レインメーカー (3) SVとシステム課
◆アリマツ通信 2021.4.5
内製とは?
読んで字のごとくですが、システムを社内だけで作成、運用することです。
アリマツの基幹システムの一つに、センター業務で使う<コールくん>がありますね。この<コールくん>は2003年の本社移転と同じタイミングで導入されたCRMシステムです。センター業務に携わったことがある人ならおなじみですね。<コールくん>はアイカワ製作所というシステム開発会社によって開発・保守されていますが、DX推進室のファーストミッションは、<コールくん>の保守を社内で行うことなんです。
詳しくは、以下のリンクを参照してください。
主力CRM システム保守検討報告書.pdf
撮影・文 総務課 土井
なんてセンスのないネーミング。初めて<コールくん>という名称を聞いたとき、イズミはそう感じた。もちろん口には出していない。今日、会議室のホワイトボードに書かれた「<コールくん>システム説明 9:30 ~ 11:45」の文字を見て、改めて同じ感想を抱いた。隣に座る田代は、システム名についてはそれほど気にかけていないようだ。
土日を挟んで入社3 日目。本日の出席者は先週と変わっていた。根津、椋本の2 人は、副部長という本来の業務で片付けなければならない仕事がある、という理由で顔を見せていない。会議室で桑畑と一緒に二人を待っていたのは、3 人の男女だった。
奥の方に座ってノートPC を操作しているのは、中肉中背、茶髪で細面の男性だった。年齢はイズミと同年代か少し上ぐらいだろう。斜めにつり上がった細い目のせいで、不機嫌そうなキツネのような印象を受ける。洗いざらしのロングT シャツと綿パン、足元は汚れたスニーカーという服装だ。これまで顔を合わせた男性社員のほとんどがスーツだったので、イズミは少し驚いたが、アリマツでは内勤者のドレスコードがないので、これが通常なのかもしれない。
「二人は初めてだったか」桑畑が紹介した。「システム課からDX推進室に参加する吉村くんだ」
桑畑に促され、吉村は二人に向かって会釈したが、何も喋ろうとせず、イズミとも田代とも目を合わせようとしなかった。
「どうも田代です」田代が立ち上がると、身を乗り出して愛想良く話しかけた。「システム課からということは、ネットワークとかサーバとか、インフラ系の担当ってことですね。いろいろ勉強させてください」
吉村は小さく頷いただけで、やはり口を開こうとしなかった。田代はムッとしたようだったが、肩をすくめて腰を下ろした。
「えー」桑畑が咳払いした。「システム課からは、もう一人来るはずなんだが遅れてるみたいだな。こっちは、先週、話に出たアドバイザの二人だ。名古屋CC の紫吹くんと、横浜CC の近藤くんだ。どちらも優秀なSV(スーパーバイザー)だよ。じゃ、二人とも簡単に自己紹介してもらおうか」
最初に立ち上がった紫吹の方はずんぐりとした体型で、地味なブラウスとスカートだ。細いフレームのメガネをかけていて、アクセサリの類は左手の結婚指輪ぐらい。イズミの第一印象は公立図書館の司書、だった。年齢は30 前後、と思われた。
「紫吹です」ハキハキと話す声は、耳に心地よく響いた。「現在は名古屋CC で通販業務を担当しています。DX 推進室はCC 業務を大きく変えてくれると思っているので、現場からの意見や要望を遠慮なくお伝えしていきます」
よろしくお願いします、と締めくくると、紫吹はイズミと田代には笑みを見せたが、吉村には冷めた視線を送ってから着席した。
SV は、直接電話を受けるわけではなく、オペレータたちの管理が主業務だが、場合によってはオペレータに代わって相手と話すこともある。ほとんどは何年かオペレータ業務を経験した後、昇格試験と面接を経てSV になる、というのが、入社初日に新入社員たちと一緒に受けた説明だった。クレーマーに応対したり、不手際を丁寧に謝罪したりと、SV にはトークスキルはもちろん、業務に関する深い知識や対人折衝スキルも求められる。紫吹の声は明瞭で、話し方には安心感があった。他人とのコミュニケーションに今ひとつ自信がないイズミには羨ましい限りだ。
代わって立ち上がった近藤は、すらっと背が高く、ストレートヘアの似合う美人だった。春らしい明るい色のワンピースにカーディガンの組み合わせだ。派手ではないが上品なイヤリングとネックレスを付けている。同じSV といっても、いろんなタイプが存在するようだ。
「近藤でーす」柔和で明るく好感の持てる声だった。「横浜CC で某旅行会社の業務をやっています。横浜生まれの横浜育ち、27 歳独身です。IT 企業に勤めてる友だちからいろいろ聞いてるんで、システム作るのが大変だってことはわかってます。微力ながら協力させてもらえれば、と思っています。どうぞ、よろしくお願いします」
近藤は座りかけたが、何かを思いついたように、また身体を伸ばした。
「そうそう。この会社はどういうわけか、近藤っていう名字の人が多いんです。同じセンター内でも二人いるし、経理とシステムにもいるんですよ。名字で採用してんのか、って思うぐらい。だからあたしのことは、シオリと名前の方で呼んでもらうと間違えないです。うちのセンターじゃ、シオリ姉さんとか呼ばれてます」
イズミが思わず口元をほころばせたとき、腰を下ろしたと思ったシオリがまたもや立ち上がった。
「あ、彼氏はいません。募集中です。いつでも募集してます。いい人いたら是非。65% ぐらいのイケメンで、心身共に健康で、定職に就いていて、最低限の礼儀とマナーをわきまえていて、タバコを吸わない人ならオッケーです。エヴァファン優遇です」
さすがに自由にやりすぎでは、と心配になったイズミは桑畑を見たが、副社長も面白そうに笑っていた。
「もういいかな」桑畑は含み笑いしながらドアの方を見た。「さて、今日は<コールくん>の説明なんだが、宇都くんはまだ来ないのか。吉村くん、ちょっと内線してみてくれ」
吉村は頷くと、壁際の内線電話の受話器を取った。
「吉村ですが、宇都さんは......はい、第3 会議室です......すいません」
ぶっきらぼうな声を想像していたイズミは、ごく普通の穏やかな口調を聞いて拍子抜けした。
「......あ、そうですか。ありがとうございます」
受話器を置いた吉村は、桑畑に言った。
「ついさっき、システム課を出たそうなんで、もう着くと思います」
「あ、そう。じゃ待つか」
吉村は席に戻ると、ノートPC に目を落とした。何かのドキュメントを見ているらしく、数秒おきにカーソルキーを叩いている。その姿を見ていたイズミは、何かが心に引っ掛かっていることに気付いた。吉村に関することらしいが、はっきりしない。記憶を辿ってみようと上を向いたとき、勢いよくドアが開いた。大股で入室してきた人物を見た途端、正体不明の引っ掛かりのことなどイズミの頭から吹き飛んでしまった。
「遅くなりました」その男性は、甲高い声で言った。「いろいろ忙しいもんで」
風船みたいだ。それが第一印象だった。誰かに相対するとき、まず顔に注目するのが通例だが、イズミの視線は、ほぼ球体に近い巨大な胴体に釘付けになった。5厘刈りの頭、細い手足に気付いたのは、実に数秒が経過してからだ。
「予定は入れてあっただろう」桑畑が苦い顔で答えた。「調整しておいてもらいたかったな」
「はあ。4.1 から始まった業務でトラブルがあって」
イズミのプライベートでも、肥満体型の知り合いはいる。だが、この男性は、その中の最も太った人よりも、さらに質量がありそうだった。細い手足、と見えたのは、163cm のイズミと、身長がそれほど変わらないため、規格外の胴体が強調されているためだ、とわかった。魔人ブウか、リンチ版デューンのハルコンネン男爵か、黄金の風のポルポか、BB-8......と脳裏で始まったイメージのスライドを、イズミは慌てて止めた。脳内限定の比較にしても、あまりにも失礼だ。
「あー、システム課の宇都くんだ」桑畑が苦い顔で紹介した。「<コールくん>の担当者。宇都くん、知ってると思うが、DX の二人だ」
「ああ」宇都はイズミたちを一瞥し、ボソッと呟いた。「例の」
息を切らしているのは急いできたからではなさそうだった。エアコンの効いた室内で、顔いっぱいに汗が浮かべていた。イズミの視線は、再び胴体部分に引き寄せられた。とうてい既製品ではありえないズボンはサスペンダーで留めている。シャツのボタンは今にもはち切れそうだ。一体、あのウェストは何センチあるんだろう、とイズミはあらぬことを考えた。ホルモンバランスや疾患など肥満の原因は多い。宇都が体重をコントロールできていないのは、不摂生などではないのかもしれない。そう頭では理解していても、生理的な嫌悪感が沸き起こるのは止められなかった。
「どうも初めまして」田代が立ち上がると、少々引き気味に挨拶を返した。「田代です。よろしくお願いします」
「ん。シクヨロ」
システム課は礼儀知らずの集まりか、と言いたげな顔で田代は腰を下ろした。君も挨拶したら、という目が向けられたので、気が進まなかったが、イズミは立ち上がった。
「朝比奈です。よろしくお願いします」
「ああ、どうも」
宇都はイズミを見もせず、ドスドスと奥に入っていった。イズミたちの後ろを通るとき、何週間も放置した洗濯物のような臭いが鼻を突き、イズミは思わず呼吸を止めた。吉村の隣に腰を下ろすと、パイプ椅子が抗議の悲鳴を上げた。
「これで揃ったな」桑畑が言った。「じゃあ、宇都くん、<コールくん>の説明を」
「わかりました」宇都は吉村を見た。「おい、スライド」
「はい」
短く答えた吉村は、ノートPC をプロジェクタに接続した。スクリーンにWindows のデスクトップが表示される。吉村が共有フォルダの階層を辿るのを、宇都は指でテーブルをコツコツと叩きながら見ていたが、何秒もしないうちに叱責した。
「遅い。ファイルの準備ぐらい、あらかじめやっとけや」
「すいません」
「使えんやっちゃな」宇都は舌打ちした。
パワーポイントの画面が表示されると、宇都はノートPC を奪うように引き寄せ、「それでは」と説明を開始した。
<コールくん>は、アリマツ社内で使われているCRM システムである。2003 年の本社機能横浜移転に合わせて作成された。作成したのは、株式会社アイカワ製作所という県内のIT ベンダーだ。
「メインとなるサーバは」宇都はスクリーンに構成図を表示した。「県内のデータセンターにAP サーバが2 台、DB サーバが2 台。その他、バックアップとして関西地方のデータセンターにも、同じ構成で配置しています。OS はWindows Server 2016。DB はOracle 10g。VPN は......」
ハードウェアとネットワークについての説明が、しばらく続いた。イズミは必要なのかどうかわからなかったが、とりあえずメモを取っていた。アジェンダの類が何もないためだ。宇都も吉村も何も持っていないので、後から配付されるということもなさそうだった。
「......横浜の方のサーバについては、即時対応の保守契約を結んでいるので、まあ、何かトラブルがあっても、4 時間以内に保守業者が来てくれることになっています。RAID の故障予報も監視していて、ディスクの交換は基本......」
「あの、いいですか」とうとうしびれを切らしたのか、田代が手を挙げた。「ハード面の話よりも、<コールくん>のソフトウェア面の話を聞きたいんですが」
「ソフト面?」宇都は頭をガリガリと掻いた。「何のために?」
イズミと田代は顔を見合わせた。
「何のって......」田代は記憶の照合を求めるかのように、腕を組んでいる桑畑を見た。「上期中にDX 推進ユニットで保守を引き継ぐことになっているでしょう」
「あー、その話ですか」宇都が薄笑いを浮かべ、同じく桑畑に目を向けた。「それってまだ確定ではないんじゃなかったですかね」
「確定ではないが」桑畑は苦い顔のまま答えた。「6 月の株主総会後の役員会議で正式決定される予定だ」
「予定ですね。つまりまだ決まってないってことだ」揶揄しているように、宇都は一人で頷いた。「ひっくり返る可能性だってあるわけですねえ。確定するまでは、現状の体制が続くという前提でやらせてもらってますよ、うちとしては」
「いいから」桑畑は反論しなかった。「ソフト面の説明も頼む」
なぜか一課長に、社外取締役とはいえ副社長であり、DX 推進室のマネージャでもある桑畑が気を遣っているような雰囲気があった。イズミは首を傾げて田代を見た。田代もやはり疑問に感じているようで、探るような視線を桑畑と宇都に向けていた。
「まあ、いいでしょう。桑畑さんが仰るなら」
宇都はカーソルキーを叩いてスライドを何枚かスキップした。
「えーと」わざとらしく嘆息した後、宇都は興味なさそうな声で言った。「言語はJava ですね。JDK1.8。他、何を知りたいですかね」
「フレームワークは何を使ってるんですか」
「フレームワーク? 特には何も。普通にServlet とJSP ですが」
「え、そうなんですか」田代が驚いたような声を上げた。「Struts とかSpring とかSeaser2 とか何もですか?」
「そう言ったでしょう」ややムッとした口調で宇都が訊き返した。「何か問題でもありますか」
その質問は二人に向けられていたが、何が問題なのかわからなかったイズミは田代を見た。田代は説明するかどうか迷ったようだが、すぐに首を横に振った。
「何でもありません。続けてください」
「続けると言ってもね。後、何を言えばいいのか......ああ、そうだ。これは言っておいた方が、というか、知っておいてもらわないといかんですね。<コールくん>の特徴は」宇都は顔を歪めた。「マルチテナント型であることです」
田代が首を傾げたところをみると、マルチテナント型という言葉の意味がわからなかったのはイズミだけではなかったらしい。幸いなことに、宇都も「そこからか」とは言わず、別の図を表示して説明してくれた。
アリマツには横浜CC マネジメント部に2 つ、名古屋CC 管理部に3 つのCC 課があり、各課の下には、複数のCC(コールセンター)が存在している。一口にCC と呼ばれてはいるが、その寿命や規模は多種多様だ。数日間という短いCC もあれば、毎年契約が更新されて何年も継続稼働しているCC もある。ブース数(席数)も2、3 ブースから100 ブース以上と様々だ。
業務内容も千差万別で、通信販売の受付や、家電製品のヘルプデスク、自治体の手続き案内など、顧客も業務も多岐にわたる。稼働しているCC の数は、4 月1 日現在で56 だ。そのうち21 のCC がCRM システムとして<コールくん>を利用している。
「<コールくん>はですね」宇都が得意げに言った。「それらの業務を、全部、一つのシステムで受け止めているんです」
宇都は賞賛を期待するように二人に顔を向けたが、イズミには何がすごいのかピンと来ていなかった。田代の理解度もイズミと同程度のようで、宇都の言葉を咀嚼するように首を傾げている。
「あれ?」宇都はイズミたちをじとっと睨んだ。「もしかするとよくわかってない感じですかね。元システム屋さんだから、わかると思ったんですが、ちょっと過大評価でしたか」
田代が何か言いかけたが、宇都は嘆息すると、桑畑に言った。
「保守を引き継ぐって、本当に大丈夫ですかねえ。もうちょっと時間かけた方がいい気がするんですが。切実に。保守を内部に切り替えた途端に<コールくん>が落ちたりしたら、困るのはCC の人たちですよ。ですよね、紫吹さん、近藤さん」
同意を求められた紫吹は困惑した顔になり、シオリは肩をすくめた。
「コールセンターのシステムに知識を持ち合わせていないのは認めます」田代が感情を抑えた声で言った。「だからこそ、こうして説明に時間を割いてもらっているんだと思います。マルチテナント型の説明をしてもらえると助かるんですが」
「基礎知識がない人にどうやって説明すればいいんですかね」宇都は天井を仰ぐと、スマートフォンを取り出した。「いっそIVR やACD、PDS あたりの基礎知識から始めた方がいいかな。でも、今日は準備がないし、明日以降だと当分予定が空いていないんですよね。そうですね、GW 明けあたりに改めてリスケするってことにしますか......」
「いくらなんでも」田代の声に憤慨が混入した。「そんなことを了承できるわけないでしょう」
イズミも同意見だった。宇都の提案を一度受け入れてしまえば、次も何らかの理由で延期されることを許すことになる。上期に<コールくん>の保守を引き継ぐ、というスケジュールが成立する可能性が限りなく低くなってしまう。
「そうは言われてもねえ......」
宇都が言葉を続けようとしたとき、シオリが勢いよく手を挙げた。
「はーい」シオリはきれいに揃った白い歯を見せた。「提案があります」
「なんですか」
「実際の業務を見てもらうっていうのはどうでしょうね。もちろん、<コールくん>使ってるCC で。だいたい今の時間帯は、どこのCC も絶賛稼働中でコール数が多いですから、コールセンター業務の雰囲気も掴めると思いますし。」
「うーん」宇都は気が進まない様子で腕を組んだ。「予定にないことだし、いきなりセンター見学ってのもねえ。現場に迷惑でしょう。だいたいセンター見学の申請が間に合わないですよ」
「あー、実はですねえ」シオリは「てへ」と擬音が付きそうな笑顔を浮かべてみせた。「こういうこともあろうかと思って、先週、申請通してあるんですよ」
宇都は一声唸ると、腕を組んだ。別の断る口実を探しているように、あちこちに視線をさ迷わせている。
「まあ、いいんじゃないか」予定でもあるのか、何度も時計を見ながら桑畑が口を挟んだ。「百聞は一見にしかずというしな」
宇都が渋々、といった様子で了承した。
(続)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。
コメント
匿名
今週も胃が痛い展開だなぁ。
匿名
うちもサーブレットとJSPだけでやってるわ
h1r0yuki
いいぞ、シオリ殿
できるねえ
匿名D
名称からしてエースの開発かと思ったんだが。
Wikipediaによると、Strutsの初板は2001年。
2003年に構築されたシステムだってんなら、
まだそういう物に手を出さないという選択もありそう。
会社としての意思統一すらなってないとは。
これから横槍やら催促やら、
ハードな障害物レースになりそうですね。
匿名
社内政治部分だけでカットアウト到達の予感
じぇいく
これはあれだな、シオリ殿はアーカムの息がかかっ・・
何だお前!!離せ!!俺をどこに連れていく気だ!!
藤井秀明
ああ、シオリって名前に見覚えがありましたが、番外編に出てきたマリの友人ですかね。
確かその時もエヴァネタを持ち出してましたし。