Act05 提言
「あの、提案させていただいてもよろしいでしょうか?」
夕方の進捗会議。遅々として進まない製造工程と、それに追い打ちをかける「仕様変更」という名の明らかな考慮ミスの説明。その後にやってきた少しの沈黙に乗じて、私は手を挙げた。
「ああ、どうぞ」
明らかに、杉野PMは私を警戒しているようだった。自分のファシリテーションに茶々を入れるのか、というようなピリッとした目線をやり過ごしつつ、言葉を続ける。
「ここ最近、進捗が著しく鈍化してきている状況に加え、今日のヒアリングの時の様子を見ても、製造チームの疲弊は著しいものがあると感じました。この2カ月ほどは土日もほとんど休まず、深夜までずっと作業してきているということですし――」
私は一息ついて、周りを見やる。穏やかに草薙さんは相槌を打ち、杉野PMは微動だにしない。また、他のメンバーは疲れてそれどころではない、という表情をしていた。
「そこで提案させていただきたいのですが……製造チームに休暇を取っていただければと思います。肉体的な面だけでなく精神的にも限界を超えているのが分かりますし、その状態がさらに認識齟齬(そご)やミスを生んでいる事実もありますし……」
「じゃあ、それで遅れた分のリカバリは? 早瀬さん、頑張ってくれるの?」
私の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで、杉野PMは私に食って掛かった。
「プロジェクト計画レベルのミスと言わざるを得ない惨状を放置したあなたが言うのね……」という思いが表に出そうになったが、それは腹の奥へとしまい込む。
私が頭の中で言葉を整えている間、草薙さんが穏やかに口を開いた。
「いやいや。現在の危機的状況を甘くとらえて言っているわけではありません。先ほどご説明いただいた仕様変更の件ですが、広範囲に影響する内容なので、ある程度まとめて洗い直す必要があるとお話されてましたよね? 私もまだすべて見切れているわけではありませんが、このまま製造を進めても、結局そこにまた変更を加える必要がありそうな内容ですし」
適切なタイミングでの援護射撃。相手の言葉を切り取り、自分の言葉の中に込める。そんなからめ手とキラースマイルを使いながら、彼は言葉を続けた。
「ですので、杉野さんや他数名の方には申しわけありませんが、仕様面の再検討をしていただいて、その間に製造チームには一休み入れてください……ということです。もちろん、私もご協力させていただきますし、早瀬には今日のヒアリング結果も含めてWBSの再定義をさせたいと考えてます。いかがでしょう?」
草薙さんの交渉は「穏健」に聞こえるが、実のところはえげつないものだ。杉野PMにとって「破綻して形だけになったWBS」を私たちに巻き取らせ、刷新させることは悪い話ではない。他のメンバーと同様に疲労していて、視野が狭くなっているであろう彼はすんなり受け入れるはず。
しかし、それは杉野PMが以降のストーリーボードを手放す初歩になる。しかしその事実に、今の彼は気付かないだろう。
「分かりました。ではお任せしましょう。WBSは明後日の朝一で確認させてもらいます」
「お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。製造チームの皆さんはたった1日ですが、気分だけでもゆっくりお休みください」
最後まで穏やかな笑みを私は浮かべていた、はずだ。
「援護射撃、ありがとうございました」
翌日の休みをチームメンバーに伝えた後、
私は喫煙所にいる草薙さんのところに向かった。喫煙所の窓から空を見ながら、表情が消えた草薙さんはたたずんでいた。私が来たことを悟ると、いつもの穏やかな表情に戻る。
「いや、全然OK。杉野PMには設計に集中してもらおう。視野を絞ってもらった方が俺たちにとっても都合がいい。ただ、これで解決するなんて簡単な話ではないが、ね。この期に及んで要件を見直しているレベルだからな。仕様矛盾が新たに発生しなければ奇跡だよ」
もうすでに外は暗く、夏のお月さまが顔を出していた。
「人を欺いて誘導してるような心地で嫌になるが……。皆が少なくとも、これ以上、無駄な痛みを受けないためなんだよね」
灰皿の中には、同じ銘柄の煙草が数本横たわっている。草薙さんの悪癖、長考に入った時のチェーンスモークだ。
「おびえていますね。皆」
「恐怖による支配みたいなもんだからな。俺の一番キライなタイプだね」
吐き捨てるように草薙さんはそんな言葉を口にしたのち、 また口に新しいたばこをくわえて火を付けた。薄暗さの中、赤い炎が揺らめく。
「安西社長への報告は俺がしておく。あと、明日は応援を1人、こっちに呼ぶことで調整した。お前さんが戻ってくるまでに、俺は別にやれることをやっておく」
「では私はいったん帰って、シャワーを浴びたら、戻ってきます。皆さんがお休みしている間にWBSを引かなければいけないですが、それ以外にもいろいろ調査しておきたいことがあるんです」
タスクの難易度やボリュームを知らなければ、現実的で、血の通ったWBSは引けない。短い時間で把握できることもたかがしれているし、まだ顕在化していない問題もあるだろう。一度引いたスケジュールも何度となく見直しをかけながら、調整し続けることになるだろう。それでも、まず今できる限りのことをしておきたい。
「了解した。うまいもの食べて、リラックスしてから戻ってきてくれ」
もう1本吸おうとする手を草薙さんは止めて、「じゃーな」と笑うとプロジェクトルームに戻っていった。
「この時間からの仕事はお肌に悪いんだけど、ねぇ」
体を伸ばした後につぶやき、私も身を翻して自席に戻った。