ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

夜の翼 (7) ここではないどこかへ

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 侵入対応オペレーションが全て終了したのは、40 分後だった。
 ポイント閉鎖処理が完了し、侵入したナイト・ゴーンツに対する攻撃ロジックが実行された後、現場は警察によって封鎖された。犠牲となった市民の数は18 人。病院に緊急搬送された負傷者は33 人だった。
 その一部始終を、シュンは最後まで見続けたが、自称保護者の方は、途中でスクリーンから目をそむけてしまっていた。ナナミは何度となく、シュンを連れて帰ろうと試みてはいたが、とうとう成功しなかった。オペレータが作戦終了を告げ、私が後処理をPO たちに指示しているとき、ナナミはやや強い口調でシュンに帰宅を促したが、シュンは従おうとはせず、考え込むような表情で私に質問した。
 「今の、ナイト何とかも、プログラムで攻撃したんですか」
 「そうだよ」
 「さっきの公園みたいに、銃で何かを撃ち込んだわけじゃないですよね。どうしてですか?」
 サチが目を塞いでいたはずだが、しっかり見ていたらしい。私はその抜け目なさに苦笑しながら首を横に振った。
 「あのときのショゴスは、ずっと昔にSPU から送り込まれて眠っていたものだ。今回のあれは、今、開いている侵入ポイントから量子情報として送り込まれ、実体化したものだから対応方法が違う」
 「どう違うんですか?」
 「シュン」ナナミがたしなめた。「お仕事中よ。あまりしつこく聞かないの」
 表面的には私に遠慮してくれているように聞こえるが、実際はシュンが深入りするのを防ごうとしているのだろう。私は「いや構わないよ」と言って、ナナミを沈黙させた。
 「SPU が侵入を試みるとき、トンネルを開けてナイト・ゴーンツやショゴスなんかのクリーチャーを、物理的な実体として送り込んでくるわけじゃない。送り込まれてくるのは、量子化された一連のデータだ。そのデータの中には侵入ポイントそのものに加えて、クリーチャーの情報も含まれている。複雑に密結合したプログラムの塊と言ってもいい。ここでやっているのは、そのプログラム群に対して、外部からウィルスのようなロジックをぶつけて、結合をバラバラにすることだ。それは物理的な距離に依存しない」
 「公園のやつは違うんですか」
 「侵入ポイントが閉じてしまうと、量子化情報が得られなくなる。その場合は、目視できる距離から敵の情報を取得して、あたりそうな対応ロジックをブルートフォースアタックでぶつけていく。個体ごとにプログラムは微妙に異なるんだが、ある程度のバリエーションになら、対応ロジックが自動調整してくれる。公園に現れたショゴスは、既知のパターンライブラリにない個体だった」
 シュンは再び4 人のPO に視線を戻した。ドライバはリンとカズトに交替したが、休憩を挟むことなく後処理を続けていた。侵入ポイントに適用した封鎖ロジックに漏れがないか、一連のスキャンルーチンを走らせ、結果をチェックしているのだ。
 「ずいぶん忙しかったみたいですけど、いつもこんな調子なんですか」
 「いや、一日の間に、ここまで集中するのは珍しいよ」
 「人手不足ってことですか?」シュンは小首を傾げながら言い、すぐに付け加えた。「さっきの人がフル稼働してるとか言ってましたけど」
 セクションF の福崎のことだ。私は首を横に振った。
 「ここ何日かで、侵入が連続しているんだよ。関東近県、それも海の近くに集中しててね。ほとんど総出で対応してる」
 口には出さなかったが、これは異常事態だ。SPU からの侵入がこれほど重なることは珍しい。時期だけではなく、場所まで集中している。この状況が始まったのは5 日前。私とサチが、5 人目のPO スカウト任務を命じられた翌日からだ。偶然の一致、で片付けられる範囲を超えている。
 「ブラック企業じゃん」ナナミが鼻を鳴らし、腕時計を見た。「もう8 時過ぎてるのに。そっちの子は小学生でしょ。労働基準法に違反してるんじゃないの?」
 サチが咳払いした。
 「それについては、例えば個人事業主だと適用されないとか、厚生労働大臣が必要であると認めれば何時まででもOK とか、まあいろいろ抜け道はあるのよ」
 「そもそも抜け道を探さなきゃならないってとこが、十分、ブラック企業じゃん」
 「あの......」マイカが振り向いてナナミを見た。「わたしは、別に強制されて、この仕事をやってるわけじゃないんですよ」
 ナナミは驚いた顔でマイカに訊いた。
 「好きでやってるっての?」
 「好き、というか」マイカは肩をすくめた。「わたしの力を必要としてくれてるから」
 「そう思うように洗脳されてるんじゃないの?」
 「わからなければいいです。別に」
 マイカは素っ気なく言うと、またモニタに向き直った。ナナミがムッとした表情でシュンに何か言おうとしたとき、チャイムと同時にドアが開いた。
 「お仕事中、失礼しますよ」
 そう言いながら入室してきたのは、防衛管理室の佐藤管理官だ。ファーストネームは誰も知らない。濃い頭髪としわ一つない若々しい顔は20 代後半か、せいぜい30 代前半ぐらいに見えるが、かなり長い年月をアーカム・テクノロジー・パートナーズで過ごしてきているらしいことが言葉の端々から窺えるので、もう少し年輪を重ねているのかもしれない。防衛本部長を兼務している山田防衛管理室長に次ぐ権限を持ち、防衛本部のあらゆるオペレーションの責任者でもある。
 「みんなおつかれさまでした」佐藤管理官は笑顔を見せると、小さな箱を掲げて見せた。「シュークリームです。後処理が終わったら食べてください」
 PO たちは小さく歓声を上げた。テーブルの上に置かれた箱には、元町にあるパティスリーのロゴがある。もう閉店時間を過ぎているはずなのに、どうやって入手したのか謎だ。賞味期限は当日中だから、ストックされていたはずはない。
 「加々見シュンくん」シュンに微笑みかけた佐藤管理官は、人好きのする声で呼びかけた。「佐藤です。ようこそ、アーカム・テクノロジー・パートナーズへ。一緒に働けることを期待しています」
 「あの、そのことですけど」ナナミがシュンを守るように前に出た。「シュンは見学に来ただけで、ここで働くなんて一言も言ってませんから」
 佐藤管理官はニッコリ笑った。
 「辻本ナナミさんですね。ご心配なく。シュンくんの意志は尊重します。ここで働くのがイヤだと言うなら、もちろん強制はできません」
 「そうですか。じゃあ......」
 これで帰らせてもらう、とでも言いかけたナナミに、佐藤管理官は相変わらず穏やかな表情で続けた。
 「でも、少し考えてみてください。ヨネヤマでは、高校生になったらアルバイトを認めていますね」
 「はあ? ああ、はい、そうですが......」
 ヨネヤマ児童ホームは、シュンとナナミが生活している児童養護施設だ。ナナミは戸惑いと警戒を等分に浮かべ、シュンの腕をギュッと掴んでいた。
 「辻本さんは、週に4 回、都筑区にある商店街のベーカリーショップでバイトでしたね。時給は930 円」
 「ちょっと......」
 「シュンくんも、高校生になったらバイトをするんでしょう。どんなバイトを考えているんですか?」
 「ぼくですか?」シュンはナナミと顔を見合わせた。「そりゃコンビニとかガソリンスタンドとか......」
 「高校生を雇ってくれて、ヨネヤマの許可が出るのは、それぐらいでしょうね。でも、シュンくん、接客業なんてできますか? というより、やりたいですか?」
 「そりゃ、やりたいかって言われたら......」
 「君は人付き合いが得意な方ではないでしょう」佐藤管理官は温和な口調で、冷徹な事実を音声化した。「学校でもヨネヤマでも、周囲から浮いてしまう。相手に合わせるということが、根本的にできないからです。ナナミさんを除いて、友達と呼べる相手はいない。ヨネヤマの職員たちも、シュンくんとは一定の距離を置いて接していますね」
 「ちょっと!」ナナミが怒鳴った。「何言ってるんですか!」
 「そんな君が」佐藤管理官はナナミの怒りなど意に介さず、シュンに向かって語を継いだ。「接客業ですか? 横柄な客、クレーマー、酔っ払い、イヤな上司、そんな相手に敬語を使って対応できますか? 今日の公園で君に絡んできたあいつらみたいな人間にだって、お店では頭を下げなければならないんですよ。君にできますか?」
 「いい加減にしてください!」ナナミは佐藤管理官に食ってかかった。「最初からできる人なんていないじゃない。そうやって、いろんな人間と関わっていくことで、社会ってものを学んでいくんじゃないんですか?」
 「普通の人はそうですね」佐藤管理官は口元だけで笑った。「でも、シュンくんは違う。辻本さんだって知っているはずです。シュンくんは、嫌いな相手に頭を下げるぐらいなら、死んだ方がマシだと思うタイプです。シュンくんがコンビニでバイトを始めたとして、最初の給料日まで何のトラブルも起こさなかったら、私は私の首を食べてみせますよ」
 「しょうがねえだろ」シュンが乱暴な口調で吐き捨てた。「俺はこういう性格なんだから。あんたに何がわかるんだよ」
 後処理をしていたPO たちは、一斉に手を止めてシュンに視線を集中させた。急に変わった一人称に、別の人格が出現したのかと驚いたらしい。
 「シュン、帰ろう」ナナミは改めてシュンの腕を掴み直した。「こんな人をバカにするようなところにいることない」
 シュンは黙って頷き、ナナミに引かれるままにドアに向かって足を踏み出した。サチが口を開きかけたとき、別の声がその背に浴びせられた。
 「あー、逃げるんだ」
 シュンは振り向き、発言者を睨んだ。
 「なんだと」
 「そうじゃん」リンは軽蔑したように鼻で笑った。「図星だからって、尻尾巻いて逃げるんじゃん。そんなだからハブられるんだよ。あんた、絶対、裏サイトでボロクソ言われてるでしょ」
 シュンの頬が紅潮した。シュンが通う学校の裏サイトは、私もサチと一緒に見た。リンが言ったように、複数の生徒がシュンに対してあることないこと投稿している。どこそこの店で万引きしているのを目撃した、ゲイ風俗でバイトしているらしい、違法薬物をネットで買っている、鶴見川の河原で猫を苛めていた、などなど。悪意という原材料が、これほどまでにヴァリエーション豊かな想像力に変換できるのかと感心するほどだ。シュンがどこかの屋上で喫煙していたり、コンビニの駐車場で座り込んで飲み食いしながらゴミを放り投げている精密なコラ画像まで何枚か存在していた。
 「やっぱりね。チーフ、あたし、こんな奴と仕事するのイヤでーす」
 シュンはリンに詰め寄ろうとしたが、ナナミが後ろから引き留めた。
 「相手にしないの。行くよ」
 「ナナミさん」サチが優しく、しかしきっぱりと言った。「それは間違ってるわよ」
 「は? 邪魔しないで。どいてよ」
 「帰りたいなら止めない」サチはドアへの動線から身体をずらした。「でも、あなたが決めていいのは、あなたの行動だけ。シュンくんの行動は、シュンくん自身が決めなきゃダメよ」
 「あたしはシュンの......」
 「親でもお姉さんでもないでしょう」
 「でも、シュンはまだ中学生で......」
 「あんたさあ」またリンが言った。「さっきマイカに、洗脳されてるとか何とか言ったよね。あんたこそ、シュンくんに刷り込みしてんじゃないの? あんたの言うことに従ってれば間違いない、ってさ」
 「うるさい」ナナミは吐き捨てたが、やや動揺しているようだった。「他人は口出さないでよ」
 「ナナミさん」私は呼びかけた。「ナナミさんと呼んでいいか」
 「もう呼んでるじゃん」
 「ナナミさん。シュンが優勝したU-18 原石発掘プログラミング大会だけどな。募集を見つけてきたのも、参加を勧めたのも君なんだろう?」
 「それがどうしたのよ」
 「君なりにシュンくんの将来のことを考えたんじゃないのか? 人とのコミュニケーションを取るのが苦手なシュンくんが、得意なプログラミングを生かせる仕事に就くキッカケにでもなれば、と思ったんじゃないのか」
 「......だったら何」
 「君は知らないかもしれないが、将来、シュンくんがIT 業界に就職したとしても、一日中、キーボードとモニタだけを相手にしてればいい、というわけにはいかない。理不尽な仕様変更に振り回されたり、納期と予算のことしか考えてないサラリーマンSE から罵倒されたり、カビが生えた技術を『まだ動いてるから』という理由でメンテナンスし続けなければならなかったりする」
 シュンの顔には、ふてくされたような表情が残ってはいたが、一時的な激情は、すでに鎮静化したようだ。私の言葉に耳を傾けてくれている。
 「シュンくんが技術的に理想的な提案をしたとしても、技術を理解していないアホな上司や経営者に却下されることなんて日常茶飯事だ。少し前に、某コンビニのキャッシュレスサービスが、大甘なセキュリティ仕様だったせいで、サービス開始と同時に不正利用が相次いだことがあっただろう。あれだって、末端のエンジニアはきちんと二段階認証を含めたセキュリティの提案をしたはずなんだ。それなのに、わかってない奴が下らない理由でいろいろ削った結果、ボロボロのサービスがリリースされることになった。結局、サービスは三ヶ月でEOL だ。何人かの責任者が飛ばされたらしいが、そんなことはどうでもいい。必死でサービスを開発したプログラマたちが、どんなに悔しかったかわかるか。俺はあのシステム開発に携わった、って胸を張って言うこともできないんだ。むしろ開発メンバーの一員だったことを恥じてるかもしれないな」
 「何が言いたいんですか」
 そう訊いたナナミの口調からは、少し棘が抜けていた。
 「全部そうだとは言わないが、日本のIT 業界のほとんどでは、意外なことにプログラマの発言力は一番低いんだよ。大抵は、経営者や営業が物事を決めていることが多い。実現できるかどうか、技術的に妥当なのかどうかを考えもせずにな。しわ寄せはプログラマに来るし、いろいろな技術的障壁を乗り越えてシステムを作ったとしても、賞賛されることはあまりない。しかも給料だって高いとは言えないしな」
 「......」
 「でも、ここは違う」私はオペレーションルームを手で示した。「アーカム・テクノロジー・パートナーズは、プログラマを尊重してくれている。いささか官僚機構的なところはあるが、それぞれの部門で、プログラマがプライドを持って仕事をしているんだ。さっきのオペレーションのとき、デザイン課からパッケージがなかなか降りてこなかっただろう。あれは別に、デザイン課が嫌がらせをしてるんじゃない。デザイン課はデザイン課で、自分たちの仕事に責任を持っているんだ」
 「そういうことです」私が言葉を切ると、佐藤管理官が引き継いだ。「我々なら、シュンくんの力を最大限に発揮できる環境を提供できるということです。ここでは年齢も性別も経験も関係なく、プログラミングスキルがステータスです。先輩の下で、何年も雑用をやらされる、なんてことはありません。若干のトレーニングは必要ですが、シュンくんなら即戦力ですよ」
 ナナミは少しの間、シュンの腕を掴んだまま考えていたが、やがて顔を上げると、落ち着いた顔で言った。
 「それでもあたしは、シュンをここで働かせるのは反対です」
 「どうしてですか?」
 「まだ子供なのに、可能性を狭めることになると思うから。今、シュンが一番得意なものはプログラムかもしれないけど、これから他に熱中するものが見つかるかもしれないでしょう」
 リンが小声で何か呟いた。わからずや、とでも言ったのだろう。サチが口を開きかけたとき、ナナミはそれに先んじた。
 「でも、シュンの進路をあたしが決めるのは、確かに間違ってたかも」ナナミはシュンの腕を放すと、優しい声をかけた。「あんたが決めて。あたしはそれを尊重するし、応援するから」
 今度はシュンが考える番だったが、その思考時間は短かった。
 「確かに面白そうな仕事だとは思うけど」シュンは考えをまとめるように呟いた。「こういうことは簡単に決めていいことでもないと思うしなあ。どうしようかな......何日か考えてみてもいいですか?」
 サチが私を見て、落胆の表情を浮かべた。サチの考えはわかる。こういう場合、即決でなければ、否定的な結論が出ることの方が多い。もしこのまま児童養護施設に帰れば、シュンとナナミは二人で話し合う。ナナミは応援する、とは言ったものの、反対の意志も明らかにしているのだ。果たして、シュンがナナミに逆らってまで、アーカムで働くことを決めるだろうか、と思っているのだろう。
 「もちろん構わないよ」佐藤管理官は失望した様子もなかった。「でも、一つだけ聞いてもらいたいことがあるんだ」
 「なんですか?」
 「ちょっとこちらに来てもらえるかな」
 佐藤管理官はシュンを手招きし、当然のような顔で付いてこようとするナナミを制した。
 「辻本さん、悪いけど、これはシュンくんだけにしか聞かせられないから」
 ナナミは渋々頷いて、足を止めた。佐藤管理官は、シュンをオペレーションルームの隅に連れて行った。ブレイクエリアにしている一角で、二人用ソファと小さな冷蔵庫、簡単な給湯器具が置いてある。その向こうにはPO の個人ロッカーと、洗面所、トイレに通じるドアだ。
 私は興味津々で、こちらに背を向けている二人を見た。佐藤管理官が何かを囁いていて、シュンは黙って耳を傾けている。私に劣らず興味深そうな表情のサチが、同じく二人を見ながら囁いた。
 「あれって、最終面接でしょうか」
 「そうらしいな」
 これまでのPO に対しても、佐藤管理官が最終面接を行っている。他のセクションでも同じかと思っていたが、どうやらセクションD だけらしい。単に未成年だからなのか、それとも別の理由があるのか。以前、それとなくリンやハルトに訊いてみたことがあるが、面接のことはあまり記憶に残っていないようだった。
 佐藤管理官はボソボソと平板な声で話していて、熱意をこめて勧誘している様子ではない。もちろん脅迫に類する言動でもなさそうだ。
 「ねえ」ナナミが不満そうな顔で私に訊いた。「あれ、何やってるんですか?」
 「面接だと思う」
 「面接って」ナナミは面食らったように訊き返した。「バイトの面接みたいなやつですか?」
 「似たようなものだ」
 不意に、佐藤管理官の口調が変化した。それまでは淀みなく流れ出ていた言葉が途切れ、一音節ずつ区切って発音しているようだ。声のボリュームが少しだけ高くなり、私の耳に数語が届いた。
 ......ブトグト......フングルイ......イズカ......
 日本語ではなさそうだ。自信はないが、英単語とも思えない。もちろんIT 用語でもない。私がサチと顔を見合わせたとき、佐藤管理官は元の口調に戻って言った。
 「以上だよ」
 シュンがゆっくりと頷いて、私たちの方に向き直った。ナナミが小さく息を呑んだ。シュンの顔に浮かんでいる、揺るぎない決意の表情に気付いたためだ。
 「ナナねえ、ぼくは決めたよ」宇宙の真実を知った賢者のように厳かな声だ。「ここで働くことにする」
 「シュン」ナナミは駈け寄って、シュンの両肩をつかんだ。「帰って考えるんじゃなかったの?」
 「もう決めたから」シュンはそう言って手を重ねた。
 「シュン......何か脅されたんじゃないわよね」
 「まさか」シュンは声を上げて笑った。「男なら、こういう仕事やってみたいじゃん」
 「女でもやってるけどね」リンが言い、シュンに近付いてきた。「じゃあ、決めたんだ?」
 「うん。君はこんな奴と働くのはイヤかもしれないけどね」
 「あ、気にしてた?」リンは照れたように笑った。「ごめんね。マジで言ったんじゃないからさ」
 「気にしてないから」
 「君、原石発掘プログラミング大会で優勝したんだね。すごいじゃん。中学生がグランプリ取ったってのは聞いてたんだけどさ」
 他の3 人も席を立ち、ややぎこちないが会話に参加した。ナナミは少し寂しそうな顔で一歩下がり、その様子を見守っている。サチが私に小声で訊いた。
 「さっき男の子だからって言ってましたよね。あれ、どういうことですか」
 「シュンが自分で言っただろ。こういう仕事やってみたいって」
 「プログラマを、ってことですか?」
 「プログラミングで世界を救うってやつだよ。男の子なら、まあ女の子でもそうかもしれんが、そういうシチュエーションを一度は夢想するもんだ」
 「そんなもんですかね」
 「それと」私は声を潜めた。「ナナミが反対してただろう」
 「してましたね」
 「男の子ってのは、機会があれば、いまいる場所から離れてみたくなるものなんだよ。独り立ちとか自立とか家出とか、そういう物理的なロケーションの話じゃなくて、変化したいという衝動があるんだ。シュンがナナミを慕ってるのは間違いないが、それでもナナミの庇護から離れて、自分だけの力で何かをやってみたい、と無意識のうちに思ってたんじゃないかな」
 サチはクスリと笑った。
 「シュンくんは、自分を変えることで、ナナミちゃんと早く対等になりたいのかもしれませんね。男って、良くも悪くもええかっこしいだから」
 「男の子、じゃなくて男がか」
 「男はみんな同じですよ」そう言って、また少し笑った後で、サチは真顔になった。「ところで、さっきの呪文みたいなのって何ですか?」
 その質問は私たちの横に来ていた佐藤管理官に向けられていた。佐藤管理官はニッと白い歯を見せた。
 「それは話せないんです。もしかしたら、いつかお二人にはわかるときが来るかもしれませんが」
 「他の子たちにも、同じことをしたんですね」
 「さあ、どうでしょうね」
 「さっきのインスマウス人の言葉ですが」私は訊いた。「あれは何ですか」
 「何の話でしたか」
 「シャイニングTです。説明してもらえると言いましたよ」
 実際に言われたのは、必要があれば、だったが、佐藤管理官は細部にこだわらなかった。
 「おそらく近いうちに説明の場を設定できるはずです。今、いろいろ調整中なので。それより、そろそろ時間も時間です。早く後処理を終わらせて、帰宅させた方がいいんじゃないですか」
 サチは頷くと、PO たちに声をかけてモニタの前に戻らせ、シュンとナナミを連れてきた。
 「シュンが決めたことだから」ナナミは私に言った。「もう反対はしませんけど、大切に扱ってもらえるんでしょうね」
 「もちろん」
 「それで具体的にシュンはどうすればいいんですか? 施設の方にも説明しなきゃいけないと思うし」
 「ヨネヤマの方は心配しなくてもいいですよ」佐藤管理官が言った。「諸々の説明や手続きはこちらでやります。他の子と同じように、次世代プログラミング教育策定ワーキンググループのテストケースとして、シュンくんに一定の時間通ってもらう、ということになります。通勤の方法などは改めて説明しますが、シュンくんさえ良ければ、ここの中に部屋を用意することもできますよ」
 シュンは少し迷ったが、すぐに首を横に振った。
 「まだしばらくは施設から通います。学校も近いし」
 理由はそれだけではないだろうが、私もサチも口には出さなかった。シュンが横浜ディレクトレート内に部屋を持てば、ナナミとは離ればなれになってしまう。シュンもナナミも、それは望んではいないはずだ。
 「わかりました。では、そういうことで。今日はおつかれさまでした。数日以内にこちらから連絡します。台場さん、二人を送っていってもらえますか。車は準備してあります」
 こうしてシュンは、セクションD の五人目のPO として正式採用となった。

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。本文中に登場する技術や製品は実在しないことがあります。

Comment(8)

コメント

Maki

ここではないどこかへ ー モナ・シンプソンか萩尾望都かヴィンランド・サガか。あと、GLAYとか乃木坂?
今週はヒリヒリはしない展開でしたね。

急展開

えー!!今回の話でシュンが
……………………の子孫の可能性と読み取れるんですが。

Dai

> 固体ごとにプログラムは微妙に異なる

リーベルG

Dai さん、ありがとうございます。
「個体」ですね。

なんなんし

〉急展開
佐藤管理感が説明省くために
直接、自分の記憶を見せただけでする(´・ω・`)

なんなんし

〉急展開
佐藤管理官が説明省くために
直接、脳内の記憶を見せただけでする(´・ω・`)

TT

> ナナミはやや強い口調でシュンに帰宅を促したが、シュンは従おうとはせず、考え込むような表情で私に質問した。
> 「今の、ナイト何とかも、プログラムで攻撃したんですか」
> 「そうだよ」
> 「さっきの公園みたいに、銃で何かを撃ち込んだわけじゃないですよね。どうしてですか?」


ここ、上から読むとどちらもシュンが質問しているように読み取れたのですが、
直後の
> サチが目を塞いでいたはずだが、しっかり見ていたらしい。私はその抜け目なさに苦笑しながら首を横に振った。


とあるので、2つ目はナナミの発言ってことですよね?何か表現に違和感があります。

TT

ごめんなさい、最初からナナミって書いてますね・・・完全に私の勘違いでした。

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