ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

ハローサマー、グッドバイ(2) 選別基準

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 階段を上った先は、短い廊下になっていた。廊下の照明は全部点いているし、温度は控えめだがエアコンも効いている。うらやましい。さすが、独自の財源を持つ内閣直轄の治安維持組織だ。

 廊下の両側にはドアが4つ。一番手前のドアが半分開いていて、話し声が洩れてくる。他のドアはみな固く閉ざされていたから、ここが目的地なのだろう。ぼくはおそるおそる中を覗こうとした。

 「おい、早く入れ」

 不意に後ろから投げつけられた苛立たしげな声に、ぼくは文字通り飛び上がった。慌てて振り向くと、背広を着た50才ぐらいの男性が、不機嫌そうな顔でぼくを睨んでいる。

 「す、すみません」ぼくは反射的に謝った。

 「ん?」相手はいぶかしげにぼくの顔を見た。「君はJSPKFの人間じゃないのか。誰だ?」

 「ええと、その、システムのテスト要員で呼ばれて......」

 「ああ。技術屋か」気のせいか、蔑むような口調だった。「さっさと入りたまえ。君は入り口をふさいでいるんだぞ」

 「すみません」ぼくはまた謝りながら会議室に入った。

 中には会議用テーブルとパイプ椅子が、実に適当に配置されていて、ざっと30人ほどの男女がバラバラに座っている。青地に白い翼のインシグニアでそれとわかるバンド隊員が最大勢力で、半分ほどを占めていた。残りの何人かはスーツにネクタイのビジネスマンスタイルだったが、ほとんどはぼくのようにカジュアルな服装だった。

 その中にいた麻のジャケットを着た男性が、ぼくが入ってきたのに気付くと、急ぎ足で駆け寄ってきた。年格好はぼくと同じぐらいだが、悔しいことにずっとイケメンだ。

 「えーと、ヤマブキさんの......」男性はちらりと手元のメモに視線を落とした。「鳴海さん?」

 「はい」

 「ああ、よかった。私は佐分利情報システムの島崎です。ソリスト・システムの営業担当インストラクターという立場です」

 「はじめまして。鳴海です」

 ぼくたちは握手を交わした。インシデントZ以前なら、ここで名刺交換するところだが、そんな習慣は名刺を印刷してくれる工場の大半が稼働停止している現在では、とっくに消え去っている。

 「じゃ、こっちへどうぞ」

 ぼくは島崎さんの案内で、カジュアル組が固まっている方へ合流した。そこに集まっていたのは、平均年齢が20代後半ぐらいの男性5、6人だった。互いに顔見知りではないらしく、会話が弾んでいたようには見えない。どうやら、佐分利情報システムを元請けとして仕事を回してもらったシステム会社のエンジニアのようだ。ぼくと同じようにテスト要員として差し出されたのだろう。

 「ところで」窓際のパイプ椅子に座ると、ぼくは島崎さんに訊いた。「これから何が始まるんですか?テスト要員だと言われて来たんですけど」

 「あれ?」島崎さんはいぶかしげな顔を向けた。「ソリスト・プロジェクトに関わったんじゃなかった?」

 「関わったといっても」ぼくは太田係長にした説明を繰り返した。「ユニットテストをやっただけです。そもそも、ソリスト・プロジェクトが何なのかも、よくわかってないんですよ」

 「ああ、そうなんだ」島崎さんは苦笑した。「おたくの会社の人にはちゃんと言っておいたはずなんだけど。どのぐらい知ってるの?」

 「バンド隊員のためのシステム、というぐらいです」

 「ソリストは、言ってみれば、日本版ランドウォーリア計画ってとこだよ。歩兵のIT化だね。歩兵情報処理支援戦術環境、つまり、Soldier Information Support Tactical Environment。略してソリスト」

 「ランドウォーリアって、米軍のあれですか?ヨンカーズだか、どっかの対Z戦で本格的に導入されて、大失敗に終わったってやつ」

 「そう、それ。あっちのは、火器管制とか攻撃目標の効率的な選定とか、とにかく攻撃的機能主体だったけど、日本じゃZの殺害はNGだから、防衛的な機能に重点が置かれてるよ。鳴海さんは、どのあたりの単体テストをやってくれたの?」

 「ええと、それがよくわからなくて」ぼくは頭を掻いた。「テスト用のPCと、テスト仕様だけ与えられて」

 ぼくがやったテストは、次のようなものだ。テスト仕様の項目Noを入力し、Ready状態になったら、マウスを適当に動かす。数秒待つと画面に"again"か"next"の文字が表示されるので、Enterキーを押す。"again"の場合、同じ項目NoのままReady状態になり、"next" の場合は、次の項目Noに進む。これをひたすら繰り返すのだ。10回に1度か2度、画面に意味不明のアルファベットの文字列が表示され、そのときは同じ文字列を入力しなければならない。マウスの移動によって物理乱数を生成しているのだろう、ぐらいの想像はできたが、内部的に何をやっているのかは、まったくわからなかった。テスト用のノートPC自体、ブラックボックスとなっていた。何しろ電源を入れて起動するのはテスト画面で、ログインもアプリケーションの起動もできなかったのだ。OSが何だったのかさえ未だにわからない。筐体にはネジ1つ見当たらず、マウスとキーボードも、本体から直接伸びていた。USBポートさえなかったのだ。佐分利の担当者は、強引に筐体を開こうとすると、不可逆的自己破壊プログラムが作動するようになっているので、故障しても自分で修理しようなどとは考えるな、と言い残していた。

 「ふーん、何のテストだろうね。鳴海さんの会社に出したテストだと、たぶん、ヘッドセットサブシステムのUI部分かな。正確に言うと、その前段階か。私はプログラマじゃないんで、よく知らないんだけどね」

 ヘッドセットサブシステムとは何か、と質問しようとしたとき、半開きだったドアが全開になり、10人ほどがまとまって入室してきた。タンクトップに都市迷彩のハーフパンツ、胸にブルーと白のインシグニア。全身汗だくだった。どうやら、先ほどグラウンドで訓練をしていたバンド隊員たちらしい。

 「お、揃ったかな」島崎さんがつぶやいた。

 バンド隊員たちは、ぼくたちのテーブルに無遠慮な視線を投げた後、会議室の中央に進むと、1つだけ空いていたテーブルを当然のような顔で占領した。こんなに間近で実戦部隊のバンド隊員を見る機会がなかったぼくは、あまりあからさまにならないように観察した。

 男性が10人、女性が2人。つい今し方まで炎天下の中でランニングをしていたはずなのに、疲労の気配さえ見せていない。小声で何かの会話を交わしては短く笑っているが、世間で言われているような乱暴者の集団という印象ではなかった。

 一番小柄な女性隊員が不意に立ち上がると、会議室の壁際のテーブルに歩いていき、そこに置かれていたウォーターサーバーから、人数分のプラスティックコップに水を汲み始めた。13個のコップに水が満たされると、女性隊員は両手に1つずつコップを持って、他の隊員に渡し始めた。トレイとして使えるようなものがなかったようだ。他の誰も手伝わないところを見ると一番下っ端なのだろうか。

 3往復めになったとき、何かの拍子で女性隊員と目が合った。ぼくは思わず立ち上がると、女性隊員に近づいていた。

 「あの、手伝おうか?」

 女性隊員は驚いたような顔をぼくに向けた。その瞳の色が透き通るような茶色であることに気付いたとき、女性隊員は小さく首を横に振っていた。

 「ありがとう。でも私の仕事だから」

 「いや、でも......」

 「お構いなく」

 素っ気なく言われたとき、一番奥に座っていたスーツ姿の中年女性が立ち上がった。長身で、髪はくすんだ金髪だった。

 「じゃあ全員揃ったようなので始めます」マイクなど使っていないのに、会議室内の隅々まで通る声量だった。「私は、ハウンドホールディングス日本支部のアヤコ・キーレンバッハと申します。今回のソリスト実地テストの責任者の立場にある者です」

 キーレンバッハ氏は小さく一礼した。名前を除けば、音声といい仕草といい、日本人と変わらない。

 「早速、テストの詳細について、最終的な説明に入りましょう......と言いたいところですが」キーレンバッハ氏は口元だけで微笑みながら室内を見回した。「どうも想定していたより人数が多いようです。たとえば、あなた」

 キーレンバッハ氏が人差し指を向けたのは、スーツ組の1人で初老の男性だった。男性は驚いたように顔を上げた。

 「あなたはどなたですか?」

 「は。ワカモト通商の山之内と申しますが。営業部の者です」

 「ここにはどんな役割で参加を?」

 「は。それは、我が社を代表して......」

 「言い直しましょう」キーレンバッハ氏は山之内氏の言葉を一切の遠慮なしに遮った。「山之内さんは、今回のテストに参加されるんですか?」

 「いえ、そういうわけでは」山之内氏の禿げ上がった頭頂部に汗が浮かんでいる。「ただ、大きな取引なので、我が社を代表して......」

 「つまり見ているだけ、ということですね」断言口調だった。「どうぞ、お引き取りを」

 「は?」山之内氏は呆気に取られたように訊き返した。「何とおっしゃいましたか?」

 「出て行ってください。見ているだけの人員を、我々は必要としておりません」

 そう言いながら、キーレンバッハ氏は会議室の壁際に影のように立っていた男に合図した。身長2メートル近いスーツ姿の巨漢だ。巨漢は、山之内氏に近づくと丁寧に、しかし断固とした態度でその腕を掴んで立たせると、半ば引きずるようにドアの方へ導いていった。山之内氏の弱々しい抗議の声はすぐに消えた。部下らしい近くにいた数人の男性が、慌ててその後を追ってドアの向こうに飛び出していった。

 「では、あなたはどなたですか?」

 キーレンバッハ氏が次に指したのは、ついさっき、ドアの前でぼくを技術屋と呼んだ男性だった。

 「Z人権監視委員会の朝松だ」先刻と変わらず尊大な口調の答えだった。「テストに参加することになっている。バンドの諸君が、こっそりZ因子キャリアを殺傷するのを防ぐためにな」

 その言葉に、バンド隊員たちが一斉に朝松氏の方を睨んだ。朝松氏は怖れる様子も見せずに冷たい視線を返す。ぼくは新たな興味を持って、朝松氏を見た。Z人権監視委員会は、Z保護法案成立と同時に誕生した、法務省隷下の有識者委員会だが、その背後には複数の宗教団体の支持があるというウワサだ。その活動の目的はただ1つ、Zの殺害を防ぐことだ。Zのことを「ゾ」で始まる単語で呼ぶことは、Zの人権を侵害する行為であるため、これを禁ずる、というバカげた条文が追加されたのは、この委員会の多額の献金によるものだという記事を読んだことがある。世界中から非難されても、委員会のメンバーは少しもその方針を改めようとしなかった。

 「ああ、あなたが監視員の方ですか。いいでしょう。では、あなたは残って結構です。では、その隣の方、そう、あなたです。あなたはどのような立場でここにいらっしゃるのですか?」

 「わ、私はワカモト通商国際通商部営業第2課の......」

 「はい、あなたも不要です。出口はあちらです」

 そんな調子でキーレンバッハ氏は大鉈を振るい続け、会議室からはどんどん人が減っていった。今にも「薙ぎ払え!」と命令を放つのではないかと思えるほど、その行動には妥協も逡巡も見られなかった。ワカモト通商の技術担当営業マン、川越工業の営業部長とお供の営業部員、その他何社かの会社のお偉いさんたち、神奈川県会議員だという女性とその秘書、何かの市民団体代表。ソリストのシステム開発チームのシステムエンジニアだという男女も5人以上いたが、1人を除いて全員不要と判断された。バンド隊員たちは誰も声をかけられず、さっきの小柄な女性隊員は、仲間の求めに応じて、水やらタオルやらを取りに行くために、冬眠前のリスのように忙しく動き回っていた。

 キーレンバッハ氏の冷厳な視線が最後に向けられたのは、島崎さんとぼくが座っている一角だった。

 「あなたは?」

 「佐分利情報システムの島崎です」指名された島崎さんが立ち上がった。「ソリストシステムの営業担当インストラクターです。テストに参加予定です」

 「どういう役割での参加ですか?」キーレンバッハ氏は首を傾げた。「佐分利情報システムからは、すでに胡桃沢さんが来ていますね」

 胡桃沢さんは、佐分利情報システムの開発チームの中でただ1人残留を許された男性だ。チームリーダーと名乗っていたが、島崎さんが耳打ちしてくれたところによれば、名ばかりリーダーでしかないらしい。

 「まあヘルプデスクといったところでしょうか。ハード面、ソフト面の操作についてですが」

 キーレンバッハ氏は小さく頷き、島崎さんを残留させた。そして、ぼくを指した。

 「あなたは?」

 「はい」ぼくは生唾を呑み込んで答えた。「鳴海です。ヤマブキ・ロジスティック・システムから来ました。テスト要員として呼ばれたんですが」

 「テストに参加を?」

 「だと思いますが、詳しいことは何も聞いていなくて......」

 キーレンバッハ氏の形のいい眉がひそめられるのを見て、ぼくはてっきり退室を命じられるものと覚悟した。だが、キーレンバッハ氏は手にしたタブレットで何かを見た後、あっさりこう言った。

 「いいでしょう。とりあえず、座ってください。では、次......」

 拍子抜けしたぼくは、島崎さんに囁いた。

 「あれはどういう基準で選んでるんですかね」

 「シンプルな基準だよ。つまり、単なる立ち会いはいらないってこと。テストに直接参加しない人は不要なんだろう」

 「そのテストなんですが......」ぼくはずっと訊きたかったことを口にした。「何をするんですか?」

 「それも聞いてないの?」

 「はあ。何しろ、今日の午前中にいきなり行けと言われたんで」

 「ああ、そういうことか」島崎さんは顔をしかめた。「困ったな。私の口から言っていいのかわからないんだが......」

 島崎さんの言葉は、キーレンバッハ氏の言葉によって遮られた。

 「お待たせしました。ここに残った人たちによって、今回のテストを進めていくことになります。改めてよろしくお願いします」

 ぼくは室内に残った人数を数えてみた。JSPKFの人々、キーレンバッハ氏、その部下らしいが国籍不明のスーツ姿の若い男性、人権監視委員会の朝松氏、佐分利情報システムの胡桃沢さん、島崎さん、ぼくと同じように開発やテストの一部に携わったらしいエンジニアが3人、そしてぼくだ。

 「さて、そちらの4名のエンジニアの人たちには、これから簡単な面談を受けていただきます。といっても面接官は私ではありません。オペレーションMMの分隊長になりますが。谷少尉、お願いします」

 バンド隊員の中から、1人の男が立ち上がった。30代ぐらいで、浅黒く日焼けしている。右目の眉の上に大きな傷が残っていた。

 「こっちへどうぞ」

 谷少尉が短く言い、さっさとドアの方へ歩き出した。ぼくたちは遅れまいと後に続いた。

(続)

Comment(10)

コメント

E-5甲玉砕

新作始まっていたんですね。今後の展開が楽しみです。Zはゾの方ですか。一瞬あ段かと思ってしまいました。
それはさておき、現代日本の延長上の世界、であれば、「少尉」よりは「三尉」のほうが違和感ないかな、と思います。既存の自衛隊と全く別の階級体系にする必要性が思いつかないだけですけど。

オットー

E-5さん
自衛隊じゃないからじゃないですかね。
あ段って何でしょう?

トリス

Zaccheroni、だな

ほげほげ

>E-5甲玉砕さん
あえて自衛隊の階級を出さないのは、
自衛隊をそのまま小説内に出すと、
それが政治的にセンシティブな話題に繋がって
コメント欄がコンピュータエンジニアとは関係ないところで
荒れるかも知れない、
と作者が警戒しているのではないかと推測しています。
(一応このサイトはコンピュータエンジニアの意見交換の
場であって、政治の話をするならもっとふさわしい
サイトがほかにあるでしょうし)

もしくは単に、SFチックな世界観を強調するために、
自衛隊の名前を出していないとか?

ななし

そのへん言い出すと、そもそもキリスト教、イスラームという世界宗教ではZの存在は認められない、抹殺すべき存在なので、複数の宗教団体がZの殺害を防ぐという設定自体がリアルではありえません。
注:このへんは日本でも事情は同じ。神道では伊邪那美神話見ればわかるとおり、Zは穢れた存在で抹殺対象ですし、大乗仏教でも涅槃も輪廻転生も否定する存在として抹殺対象になるでしょう。つまり世界中のほぼすべての宗教が抹殺のために金を出さないとおかしい。
そういうわけで、あくまで仮想世界、我々とは異なる世界での話と考えれば少尉で構わないかと。

通りすがり

フィクションって言葉をみなさんご存知ですか?
現実と虚構、とりわけ個人的な妄想とはきちんと区別してくださいね^^

la

あれやね、時は205X年くらいでしょ。

fuga

階級なんてどうでもいいじゃん。
これだからミリオタは・・・。┐(´-`)┌

--

>それでは何の証明になっていないんですよ
も落?

--さん、ありがとうございます。
落ちてましたね。

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