ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

冷たい方程式(3) 10月1日では遅すぎる

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 8月20日、月曜日。ホライゾンシステムの八木社長と片寄ムツミさんは、約束の15時ジャストに来社した。この打ち合わせは、本来なら8月上旬あたりに行う予定だったのだが、第2週はお互いに都合のよい日が調整できず、第3週はうちの会社がお盆休みだったため、この日にずれこんだ。

 今回の打ち合わせには、顔合わせも兼ねて亀井くんにも参加してもらっている。管理系担当なので、今後はあたしよりも、亀井くんの方がやりとりする機会が多くなるはずだ。

 「亀井です」

 「よろしくお願いします」

 亀井くんは、ムツミさんと名刺交換をする際、少し驚いているようだった。前回、あたしが驚かれたのと同じ理由だろう。

 最初に簡単にスケジュールを確認した後、コーディングルールを渡した。

 「こちらがコーディングルールです」あたしはプリントアウトとCD-Rを置いた。「コーディングは、これに従ってください」

 「拝見します」八木社長が手に取り、ムツミさんも隣から覗き込んだ。「ほう、しっかり決めてあるんですね」

 このコーディングルールは、あたしが入社する前から存在していたもので、もう退職してしまったプログラマが作ったらしい。見たところ、Writing Robust Java Code と、電通国際情報サービス版Javaコーディング規約2004の両方から、いろんな部分をつまみぐいしているようだ。その後も、いろいろな人が少しずつ修正、追加している。あたしも、何点か修正した。

 「ロバストですか?」ムツミさんが聞いてきた。

 「それも取り入れてます。ちなみに」あたしは好奇心から聞きかえした。「ホライゾンさんでは、どんなコーディングルールを採用しているんですか?」

 「うちは特にルールというものはないですね」

 「へえ、そうなんですか。それで混乱しないですか?」

 「ええ、まあ。プログラマがそれぞれ、自分で考えればいいことですから」

 欠点を指摘された、とでも思ったのか、ムツミさんの口調は、少し強ばっていた。

 「いや、まあ、常識的なルールということで」八木社長が慌てて口をはさんだ。「特に決めなくても、各自が読みやすいソースを書くことを心がけているので」

 「そうですか。今回はコーディングルールを指定させてもらいますが、それに従ってコーディングするのは問題ないですね?」

 ムツミさんが答えかけたが、八木社長がかぶせた。

 「もちろんです。安心してください」

 「そうですか……」

 ひょっとして、八木社長は、ムツミさんをうまく使いこなせていないのかな、と、漠然とした不安を感じたものの、取りあえず先に進むことにした。

 「フレームワークなんですが、Teedaで大丈夫ですか?」

 日程を決めるメールの中で、フレームワークがTeedaになることは伝えてあった。それについては特にレスポンスがなかったため、少し気になっていた。

 「実はそのことで、少しご相談がありまして」

 あたしは亀井くんと顔を見合わせた。

 「何でしょう」

 「管理系だけ、こちらが使っているフレームワークで作成させてもらえないでしょうか?」

 「は?」

 「Teedaだと思ったほど時間がかかりそうなんですよ」八木社長は悪びれずに続けた。「誰も経験がないものですからね。普段からうちが使っているフレームワークなら、それなりに早く開発できると思うんですよ」

 「ちょっと待ってください」あたしは少し腹を立てて、思わず声を荒げた。「どんなフレームワークでも問題ないとおっしゃってたじゃないですか。それを今になって、できないというのはアンフェアなんじゃないですか?」

 「それについては、大変申し訳なく思っています」

 八木社長は深々と頭を下げた。その隣で、ムツミさんは心苦しそうに目を背けている。

 「どうしても無理ですか?」あたしは八木社長にではなくムツミさんに聞いた。

 「最初は大丈夫だと思ったんですが……」消え入りそうな声だった。「でも、確実かと言われると……なにぶん、初めてのフレームワークなので……」

 あたしだったら、多少のリスクはあっても、未経験の技術の知識を身に付けられるなら、危険を冒すだけの価値はあると判断しただろうと思う。でもそれは、社内SEという立場にいるから、そう思えるだけなのかもしれない。小さなSIerでは、リスクを担保できない場合は、むしろ大手企業などよりも保守的にならざるを得ないに違いない。予想外に学習コストがかかって、足が出るという事態を避けたかったのだろう。

 と、最初はそう思ったものの、どうもムツミさんの口調がぎこちない。ちらちらと八木社長の顔を窺っているのも気になる。そもそも、もっと早めに連絡してくるべき重要案件だ。いろいろ考えているうちに、あたしの心の中に1つの推測が浮かび上がった。

 ――計画的……か?

 八木社長は最初から自社フレームワークを使うと、決めていたのではないだろうか。それなら、あの極端に安い見積も納得できる。自社フレームワークなら、1画面4日で仕上げる自信があるということなのだろう。

 ――どうしたもんかな……

 磯貝課長に相談するか、とも思ったけど、すぐにその考えは捨てた。どうせ決断するのはあたしの役目だ。

 もともとの約束通り、Teedaでやってくれ、と言うのは簡単なのだけど、それならば再見積という話になりかねない。そうなると、最初の選定理由は何だったのか、ということを会社に説明する必要も出てくるだろう。そのつじつまを合わせるのも面倒だ。

 「わかりました」あたしは、ついため息をつきそうになって、慌てて咳をしてごまかした。「もともと、管理系と業務系は別々のアプリケーションとして作成する予定だったので、まあ、問題ないかもしれません」

 八木社長の顔が明るくなった。

 「そうですか! 助かります」

 「ちなみに、使おうとしてらっしゃるのは、どういうフレームワークなんですか?」将来的には、うちが保守していくことになるので、あまり奇妙なものでは困る。

 「いえ、単純なサーブレットベースのフレームワークですよ」

 「ということは、JSPですか?」

 「はい、そうです」

 ――うーん、JSPはあんまり好きじゃないんだけどなあ

 「うちからお渡しできるのは、HTMLだけですが、JSPへの変換はそちらでやってもらえますね?」

 「はい、もちろん、こちらでやらせていただきます」

 「それで大丈夫?」あたしは亀井くんに確認した。

 「はい、大丈夫だと思います」亀井くんはうなずいた。「何かサンプルみたいなものがあったら見せてもらえます?」

 ムツミさんは、小さくうなずいた。

 「はい、何か、用意します」

 「じゃあ、そういうことで」

 八木社長は、人生最大の借金が消滅したような安堵の表情になった。

 「それで、うちが作成する画面数は、大体どれぐらいになりそうですか?」

 あたしは、亀井くんを見た。

 「今のところ、43画面の予定ですね」亀井くんは手元のメモを見ながら言った。「ちょっと、まだ、いくつか未確定の部分がありますけど」

 「そうですか」八木社長は少し考え込んだ。「HTMLと仕様書は、いつぐらいにいただけますかね」

 あたしは頭の中でスケジュール表を広げると、大体の線を引いてみた。まだ人事部との間で決めなければいけない事項がいくつかあり、それが終わらないとテーブル設計が完了しない。もちろん最初に決めたテーブル設計で、最後まで行けるなどという幻想は抱いていないから、項目の増減は当然あるだろう。それにしても外注する以上、ある程度は固めておく必要はある。たぶん、8月いっぱいぐらいは、テーブル設計に費やす必要がある。

 その後、ベースのHTMLを作成し、処理をまとめた仕様書を作成して、中身をチェックして……と考えていくと、9月の中旬以降になってしまいそうだ。

 「えーと、そうですね」あたしは少し長めに想定した結果を口にした。「10月1日じゃ遅いですよね?」

 八木社長は笑い声を上げた。

 「ちょっと遅すぎですね。なんぼなんでも、10月1日から実装始めるのに、10月1日に仕様をもらってたら、間に合いませんよ」

 「そうでしょうね」あたしは認めた。「では、9月17日までに、ということでは? 2週間ほど前ですが」

 八木社長は、手帳を見ながらムツミさんと小声で相談していたが、すぐにうなずいた。

 「わかりました。こっちも無理を聞いていただいたわけですからね。それでお願いします」

 その後、仕様書として作成するドキュメントの種類や、テスト項目などについて、主に技術面からの話となった。それまでおとなしかったムツミさんも、積極的に発言し、質問をしてきた。それに対抗しようとしてか、いいところを見せようとしてか、亀井くんもしきりと会話に加わろうとしていたのがおかしかった。

 「……じゃあ、こんなところですね」

 打ち合わせは、2時間ちょっとでお開きになった。

 「これから名古屋までお帰りですか?」エントランスまで送りながら、あたしは聞いた。

 「私はそうです。片寄は、東京営業所の方に」

 「ああ、そうでしたね」あたしは、ちょこちょこと歩いてくるムツミさんを見た。「もう、こっちで生活してるんですか?」

 「え? はい」笑顔がこぼれた。「東京は物価が高いですね」

 「そうみたいですね」あたしも笑った。

 「何か困ったことあったら言ってください」勢いよく言ったのは亀井くんだ。

 「は、はあ」ムツミさんは困ったような笑みを返した。「そうですね。そのうち……」

 「ほんと、遠慮しないでいいですから」

 亀井くんは、なおも強調した。あたしは少しあきれて後輩の顔を見た。こいつ、メガネ属性でもあるのか?

 

 ITマネジメント課に戻ると、昼から本社へ行っていた磯貝課長が帰社していた。あたしたちの顔を見た課長は「日比野くん、亀井くん、ちょっと」と手招きした。

 「なんでしょう?」

 「実は来週から、開発グループに人が来ることになったんだ」

 「へえ、異動ですか」

 8月の途中からとは、また中途半端な時期だ。ユーザー登録とか共有サーバへのログイン設定とかを頼まれるのかと思ったら、磯貝課長の言いたいことは違っていた。

 「異動というか、臨時のPMとして来るんだよ」

 「PM?なんのですか?」

 「勤怠管理システムリプレイスプロジェクトに決まってるじゃないか」磯貝課長はあたしの顔をまっすぐ見た。「別の言い方をすれば、日比野くんたちの監督に来るってことだよ」

 あたしは課長の顔をまじまじと見つめた。

 「えーと、課長、異動になるんですか?」

 「はあ? なんでそうなるの?」磯貝課長は驚いてのけぞった。「違う違う。プロジェクト管理のために、一時的に横浜に来るだけだよ」

 「一時的にですか」

 「そう。ぼくの代わりにね。あ、ぼくはテクニカルアドバイザーとして、引き続き関わるけどね」

 ――テクニカルなアドバイスができないテクニカルアドバイザーって……

 何かの冗談としか思えない。それはともかく、磯貝課長はボールペンをくるくる回しながら、経緯を説明してくれた。

 経営戦略本部では、勤怠管理システムリプレイスプロジェクトをかなり重要視しているそうだ。端的に言えば、金を出すのだから「必ず」見合ったリターンを出せ、というわけだ。どうも、現勤怠管理システム開発の失敗――といってもいいだろう――が、よほどの組織的トラウマになっているらしい。

 現在のところ、開発グループにはGLがいなくて、磯貝課長が兼務している。従って、今回のプロジェクトも名目上は、課長が自動的にPMとなっていた。

 「でも、ぼくはJavaあんまりわかんないしねえ」

 磯貝課長はアハハと笑った。あんまりというより、ほとんど、と言った方がいい気がするけど。もっとも、自分の不足している部分を素直に認めて、下手に知ったかぶりしないところは尊敬できるところだ。

 「で、本社では、Javaがわかる人間をPMとして指揮を執らせようということになったわけだね」

 「ってことは、その人はきちんとJavaがわかるんですね?」あたしは意外な思いで確認した。そんな人が、本社にいたとは寡聞にして聞いたことがなかったからだ。

 「わざわざやってくるんだから、そうなんだろうねえ」

 「なんて人ですか?」

 「渕上フミノリさん。知ってる?」

 「渕上さんですか……」あたしは記憶のフォルダ階層を辿った。「……名前は聞いたことがあるような気がします。確か、情報統括対策委員会付のマネージャじゃなかったでしたっけ?」

 「そうだよ。よく知ってるね」

 あたしが知っている理由は、昨年の4月に全社の組織図を作成したからだ。そのとき、情報統括対策委員会が、ただ1つ、どこの本部にも属さない部門であることを知り、へー、こんな部門が、と不思議に思った記憶がある。

 「会ったことはないですが……」情報統括対策委員会というのは、ITマネジメント課と関係があるようで、実はまったく関係がない部門だ。ERPパッケージの導入などをやっているらしい。「課長はご存じなんですか?」

 「少しね。ちょっとね」

 「どんな人ですか?」

 「ええとね、たぶん50代ぐらいの男性だよ」

 ――それは名前を聞けばわかるって

 「いえ、年齢や性別じゃなくて」

 「ああ、そうだ!」課長の顔が何かを思い出したように明るく輝いた。「なんか、やたらと背が高い人だよ」

 磯貝課長は、普段はいい人なんだけど、たまにこの手で首を締め上げてやりたくなるのはなぜなんだろう。

 「そうですか」渕上さんとやらの実力や人となりは、実際に対面してから確認することにした。「月曜日からですか」

 「そう。ぼくはその日は出張だからさ。日比野くん、案内とか頼むね」

 「はあ、わかりました。デスクとかPCとかの手配は済んでるんですか?」

 「席は日比野くんの向かいにしといた。ちょうど空いてたしね。PCは持ってくるそうだよ」

 「わかりました」

 あたしは少し複雑な思いで自分の席に戻った。実質的にあたしと亀井くんで、設計から実装までをやってのけるつもりだったので、ちょっと残念な気持ちがある。一方、あたしにはプロジェクトマネジメントの経験はないので、Javaがわかるプロマネが来てくれるのは、ありがたいといえばありがたい。とはいえ、「自称」経験者に引っかき回されるぐらいなら、余計な口を挟まない磯貝課長の方がマシな気もする。

 「まあいいか」

 あたしは小声でつぶやいて、気分を切り替えた。まだここにいない人のことをあれこれ考えても仕方がない。

 ふと隣を見ると、亀井くんが何やら考え込んでいる。

 「どした? 何か不明点?」

 そう聞いてみたものの、机の上には、ER図など広げられていない。亀井くんは、ちらりと課長の方を見ると、小声で言った。

 「さっきの渕上さんという人のことなんですけど……」

 「知ってるの?」

 「はい。入社のときの研修で本社に行ったときに」

 そうだった。あたしは途中入社なので、1日半の形式的な研修を終えた後、すぐに横浜ブランチに来たけど、亀井くんは新卒採用だから、社会人教育などを本社で2週間ほどやっているはずだ。

 「講師の中にいたってこと?」

 「いえ、そうじゃなくて、研修の一環として、本社内をざっと案内されたんですけど」

 その途中で、情報統括対策委員会にも立ち寄ったという。そこにいたのが渕上さんだった。

 「名前はすっかり忘れてたんですけど、情報統括対策委員会って聞いて思い出したんです」

 「ふーん」あたしは話の要点がつかめなかった。「で? 話をしたとか?」

 「いえ、挨拶だけだったんですけど、その後、案内してくれた人事部の人が……」

 『あの人はコストカッターなんだ』と言ったという。

 「コストカッター?」あたしは思わず聞き返した。

 「はい。最初は、なんか特殊なカッターナイフの開発か何かしてるのかと思ってました」最後の言葉は冗談だったらしく、亀井くんは、あはは、と笑った。

 後輩思いのあたしも、お義理で笑い声をあげたが、内心は穏やかではいられなかった。何となくイヤな予感がしたからだ。宝クジは当たらないくせに、この手の予感は、不思議なほど当たるものだと相場が決まっている。

 不幸にして、その予感は的中することになった。

 (続く)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術・製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(1)

コメント

BEL

たまにチェックしてたのですが、さっき気づきました。新連載が始まったのですね。

今度の主人公は女性で発注する側なのですね。
前作と逆の立場かとおもいきや今回も技術中心で展開していきそうですね。

「WEB+DB PRESS」とか、いちいちリアルで面白い。
これで毎週の楽しみが増えました。

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