これはピンチな現場に助けに入る、しがないIT傭兵達の物語。

Act03 沈没直前

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 私と草薙さんが現場に赴いたのは、安西さんが会社に来た2日後の朝。事前に渡されていたプロジェクトメンバーのプロフィールと数枚程度の事前情報に目を通し、私はその日を迎えた。初日は私と草薙さんだけの入場。草薙さんによると、あと1人は現在調整中とのことだった。

 期限となる納品日まで、残り25日。大手ゼネコンが所有するビルの中。中層階にある1室がそのプロジェクトに与えられた部屋だった。安西社長に案内されて入った瞬間、部屋に充満する重苦しさを肌で感じとる。メンバーは若いはずなのに、土壇場の喧噪感もなく静まり返った部屋全体に、生気がない。

 プロジェクトは溺死間際だった。息苦しい雰囲気の中、プロジェクルームの一角にあるミーティングコーナーに通される。

「少々お待ちください。PMの杉野を呼んできます」

 私達は安西社長に進められた椅子の前で、スーツの胸ポケットから名刺ケースを取り出して待つ。しばらくして安西社長に伴われ、黒縁の眼鏡から神経質そうな目を覗かせる1人の男性が、資料を携えて入ってきた。

 表情の薄いその男性と対照的に、にこやかに会釈して草薙さんがスマートに名刺を渡す。

「はじめまして、いつもお世話になっております。CAシステムの草薙、と申します」

「わざわざ代表の方直々のご協力、大変感謝いたします。PMの杉野です」

 杉野PMは嫌味を含んでいるような口調で、「すみません、名刺を切らしているので」と言って、草薙さんの名刺だけ受け取って机の上に無造作に置いた。

「同じく、CAシステムの早瀬です」

 私も同じく微笑みを浮かべて、名刺を手渡す。しかし、彼はニコリともせず名刺を眺めた後、品定めでもするかのように私に目を向けた。

「男性かと思ってたんですが、女性だったんですねぇ。はぁ、ずいぶんと資格をお持ちなんですね。私は勉強する時間がなくて」

 今度は小馬鹿にした口調で、彼はまた無造作に机の上に名刺を置く。安西社長は険悪にならないようにフォローを入れようと口を開きかけたが、それより先に私の口が動いた。

「ありがとうございます。少しでもお役にたてるように全力を尽くします」

 目を細めて口角を上げ、私はいつも以上の営業スマイルを自分の顔に張り付けた。よくあることだ。炎上している現場に優しく迎え入れてもらえることなんてない。傭兵風情が、と試されることには慣れている。まして、男社会の風土が強い現場では、女性であるというだけで軽く見られることだってざらにある。

「それでは、お渡しする資料にも書かれてますが一通り説明します。まぁ、詳しくは後で紹介する山口君に聞いてください」

 質疑に至れるほどの深い説明もなく、時折見せる面倒臭そうな表情を見ないフリしつつ、ミーティングルームを出たときには12時を回っていた。説明の間ずっと安西社長が申し訳なさそうな顔をしていたことが印象的だった。

「牛丼大盛り、つゆだく、ねぎだくでご飯少なめと卵1つ!」

 昼食。近くにあった牛丼屋に転がり込むように入った私は少し大きめの声で、自分のオーダーを伝える。

「お前さん、相変わらず注文の細かい客だねー」

 草薙さんは「俺、並牛丼1つとサラダね」とシンプルに頼んだ後、終日禁煙の店だと気付いて、煙草を懐に戻しつつ私に笑う。

「まったく……、飲まれてんじゃないよ。喧嘩は売られたって買わない。そして、自分からは決して売らない。感情的になると目が曇る。自分のいいところ、発揮できないよ」

「私だけじゃなくて、草薙さんのこともばかにしていたでしょう、あれ!」

「ばかにされたからって、それで俺達の価値が下がるわけじゃない。違うか?」

「むぅ。……まぁ……」

 女性であることで見下されて小ばかにされることなど、慣れているつもりだった。以前、悔しくて男に生まれてくればよかったのかと思ったこともあるけれど、そんなことを考えたところで意味がない。だから、自分なりに努力して積み上げてきたつもりだ。今度はその努力さえも嘲笑われたようで、また腹が立った。私の心中を察してか、草薙さんは少しだけ低いバリトンで私を諭す。

 「お前は穏やかに笑っていろ。この重い空気に取り込まれるな。常にアンテナをはって、言葉にならない声を拾い上げろ。お前の長所は……努力で身に付けた知識の引き出しと、人とすんなり打ち解けられる空気が出せるところだ。自己主張するために来たんじゃない。誰かの助けになろうとするときのお前は強いんだから」

 向けられる揺らぎない信頼。他人の悪意に心を揺らすより、この信頼に応えるのが私らしいと思い直す。運ばれてきた牛丼をひとしきり食べた後、私は午後の動きを草薙さんに相談する。

 「プロジェクトメンバーからヒアリングさせてください。さっきの杉野PMの説明では見えない……今の状態や課題について聞きたいのです」

 頭をフル回転させて、私は続きの言葉を紡ぐ。

 「また、形だけになってしまっているWBSをこちら側で握って、洗い直したいです。洗い直すには、メンバーそれぞれの得意不得意も知りたいですし。……時間がない以上、各々のメンバーにできることで可能な限り回しつつ、足らない部分を補って、落とし所を探りたいと思います」

 「OK。この後、俺がPMに話して段取りを取っておこう。覆そうか、この状況」

 私の言葉を聞いた草薙さんは唇を片方だけ釣り上げて、不敵に笑いつつ席を立った。

Comment(2)

コメント

組長

な-Rさん、こんにちは。いつもお世話になっております。^^

あああ、面白いです。さすがです。

IT業界における女性についてのところ。すごく分かります。
私は今はIT業界にいませんが、すごく考えさせていただくことが多いコラム
でした。ありがとうございました。精進……。

な-R

組長様
ありがとうございます。
組長に小指、献上しなくて済みますかね(笑

基本、今まで体験したプロジェクトをミックスして書かせていただいております。
ここまで酷い扱いはあまりないですが、もうすこし軽いものは年2~3回はありますね(笑
今のプロジェクトでもありました(笑

でも、そういうことを分かるようにしてくれる人=脇が甘い人でもあるのかなと感じています。
本当に賢くて手練れで面倒な人は思っていても、
そんなことは一切思っていないようなフリもできますから…

私自身、普段のほほんとしているのが、いけないのかもしれませんね(笑
反撃しそうに見えない、と言われたこともありますから…

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