ったんでしょうね」
 それは質問ではなく、修辞疑問でもなかったが、田代は面食らって問い返した。
 「え、どういうこと?」
 「ですから、なんでウソなんか......」言いかけたイズミが、ハッと気付いてフェイスシールドの上から口を押さえた。「あ、いえ、なんでもないです。すいません」
 田代は半開きになったドアを見て、近くに誰もいないことを確認すると、小声で訊いた。
 「あの人がウソをついたって言いたい?」
 「ごめんなさい」イズミは気の毒になるほど狼狽していた。「私の勝手な妄想です」
 詳しく訊こうとしたが、イズミはそそくさと立ち上がった。
 「じゃ、ランチ行ってきます」
 呼び止める間もなく、イズミの姿は会議室から消えた。唖然となった田代は、しばらくドアから視線を外すことができないでいた。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 13 時を3 分過ぎて会議室に戻ってきた宇都は、全身からスパイスの匂いを放出していた。どうやらランチはカレーだったようだ。遅刻を謝る素振りすら見せずに着席すると、タブレットに何かを入力し始めた。桑畑副社長から午後は顔を出せない、と連絡があったので、釈明をすべき職位の人間がいないことを承知しているのだ。田代は侮蔑の視線を向けた。
 「えー」タブレットをテーブルに伏せた宇都が咳払いした。「じゃ<コールくん>の説明に戻りましょう。マルチテナント型、という意味はわかっていただけたと思いますが」
 田代とイズミは頷いた。
 「あれの保守をしてもらうってことになるわけですが」宇都は二人を交互に見た。「できそうですかね」
 「それはまだ」田代は苦笑した。「とりあえず、仕様書とかテーブル定義とかを見せてもらえますか」
 「あー、それはちょっと。すぐには無理ですね。仕様書の類はうちにはないので」
 仕様書がない? 田代は驚きながら訊いた。
 「どこにあるんですか」
 「もちろんアイカワさんにありますよ。保守するのはあちらなんでね。うちにあっても意味ないでしょう」
 「そうですか。通常、システムの納品物に仕様書や設計書が入っているものですから。最初からないんですか? それとも最新のものだけない、ということですか」
 「さあねえ」宇都はどうでもよさそうに答えた。「私は最初に<コールくん>が導入された後に、中途で入ってきたんで、詳しい経緯は知りませんね。当時の導入担当者はもう退職していませんし。たぶんですが、保守もアイカワさんにお願いすることになってたんで、仕様書とかは求めなかったんと違いますかね」
 そういうこともあるか、と思った田代は、何気なくイズミを見て驚いた。眉をひそめて会議テーブルの向かい側を見つめている。イズミの視線の先にいたのが、宇都ではなく吉村だと気付いたとき、田代は再び驚いた。
 吉村もまた驚いたような顔で、上司を見ていた。明らかに宇都の言葉に首を傾げているようだ。このシーンで真偽が問題になるとしたら、<コールくん>のドキュメントの有無しかありえない。
 田代は先ほどのイズミとのやり取りを思い出した。イズミは宇都がウソをついている、と言った。なぜイズミがそう思ったのかは、この際、どうでもいい。仮にイズミが正しいのだとしたら、宇都は<コールくん>のテーブルの件でウソを言い、いままた、ドキュメントの件で誤った情報を田代たちに伝えていることになる。
 「では、アイカワ製作所さんにドキュメント一式を見せてもらうことはできますか」
 「ええ、もちろんです」宇都は愛想良く応じた。「ただ一式といっても、膨大な量になると思うので、まずアイカワさんから、仕様書の一覧を送ってもらうように連絡しておきます。近いうちに、アイカワさんと顔会わせの機会を設けるので、その際、必要なものを先方に伝えてもらう、ということでいいですかね」
 「わかりました。いつになりますか」
 「アイカワさんの都合も聞かないといけませんから。追って連絡しますよ」
 「リモートでもいいんですがね」
 「いえ、どうせアイカワさんは、近いうちに<コールくん>のメンテナンスで来社されるはずなので、それに合わせるのがいいと思うんです。こんな時期なので、来社の回数もできるだけ少なくするべきですしね」
 せめておおよその目安ぐらい知りたいところだが、宇都の方でそう決めている以上、ごり押しして、システム課との関係を悪くするのもはばかられる。何の実績もないDX 推進ユニットの発言力は大きくはないし、ましてや田代は新参者だ。ここは譲歩すべきところか。
 「わかりました。では、なるはやでお願いします」
 「なるはやで。ラジャー」
 宇都が陽気に応じたとき、イズミが手を挙げた。
 「あの、一つ訊いてもいいでしょうか」
 「はい、どうぞ」
 「今のお話から推測すると」イズミは乾いた声で訊いた。「システム課の方では、<コールくん>の詳しい仕様については把握されていない、ということでしょうか」
 宇都の目から笑みがかき消された。田代はイズミの空気を読まなすぎる発言に、思わず呻きそうになった。この女、人の苦労も知らないで......
 「となると」宇都の返事を待たずに、イズミは続けた。「今日のこの時間は何を説明していただけるんでしょう」
 耳が痛くなるような静寂が降りた。全員の視線が期せずして宇都に集まる。不意を突かれた宇都は唖然となったが、すぐに体勢を立て直し、教え諭すような口調で答えた。
 「確かに詳細な仕様等は、うちでは把握していませんね。それは、後日、アイカワさんにやってもらいます。今日は、CC からの機能追加や改修要望をどう受け付けて、アイカワさんに渡すのか、という手続き的な部分の説明になりますよ」
 イズミが何か言いかけたが、宇都はその隙を与えなかった。
 「これは重要なことですよ。何しろ<コールくん>の保守が、アイカワさんから、DX 推進ユニットへ移った後も、この手続き自体は変わらないんですから」
 「そうなんですね」イズミは素直に頷いた。「わかりました」
 「さてと」宇都は安堵したように言った。「その説明をしていきましょうかね。えー、まず、どこかのCC で改善要望が発生したとします。吉村くん、今、表示できるオーダー票あるかな」
 吉村は頷いて、ノートPC のキーを叩いた。すぐにスクリーンが切り替わる。表示されたのはPDF ファイルだった。

mrCall_order.png

 「あ」紫吹が声を上げた。「先月、うちから出したやつですね、これ」
 「はい、そうですね」宇都は立ち上がると、スクリーンを指した。「まず、このオーダー票をCC 内承認に上げてもらいます」
 「CC 内承認?」
 「オーダー票は、SV が起票して」宇都はなぜか嬉しそうに説明した。「ユニット長がその内容をチェックするのが通例です。内容が合ってるのか、誤字脱字はないか、そもそもオーダーするほどのことなのか、という具合に。もちろん不備があれば差し戻しです。OK なら、所属課に上がります。課長、または課長代理でチェックして承認します」
 「データ印が押してあるようですが」田代は訊いた。「これは紙で回しているんですか?」
 「そうですよ」
 「稟議システムがあるんですよね。E-Flow でしたか。そこで回せないんですか」
 「オーダー票はよく中身を改修してるんですよ。E-Flow の修正も外注なんでコストがね。紙でも特に不都合はないですし」
 そう思っているのは受け取る側だからで、起票する方はまた別の意見がありそうだ。紫吹が落ち着きのない様子で顔を背けたのを見て、田代はそう感じた。
 「で、課長承認後、システム課に上がってきます。ここで内容を審査し、不備があれば、課長経由で差し戻しになります」
 紫吹というSV は名古屋CC の所属だ。ということは横浜と名古屋の間を紙が行き来することになる。社内便か何かを使っているのだろうが、どう考えてもムダが多い気がする。田代がその点を質問すべきか迷っていると、イズミがまた手を挙げた。
 「あのー」イズミは首を傾げながら訊いた。「オーダー票の審査というのは、具体的にどんな作業になるんでしょうか」
 宇都は嬉しそうに手を叩いた。
 「よくぞ質問してくれました。それを今から実際にやってみますね。実演販売ですね。販売じゃないですが」
 「え」紫吹が戸惑ったような声を上げた。「ちょっと待ってください。うちのオーダーでやるんですか」
 「ちょうどいいので」宇都は吉村に顔を向けた。「今日は野沢さん、いたっけ?」
 「はい」吉村が答えて立ち上がった。「呼んできます」
 はじめて吉村の声に若々しく熱意が溢れていた。会議室から駆け出していった後ろ姿も、さきほどまでのやる気なさそうな態度とは真逆だ。
 「内線すりゃいいのに」呟いた宇都は、田代たちに愛想笑いを向けた。「すいませんね。少しお待ちください」
 待つほどのこともなく、吉村はすぐに戻ってきた。一緒に会議室に入ってきたのは、背が高く髪の長い女性だった。ピンク系の布マスクをつけている。フレアスリーブのブラウスとワイドパンツだが、豊かな胸と細いウェストと長い脚を強調するようなコーデだ。
 「うちのメンバーで」宇都が紹介した。「<コールくん>の担当の一人です。野沢くん」
 「野沢です」野沢が微笑んで会釈した。「よろしくです」
 「じゃあ野沢さん、吉村くん。いつものチェックをやってみてよ」
 「はーい」野沢はスクリーンを見た。「えーと、簡単なデモ的な感じですか? それともマジモードで?」
 「本番のつもりで」
 「わかりました」野沢は吉村の隣に座ると、オーダー票を見つめた。「じゃ、いくよ、ヨッシー。いい?」
 「はいどうぞ」
 「申請部門コード」野沢は事務的な声で読んだ。「2、0、6、0、7、1」
 吉村はノートPC のキーを叩いてから答えた。
 「一致です」
 「部門名、東海営業本部 名古屋CC管理部 名古屋CC課 サンサン食品ユニット」
 「一致」
 「CC コード、2、0、6、2、2、4」
 「一致です」
 「はい、次、業務内容......」
 まさか、上から全部読み合わせをしていくつもりではないだろうな、と田代は驚きながらシステム課の二人を見つめた。隣でイズミも呆気にとられたような目を向けている。
 どうやらコードや名称が実在しているかをチェックしているらしいが、人力でやる意味が理解できない。参照するコードがあるなら、自動化すべきだろう。まさかコード表が紙ベースでしか存在していないとでも言うのだろうか。田代は呆れを通り越して怒りを感じはじめていたが、吉村と野沢は、読み合わせしているのが、核ミサイルの発射コードであるかのような真剣さでチェックを続けていて、宇都はそんな二人を満足そうに見ていた。
 「機能名、注文履歴検索画面」
 「注文履歴......」吉村はノートPC の画面を注視した。「同じ名称が複数ヒットしています」
 「んー、そう」野沢は髪をかき上げた。「通常だと、機能名特定不可で差し戻しなんだけどな」
 「いやちょっと」紫吹が焦ったように言った。「うちの業務だと注文履歴検索画面は一つしかないじゃないですか。CC コードがわかってるんだから、どの画面かは特定できるでしょう?」
 「んー、そう言われてもルールだからなあ」野沢は宇都に顔を向けた。「どうします?」
 宇都が舌なめずりして、野沢と紫吹を見た。
 「確かにルールだなあ......」
 「宇都さん、お願いします」紫吹が頭を下げた。「出し直しだと、また課長に上げないといけないんで」
 「うーん」宇都はわざとらしく唸った。「まあ、いいでしょう。特別ってことで、貸しにしときますわ。野沢さん続けて」
 「わかりました。じゃURL 行きます」
 なんて融通が効かない奴らだ、と憤慨した田代は、続く野沢の声を聞いて、再び愕然となった。野沢はフォネティックコードを使ってURL を読み上げ始めたのだ。応じる吉村も一文字毎に復唱している始末だ。
 詳細内容のチェックは、さらに偏執的なものだった。
「表示に時間がかかる、とありますが、具体的なエビデンスあるんですか?」野沢は紫吹に訊いた後、田代たちの方を向いて説明した。「本来なら差し戻してエビデンス添付してもらうんですが、今日は特例ってことなんで。で、どうなんです?」
 「エビデンスって......」困惑した紫吹は周囲を見回した。「そんなものは」
 「ないんですね。じゃあ、実際のところ、時間がかかるっていうのはOP さんの印象というか感想という可能性もなきにしもあらずかもしれないですね」
 「そんなことはないです」紫吹が反論した。「実際に私もオペレータに言われて自分のPC で何度か確認できてますから。ひどいときだと検索ボタン叩いてから、1 分ぐらいくるくる回ってるんです。その間、お客様をお待たせしてるんですよ。テレビだったら立派な放送事故です」
 「で、ページネーション機能が欲しいってわけですか」野沢は微笑みを浮かべたまま言った。「でもページネーション機能っていっても、何件かに分けて表示するってだけでしょう? 結果的にページを送っていったら時間的には同じじゃないですか」
 「いえ、ほとんどの場合、過去履歴で必要なのは、直近の何件かだけなんです。ですから今月、先月ぐらいがすぐ見られればありがたいんです」
 「なるほど。それにしても、やはり実際に計測した時間データはないと正式なオーダーとして受領するのは難しいですねえ」
 「じゃあ、今からうちのCC に連絡して、時間計ってもらいますよ。それでいいですか」
 「いやあ、それもどうですかねえ。たまたまネットワークのトラフィックが遅かったってこともありますから」
 「だったらどうすればいいんですか」
 「そーですねえ」
 野沢は何秒か考えた後、いくつかの条件を口にした。最低でも毎時3 回の計測、プラス、それぞれ異なるPC での計測、プラス、7 日以上の計測。
 「その上で」野沢は締めくくった。「他のCC の事例なども参考にしつつ、ページネーションが機能追加として妥当かどうかを判断することになろうかと」
 「つまり」怒りをこらえているのがわかる口調で紫吹は答えた。「実質的には却下ってことですか」
 「そうは言ってませんよ」
 「まあまあ野沢くん」宇都が割って入った。「確かにチェック基準からすればその通りなんだがね。現実的に考えて、忙しいCC で何度も計測するのは難しいと思うよ。ここは少し緩めてあげようじゃないか」
 「はあ」野沢が肩をすくめ、豊かな胸部が上下した。「課長が仰るのなら」
 「じゃあ紫吹さん」宇都は黄色い歯をむき出して、紫吹に笑いかけた。「せっかく横浜に来てもらってることだから、この後、条件について打ち合わせってことでどうですか。そうだな、18 時とかで」
 「......わかりました」紫吹は頷いた。「お手数ですが」
 「いやいや、センターあってのシステム課ですから。野沢さんもいいかな」
 「あー、申しわけないんですけど」野沢は笑顔で首を振った。「今日は予定があって17 時で退社予定なんです。お伝えしてあったと思いますが」
 「ありゃ、そうだったそうだった」宇都はピシャリと自分の額を叩いた。「すっかり忘れてたよ。えーと、紫吹さんは今日でいったん名古屋の方に戻るんだったよね」
 「......そうですが」
 「じゃあ仕方がない。野沢に代わって、不肖わたくしがお話を聞かせてもらいますよ」
 「え」紫吹は硬直した笑顔を浮かべた。「でもお忙しいでしょうから......」
 「なんのなんの、お気になさらずとも」
 「あの、よかったら」吉村が発言した。「ぼくがやりましょうか」
 紫吹の顔に希望が射したが、宇都が不機嫌そうに打ち消した。
 「お前はやることいっぱいあるだろうが。沖縄PBX の保守スケジュールとか、町田の法定停電対応マニュアルとか。そっちを片付ける方が先だ」
 沈黙した吉村を鼻で笑うと、宇都は紫吹に向き直った。
 「じゃあ、そういうことで。場所はまた後で連絡しますわ」
 紫吹は力なく頷いた。宇都は満足そうに田代たちを見た。
 「まあ、こんな具合にオーダー票を精査して、その結果をまとめて、うちからアイカワさんに出すわけです。おわかりいただけたですかね」
 わかったとも。田代は内心で叫んだ。いかに非効率的でバカげたやり方なのかってことがな。
 「オーダー票は」何とか平静な声を作って田代は訊いた。「どれぐらいの頻度で出されるんですか」
 「月に30 から40 ですね」野沢が即答した。「先月は年度末ということもあって、68 件でした」
 「毎月、何件ぐらいがチェックを通るんですか?」
 「平均して3 件ってとこですね」野沢は平然と答えた。「一発で通るのは、ほぼゼロに近いですが」
 「チェックが厳しいような印象を受けたかもしれませんが」宇都が補足した。「年間保守料の範囲でアイカワさんに出してるので、何でもかんでも、というわけにはいかんのですよ。それはDX 推進室に変わる場合でも同じでしょう? 無限の人的リソースが使えるわけじゃないですからね」
 「......」
 「さてと」宇都は時計を見た。「そろそろ時間のようですな。次の予定がありますので、今日はここまでということで」
 一方的に宣言すると、宇都は立ち上がり、ドアから出ていった。野沢も涼しい顔で後に続く。吉村は何か言いたげに田代たちを見たが、結局、何も言わずに立ち去った。
 「私だけかもしれませんが」イズミが呟いた。「肝心のところはよくわからなかったです」
 「俺もだよ」
 ひとつだけわかったことがある。田代は声に出さずに付け加えた。システム課はDX 推進室の味方ではない。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(8)

コメント

侘助

田代さんの生存フラグは、誰がどんな嘘や隠し事をしているかを突き止められるかにかかっている?

それにしても第二話との温度差・・
ここは強引に主導権を取りにいかないとますます間に合わんような。(上3人からガンガン詰めてもらわないと)

匿名

敵対フラグかぁ。CCの人たちを味方につける展開かな。それにしても社内政治は胃が痛いなぁ。

匿名D

同じ種類の人間が二人いても無用だから、
二人はいいコンビになれるんじゃないだろうか。


それにしても。
宇都氏は権限を私物化するタイプの人物なんですね。
明らかに業務よりも自分の欲求を優先している。
より上位の人物を味方につけないことには対処できないんじゃないかな。

匿名

とりあえず巨乳は正義

ななし~

毎回、ストーリーに加えて画面や帳票が超リアルで震えています...

tech_p

シオリさんが人間かどうかで話の展開が全然違ってくるが、
人間の方だと思いたい。そうなれば、東海林ファンとしては
俄然登場を期待する展開にw。

匿名

マルチテナント型は基本同じシステムを別の企業が使うのであって、同じシステムで複数業務対応しているは別概念に近いと思う。
マルチテナント型で複数業務対応するってそれ別アプリになる。K〇NTO〇Eで顧客管理複数入れるのはマルチテナント型というよりも複数アプリで対応したになる。

CCの業務変更って着信番号で自動で切り替わるから別システムでよかったりする(人的要素が非介入)まあそのせいで20個位アプリが入ってたりする現場があった。
現実的に5,6業務だから同じシステムで着信番号別に違うSQL文で切替するというパターンが多い(レポートは同形式に揃えたいから)。

匿名

宇都氏のニチャァ…とした気持ち悪さの描写すごいw
表現力の向上を感じる。

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