これまでの経験で感じたことを、つらつらと述べていきます。

公〇式みたいに?

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コロナの影響で、卒業式に影響が出たり、
このままであれば、入学式もどうなるやら...ですね。
冗談抜きにして、事態が年単位に及べば、
「コロナ世代」なるワードも出て来くるかもしれません。

とはいえ、もうすぐ新入社員/新入生の季節です。
以前、新人さん新人管理者さんに向けてのコラムもアップしました。

で・す・が。

個人的には、なんでみんな一斉に就職するのか、
いやそもそも、なんで一斉に進学進級しないといけないのか、
というところが腑に落ちていないんですよね。
もうずっと以前から思っていたことです。

どんなものでも習熟には個体差があるので、
早く会得出来る人はそのまま突っ走ってもらって、
可能な限り早期に社会の一部として貢献出来るような仕組みにならないですかね。
卒業まで待って...というのは、その分社会にとっての損失だと思うんです。
そういったものを、公的に、かつ文化的に認められないものかと。
逆に、まだまだ必要なことが習得できていないうちに社会に入ってしまった場合、
周りのサポートが必要になって、全体としてみれば生産性が落ちてしまうわけです。
どこまでフォローするかは社会の体力によると思いますが、「大器晩成」な人も居ますし、やはり継続的な支援も併せて体制化することが必要なんでしょう。

「一斉に」となっている根本は、やはり集団主義が原因なんでしょうかね。
付随して、「学習」と「道徳」がないまぜになっているようにも思います。
そしてそこから発生している「教師対多数の生徒」という従来のフォーマットと、
「教師とはかくあるべき」みたいなステレオタイプがあるのかな、というか。
これは、もういい加減考え直すべきだと個人的には思ってます。
社会の構造変化についていけてないという理由で。

で、あくまでも理想ですが。
「教育」、おしえそだてる、という上から目線ではなく、
あくまでも「個々が、自身の課題を考え、実行する」がファーストで、
支援者がそれをサポートするというスタンスになるといいのにな、と思ってます。
上記は学生側への観点ですが、教員側にしても、
今のままでは全部が教員の責任になるので、
結果、負担がとんでもないことになってる現状がありますしね。
(こうなると、教員というよりサポーターといった用語の方が近いかもです。)

さて、これは社会人になっても同じです。
新人研修とか、OJTとか、非効率だなと...
各自で「現状把握」と「課題解決」が出来るなら、そんなものは不要です。
現実問題として「やらざるを得ないからやっている」だけであって、
本当はそんな無駄はさっさと省きたいわけです。
組織の本音は、「即戦力が欲しい」ということですから。

これからどんどん人口が減っていくのは避けられず、
何もしなければ国力は低下していく一方です。
ですから、一人あたりの生涯生産高を上げるために、
根本治療が必要なのではないかと思うわけです。

Comment(1)

コメント

匿名

改行・改段落が無くて小学生のほうがまともな文章書けますよね
よく載せられますね

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