鼠と竜のゲーム(16) PING
五堂テクノロジーサービス、ソリューションデベロップメントDivisionの野崎Div長は、間断なく襲ってくる苛立ちと、心の一部を浸食しようとする不安の両方を押し殺しながら、来客スペースの椅子に座っていた。前者の原因は、隣に座っている城之内主任にあり、後者は数分以内に到着する予定の訪問者にあった。
当事者――というよりこの騒動の張本人――である城之内は、不安や動揺を毛ほども感じていないようで、手にしたスマートフォンの上でせわしく指を滑らせている。プライバシーフィルターが邪魔して、野崎の位置からは画面の内容は見えなかったが、何をやっているのかはだいたい想像がついた。TwitterでT市立図書館事件のことで、根拠のないウワサを拡散しているのだ。野崎から注意を受けたため、元のアカウントでのツイートは止めていたが、懲りずに別のアカウントで続けているらしい。社内のWi-Fiポイントには接続していないようで、野崎も物証を突きつけて問い詰めることはできなかった。
さらに、野崎が一連のツイートを追いかけてみたところ、自分で拡散するだけではなく、誰かが発した関連するツイートにも、間を置かずに反応している。目覚めている時間のほとんどを、その行為に費やしているのではないかと思われるぐらい、実にマメな対応だった。仕事では平気で手を抜くくせに、こういうところは執拗すぎるぐらいだ。社会人DNAの重要な部分が欠損しているとしか思えない。
数分後、受付の女性社員に案内されて、2人の男性が現れた。40代後半らしい男性が、まだ20代と思われる男性を連れている。野崎は城之内を促して立ち上がった。
「お世話になっております」年長の方が礼儀正しく頭を下げた。「サードアイ株式会社の田嶋でございます」
「こちらこそお世話になっております」
4人は名刺を交換した。若い方が差し出した名刺には、井上という名前が印刷されている。野崎はT市立図書館カスタマイズ案件の際の書類に、その名前があったことを思い出した。
「本日はお忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございました」席に着いた田嶋社長は小さくお辞儀をし、井上もそれにならった。
「いいえ、その節はお世話になりました」野崎も穏やかに返答した。「それで、本日はどういったご用件でしたか?」
サードアイの2人はちらりと視線を交わした後、別々の方向に視線を移した。田嶋社長は野崎の方へ、井上は自分の腕時計に。おそらく当時の担当者ということで同行を命じられただけで、これから話をするのはほとんど社長の方なのだろう、と野崎は井上を少し気の毒に思った。
「実はですね。御社の<LIBPACK>のT市立図書館向けカスタマイズの件ですが……」
「ええ」
「今、そのことで、ネットに妙なウワサが流れているのをご存じでしょうか?」
「ウワサですか」野崎は相手の真意を測ろうと、田嶋社長の目をじっと見つめた。「どういったウワサでしょう?」
田嶋社長は2枚のコピー用紙を取り出すと、無言で野崎と城之内の前に置いた。それは、見覚えのあるツイートのプリントアウトだった。
「ああ、これですか」野崎は平静を装って答えた。「これなら社内の人間から報告を受けましたよ。これが何か?」
「このせいで弊社は少々困ったことになっておりまして」田嶋社長は野崎と城之内に交互に視線を向けながら答えた。「主に営業面での話ですが……」
「営業が」
「はい。取引先から仕事を、その、切られるという事態が、いくつも発生しておりまして。すでに着手していた案件も、いくつかが途中で打ち切られています」
「ほう、それはまた……」
答えながら、何げなく城之内を見た野崎は、その顔に微かな興奮が走ったのを見逃さなかった。
――こいつ、リークしやがったな。
根拠はないが野崎はそう確信した。城之内は、メールか、怪文書か、とにかく何らかの手段で、サードアイの取引先にあることないこと囁いたのだ。サードアイのホームページには、過去の開発実績としていくつかのユーザー企業の名前が載っている。おそらくそこからたどったのだろう。
野崎の視線を感じたのか、城之内は表情を消すと、再びスマートフォンを取り上げ、何かを入力し始めた。目の前にサードアイの2人がいることなど意にも介していない。
「城之内くん」野崎は小声で注意した。「しっかり話を聞いてくれないか」
城之内はうるさそうな顔で野崎を見返したが、何かを口にする前に、田嶋社長が小さく笑った。
「いえいえ、構いませんよ。お仕事もお忙しいでしょうし。こちらが無理を言ってお時間を作っていただいているわけですから」
城之内が驚いたように田嶋社長を見たが、すぐに唇の端だけで笑い、「どうも」とつぶやくと、すぐにスマートフォンに注意を戻した。野崎はその手からスマートフォンを取り上げて、床に叩きつけてやりたい衝動を必死で押さえ込んだ。
こいつが今やっているのは、十中八九、あなたの会社の悪評をネット上にばらまくことなんですよ。
そうぶちまけられたら、どんなにすっきりすることか。野崎はその誘惑を振り払うと、田嶋社長に訊いた。
「それは大変でしょうが、弊社とどのような関係があるのでしょうか?」
「ええ、他でもありませんが、御社の方から正式に声明なり発表なりを出していただけないでしょうか」田嶋社長は野崎の目をまっすぐ見ながら言った。「あの図書館の障害は、弊社に責任はない、と」
「なるほど」野崎はうなずいた。「そういうことですか」
「そうしていただけると、この無責任なウワサも自然消滅していくのではないかと思われるのですが」
野崎が答えようとしたとき、それまで無関心を装っていた城之内が、いじっていたスマートフォンをテーブルの上に置くと、突然、身を乗り出した。
「いやいや、サードアイさん、それはちょっと無理ですよ」
田嶋社長はそう言われるのを予想していたかのように、落ち着いて城之内を見た。
「はあ、なぜでしょうか?」
「まずですね」城之内はわざとらしく人差し指を立てた。「うちにとってのメリットが何もないですよね。おたくは得するかもしれませんよ、そりゃあ。うちみたいな大企業に保証してもらえばね。でも、うちは評判を落とすだけじゃあないですか」
「……」
「次にですねえ。問題のコネクション解放漏れの原因が、どこにあるのか不明なんですよ。以前に、確かこちらの井上さんにお電話で問い合わせしたようにね、当時のソースが一切残っていないんですよ。まあ、それはこちらのミスではあるんですがね」
名前を呼ばれたサードアイの社員は、ちらりと城之内の方を見たものの、すぐに視線を自分の腕時計に戻した。
「つまり、御社の責任である可能性も、ゼロではないということなんですよ」
あまりのこじつけに唖然となった野崎だったが、同時に、城之内の言い分も、事情を知らない第三者から見れば、十分に筋が通っていると認めざるを得なかった。もちろん、社内のソース管理システムのリポジトリには、依然として問題のソースは残っている。そのソースを精査すれば、城之内が言っていることが嘘だということは、たちどころに判明するだろう。だが城之内はもちろん、野崎も、サードアイ側に問題のソースを開示するはずがない。
サードアイを始め、当時の開発に参加したどの協力会社も、ソースを所有していないことは城之内が先手を打って確認済みだ。つまり、サードアイは具体的な証拠を提出することができない。
「えーと、私が開発に参加させていただきましたが」そう言ったのは、視線を落としたままの井上だった。「そういう関係にタッチした記憶はないんですが。御社には、弊社がどの機能を担当したかという記録は残されていないんでしょうか?」
「はは、そういう記録は残ってないですね」城之内は得意げに答えた。「ソース管理システムで、JavaDocに履歴が残りますから、必要ないんですよ」
「はあ……そうですか」井上はようやく顔を上げて、城之内を見た。「それでは分かりませんね」
テーブルの上に置かれた城之内のスマートフォンが、ブブブッと振動した。城之内はそれを手に取りながら、井上を勝ち誇ったように見た。
「ご理解いただけたようでよかった」
せせら笑うようにそう言うと、城之内は椅子に背中を預け、再びスマートフォンの操作に戻った。その顔をしばらく見ていた井上も、まるで城之内にならうように腕時計に視線を戻した。
「なるほど。それは残念ですが、そのとおりですね」田嶋社長は、その言葉ほど失望した様子を見せずにうなずいた。「それでは、こういうのはいかがでしょう。弊社が仕事を切られた取引先の担当者に、御社の方から一言、仰っていただくというのは」
「といいますと?」野崎は首を傾げた。
「つまり先方は、うちの技術力を疑問視しているわけで」田嶋社長は愛想笑いを浮かべた。「そういうことはない、と言っていただくだけでも、かなり態度が違うと思うんですよ。五堂テクノさんといえば、名だたる大企業ですから」
「声明を出すのとあまり差がないですね」野崎は指摘した。「公にやるか、個別にやるかだけの違いしかないのでは?」
「そうなんですが……」
「分かっておられませんね、サードアイさん」城之内がまたもや口を出した。「どちらにせよ、ソースが残っていない以上、御社のミスである可能性が依然として残ると、さっき言いましたよね。それなのに、うちが御社を擁護することを非公式にでも言うわけにはいかないことぐらい、分かりませんかね」
if~else が100個ほど連なるソースを解析しているような、怒りにも似た苛立ちが野崎の腹の中に沸き起こった。彼我の立場を利用して横柄な態度を取る城之内に対してはもちろんだったが、少し考えれば実現の可能性が極めて低いことを平気で懇願してくる田嶋社長や、コミュニケーション能力に問題があるのか、自分の時計ばかり見ている井上に対しても、等分に苛立ちを募らせていた。
「そうですか」野崎の心中を察しない田嶋社長が、納得したようにうなずいた。「確かにおっしゃるとおりですね」
――この人たちは、一体何をしに来たんだ
野崎は不思議に思った。藁にもすがる思いで、五堂テクノの温情をあてにしにきたのだろうか。野崎は1人のエンジニアとして、サードアイに多少の同情を感じてはいたが、田嶋社長が言ったような声明を出すことは企業としてあり得ない。最大限譲歩しても、原因がどこにあるかは不明、と発表するぐらいのものだが、それではサードアイが直面している状況を打開するには至らないだろう。
PiPi
小さな電子音が城之内の方から聞こえた。野崎は城之内に小声で囁いた。
「マナーにしておきなさい」
「はあ、すいません」
おざなりに謝罪した城之内はスマートフォンをテーブルの上に置くと、スーツの内ポケットから別のスマートフォンを取り出して覗き込んだ。そして少し考えた後、タッチパネルの上に指を滑らせ始めた。
城之内を放っておくことに決めて、サードアイ側に向き直った野崎は、田嶋社長と井上の2人が、揃って城之内を注視しているのを見て驚いた。特に井上は、さきほどまでの無関心さが嘘のような熱心さで、城之内の手元を凝視している。
野崎の心の中に、もやもやとした疑念が渦巻いた。それが1つの思考に形成される前に、城之内がスマートフォンの操作を終えて、満足そうな顔で内ポケットに戻した。それを見たサードアイの2人が、ちらりと視線を交わすのを見て、野崎はわけもなく不安に駆られた。
「分かりました」田嶋社長は目的は果たした、とでも言いたげな顔で頭を下げた。「どうも、お時間を取らせて申しわけありませんでした。本日はこれで失礼します」
「そうですか」不安を感じたまま、その正体をつかみきれないまま、野崎は応じた。「どうもお役に立てず申しわけありません」
「いえいえ、とんでもございません」
田嶋社長は腰を浮かせたが、そこで動きを止めた。
「ああ、そういえば」田嶋社長はさりげない口調で言った。「このウワサの発信元に心当たりはございませんでしょうね?」
「ありませんね」城之内が即座に応じた。「まったくね。うちが発信源とでも言いたいんですか?」
「いいえ。ただ、そういうツイートがネットに上がっていましたのでね。ご存じでしたか?」
田嶋社長はそう言うと、野崎の顔を見た。野崎は迷ったが、真実を答えた。
「ええ、まあ、見たことはありますね。あまり気にしているわけではありませんが」
「まあ、しょせん、ネット上の無責任なウワサですからね」田嶋社長は小さく笑った。「ただ、御社の方はどのような対応をされるつもりなのかな、と思いましてね」
野崎が答える前に、城之内が薄笑いとともに割り込んだ。
「もちろん放っておきますよ」傲岸不遜な口調だった。「変に反応すると炎上しますからね。それに、うちのことをよく知っている取引先企業なら、こんなウワサなんか気にも止めませんよ」
「そうですか。うらやましいですね」
「御社のような小さなところだと大変ですねえ。こんなウワサ1つでも経営に大打撃でしょうから」
「城之内くん」さすがに野崎はたしなめた。「失礼だろう」
「いえいえ、お気になさらずに」田嶋社長は穏やかに笑った。「事実ですし、現にこうしてあたふたしているわけですからね」
「……」
「では、失礼します」
サードアイの2人は丁寧に頭を下げると、来客スペースを出て行った。それを見送った城之内が、フンと鼻を鳴らし、スマートフォンをつかんだ。
「やれやれ。何しに来たんですかね、あいつらは」
城之内は、資本金2000万円程度のベンチャー企業に対する蔑みを隠そうともしなかった。これは城之内に限ったことではなく、会社の規模を自分の力と勘違いしている一部の若手社員に見られる風潮である。叩き上げの技術者である野崎は、常々、それを忌々しく感じていたし、ことあるごとに諫めてもいる。だが今、野崎の関心は別のところにあった。
「城之内くん」野崎は部屋を出て行こうとしていた部下を呼び止めた。「ちょっと聞きたいことがある」
「なんですか?」顔をしかめた城之内が振り返った。「忙しいんですけどね」
「君は携帯……スマホを2つ持ってるな」
「はあ?」城之内は怪訝な顔で訊き返した。「スマホですか?」
「そうだ。さっき、別のスマホを見てただろう」
「ああ、これですか」城之内はスーツの内ポケットに入っていたスマートフォンを取り出した。「これが何か?」
「それは、Twitterの別アカウント用か?」
城之内は言葉に詰まったが、肩をすくめた。
「まあ、それもありますが。ほら、あれですよ、女別に使い分けるんですよ。複数アカウントを使えるアプリもあるんですけど、やっぱり紛らわしいですからねえ。女でトラブったときは、スマートフォンが別だと便利なんで……」
「そんなことはどうでもいい」野崎は城之内の得意げな言葉を遮った。「さっきの打ち合わせ中に2つめの方を見てたのは、メールか?」
「さっき……ああ、いや、Twitterですけど?」
「この問題の関係か?」
この問題、というのが、T市立図書館に関する一連の騒動であることは城之内もわかっていたらしく、曖昧な笑いが浮かんだ。
「プライベートですから、ノーコメントってことで」
Yesと答えているようなものだった。欠けていた最後のピースが埋まり、野崎は思わずため息をついた。
「なんですか一体?」城之内が呑気に訊いてきた。
「サードアイの訪問の理由がわかった気がするんだ」
「理由?何ですか?」
「向こうは……サードアイはPINGを打ってきたんだよ」野崎は暗い顔で答えた。「で、君がご丁寧にも打ち返したわけだ」
「はあ?PING?意味わかりませんけど」
困惑顔の城之内に対して、何か辛辣な一言でも投げつけてやろうと、野崎は口を開きかけたが、そのとき、西尾ミドリが急ぎ足で来客スペースに入ってきたため、実行できなかった。
「どうかしたのか?」
元上司と現上司に向かって、西尾ミドリは用件を告げた。その結果、2人の顔色は等しく蒼白に変化することになった。
(続く)
この物語は事実を基にしたフィクションです。実在する団体、個人とは一切関係ありません。また司法当局の捜査方法などが、現実のそれと異なっている可能性があります。
コメント
名無しPG
野崎さんの心労凄そうですね。^^;
で、また続きが気になりすぎる引きでー。今から来週がとても楽しみです。
あとちょっと気が付いた点など。
弊社は少々困ってことに
↓
弊社は少々困ったことに
無関心さを装っていた
↓
無関心を装っていた
あまり気にしてはいるわけではありませんが
↓
あまり気にしているわけではありませんが
後ろ二つは、間違いというより、このほうが読みやすいかなーと思っただけなので。
参考程度に見て頂けると。^^;
不治ソフト
城之内が社会人失格だったおかげで作戦成功って事か。
まぁ、それでも確固たる証拠にはならないだろうけど。
次回が楽しみです。
uFitna
城之内さん酷すぎてわろえないけど資本金で会社を差別する人、
自分の責任問題となるとあることないこと言う人は普通にいるなあ。。。
atlan
あれ? 本文が二回繰り返してる?
てら
本文2回繰り返してますね。
フィクションの断りの後に後日談でも掲載しているのかと思ったw
さくら
ごり押しの権力への対抗方法。わくわくします
二度目の投稿です
確証は持てなかったんで口に出そうか前々から悩んでいたんですが、
城之内ってやっぱりサイコパスか何かなんでしょうか?
城之内がこれまで働いてきた乱暴狼藉の様子を見る限り、
親の七光りを利用して権力を振るい、
それで自尊感情を満たすような「単なるお子様」かとも思ってきたんですが、
今回の描写を見る限りだと、
城之内は炎上騒ぎを起こして煽る事、
それ自体を楽しんでいるような節があるように見受けられて、
そろそろイラつくを通り越して空恐ろしい気持ちになってきました……。
satoren
次回はタカミス先生のターンですかね!
楽しみです
trsgr
全ての作品に目を通していますが、サイコパスって単語が大好きな方がいらっしゃるんですね。覚えたての子供みたいですね。
exp
そもそもサイコパスは快楽主義とは限らないわけで
ひとを貶めて快楽しているだけでサイコパスって・・・
ちゃんと勉強してから発言されたほうが・・・
k
「サイコパス」はつまり「私には理解できないししたくもありません」ということなのでしょう。
本来の意味はともかく読み替えれば割と普通の感想ですね。
o
それならそのまま「私には理解できないししたくもありません」と書けばすむ話。
もっともらしい「サイコパス」という言葉で、自分の発言に注目してもらいたいだけでしょう。
k
> それならそのまま「私には理解できないししたくもありません」と書けばすむ話。
ええそうですね。
> もっともらしい「サイコパス」という言葉で、自分の発言に注目してもらいたいだけでしょう。
いや結構本気でそのように思い込んでるんじゃないですかね。
a
>それならそのまま「私には理解できないししたくもありません」と書けばすむ話。
いちいち長げーよw
o
>いちいち長げーよw
そんなに「サイコパス」連発してるんですか…