個人事業主にしてベテランプログラマー。人呼んで「IT業界の小関智弘」(?)

ジブリがうらやましい

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 今日はちょっと本題を離れてアニメの話を。

●ポ~ニョ、ポニョ♪

 先日「崖の上のポニョ」を見てきました。

 わたしはアニメファンではないのですが、宮崎駿の作品は好きで、必ず映画館に見に行きます。最初に見たのは「ナウシカ」。「ラピュタ」「トトロ」は見逃しましたが、「魔女の宅急便」以後は全部映画館で見ています。

 しかし正直なところ、今回ばかりは実際に見るまでは心配でした。封切り1カ月前ごろから各種メディアが予告映像を流し始めましたが、どうも気に入りません。どこか現実離れした色彩。キャラクターの線が少なく単純で、最近流行の「ゆるキャラ」のように立体感がなく、まるで紙切れのよう。背景に描かれた街や家は色鉛筆で書いたスケッチのように思えました。

 それにもう1つ心配だったのは、本作品が宮崎監督の意向で全編「手書き」の絵で作られたことです。監督はなぜそんなことにこだわったのでしょう。1990年代以降CGはアニメーションの世界を革命的に変えてきたはずです。そもそもジブリはアニメーションにCGを取り入れた先駆者の1人ではなかったでしょうか。

●技術の進歩を否定する?

 1秒間に何十枚ものセル画を必要とするアニメーションの作成は動画スタッフに過酷な労働を強います。テレビアニメの場合、1秒間に24枚として30分の放送時間のうち、広告やタイトルを除いた部分を22分と見積もっても、毎週3万1680枚を必要とします。それを1週間で企画して、描いて、撮影して、編集する。途方もない作業であることがわかります。

 それゆえアニメーションの世界では省力化のためさまざまな努力を払ってきました。初期テレビアニメでよく見られたシーンの使いまわし、人件費の安い東南アジアでの動画作成等々。ことに1990年代になってCGが使われるようになってからの質的向上は目を見張るものがありました。風景や室内の豊かなディテール、主人公が変身するときの流れるようなコスチューム。これらの映像を手書きで実現しようとしたなら、どれほどの労力がかかることでしょう。日本のアニメはCGを各所に効果的に取り入れることによって映像の品質を高めることに成功したといえます。

 今回の「崖の上のポニョ」はある意味、そういったCG利用のアニメーション作成の技術進歩を全部否定する意図を秘めていたのです。果たしてそれは正しいことなのでしょうか。監督の個人的な美意識や技術の保守性から制作費をむだに使ったアナクロニズムに陥っているのではないか、と心配でした。

 しかし実際に作品を見れば、それらの心配はいっぺんに吹き飛びました。「崖の上のポニョ」は傑作です。しかも日本のアニメーションの方向性を変えることになるかもしれない潜在的な重要性を秘めているのです。

●「ポニョ」の戦略

 以前NHKのドキュメンタリーでスタジオジブリの製作の様子を見たことがあります。企画を終えて実際の製造段階に入ると、宮崎監督自身は絵を描きません。シナリオにしたがってシーンを分け、それぞれの作画はアニメーターに分担されます。各シーンにおけるキャラクターの動きは各アニメーターの技量にゆだねられるのです。それゆえアニメ作成のマネジメントの主眼は、いかにスタッフへの負担を減らし、そこで生まれた余裕を動画の創造性へ転化させることができるかということにあります。

 キャラクターの輪郭線がシンプルで立体感に乏しいのは、何枚ものセル画を手書きする動画スタッフへの負担を減らすためでした。キャラクターデザインをあらかじめ緩く設定すると、アニメーターの負担が減り、それであまった労力で、例えば画面上で動く固体の数を増やすことができます。その結果、ポニョが棲む海の底はさまざまな形の生き物にあふれ、それが生命の豊かさを具体的に示すイメージとなっています。

 色鉛筆タッチの背景画も決して稚拙な印象を与えるものではなく、「こんな町に住んでみたい」と思わせるに十分な魅力を持っていました。絵が動くということは、それだけで奥行きを感じさせるものです。子供たちはこの映画を見て、まるで自分たちが書いた色鉛筆の絵が動き出し、自分がその中に入り込んでしまったような親しさを感じたことでしょう。それがこの映画が子供たちに人気がある原因の1つだと思います。

●「ポニョ」のもう1つの狙いは

 しかしそれだけならこの作品は「手書きのアニメ」の価値を再認識させたというだけの作品にすぎません。宮崎駿が今回は風変わりな作品を作ったという話題をひとしきり振りまいて終わってしまうでしょう。わたしの見るところ「崖の上のポニョ」の持つ重要性はそれだけにとどまりません。日本のアニメに、ひいては世界のアニメーションに新しい潮流を作り出すかもしれないのです。

 そう思ったのは、エンドロールのクレジットを見た時です。そこにはこのアニメーション作成に参加したアニメーターの名前が列挙されていました。それだけなら普通のアニメ映画のクレジットと同じなのですが、重要なのはアニメーターの個人名が電通、博報堂などの法人名と同じ大きさで並べられていたことです。

 ふつうはそんなことはありません。エンドロールで強調されるのは、ふつうプロデューサーや監督などの映画製作の責任者の名前、出演者の名前、協賛した法人の名前などで、アニメーターの名前など小さな文字で遠慮がちに挙げられるだけです。「ポニョ」のエンドロールは、ジブリがこれらのアニメーターを高く処遇していたことを示しています。

●原点に返ろう

 ジブリの発表では、この作品の完成まで70人のスタッフで1年半かかったそうです。1年半の間ひたすら絵を描いてすごす生活とは一体どのような生活でしょう。しかもそれが70人!

 これら70人のアニメーターたちにとって、この映画がまたとない絵のトレーニングの機会になったことはまちがいありません。彼らからしてみれば、こんなシーンならCGを使えばはるかに楽なのにと不満に思ったことも少なからずあったかもしれません。たしかにCGを使えばCGのオペレータとしてのスキルを高めることはできるでしょう。しかし昔のアニメーターが1枚1枚手作業で絵を描くことで引き出された創造性は、CGからは生まれてこない。みなCGによって生まれた作業の余裕を、「かっこよく見える」といった通俗的な効果や、「本物らしく見える」というような安易なリアリズムにつぎ込んでしまうでしょう。CGの利用によってアニメ作成の作業が細分化され、若いアニメーターの中にはコンピュータを操作することが自分の仕事だと思い込み、周囲とのコミュニケーションもなくアニメ作成全体への参加意欲もなく、たんなる「使用人」に成り下がっているケースも少なくないでしょう。宮崎監督を含めたスタジオジブリの首脳陣には、若手アニメーターの「才能の枯渇」が目に見える現実となっていたのではないでしょうか。

 そもそもアニメーションの魅力は、人間が描いた絵が「動く」、魂(アニマ)を獲得することにあります。宮崎監督は、ハイテクを使い慣れた現代の若手アニメーターたちに前時代的な手書き作業を強いることで、自分の描いた絵が動き出すという原初的な喜びを改めて感じさせ、そこから新たな形が生まれてくることに賭けたのだと思います。そしてわたしが見るところ、その賭けは成功しています。きっと彼らアニメーターたちは壮大な映画を手作業で実現させたことで、自分たちの肉体と感性がもつ力を改めて再認識し、大きな自信を得たことでしょう。

●ジブリだからできること

 しかし「崖の上のポニョ」のような作成方法は今日では例外的です。作品の品質がどうあれ、CGを使って作画工程を省力化し量産体制をしかなければ、メディアの要請に応えることができません。アニメを手書きすることが個々のアニメーターの創造性に有効なことは理解できても、すでにそのような制作方法はメディアの生態系に合わないのです。これは新世代の創造力を引き出すことができない日本のアニメ業界の構造的危機として捉えなければならない事柄です。

 そういった状況を打開するためにもあえて全編手描きで作画するという方針が試みられたのだと思います。今日、前時代的な手書き長編アニメを作成するのはリスクが高すぎて、ジブリと宮崎駿のネームバリューがなければ実現することはできないでしょう。ジブリは自分のブランドの利益を70人のアニメーターの創造性へ還元したのです。もちろんそうしたからといって、この試みが持続できるとは限りません。ジブリといえども、次回同じ手法をとることは難しいでしょう。しかし今回の「ポニョ」が一定の成功を収め、その試みの意図が正しくアニメ業界に受け止められれば、アニメ業界の構造的問題を変えていく大きなきっかけになるかもしれません。少なくとも、70人のアニメーターが1年半の間、作画に没頭したという経験は、アニメ界全体に長期的な好影響を与えることは間違いないでしょう。

 エンドロールに並んだアニメーターたちの名前は、まるで卒業アルバムの卒業生名簿のようでした。彼らはこれから各所に散ってどんなアニメを作ってくれるでしょうか。

●われらがIT業界は

 そう考えると、これら「ポニョ」作成に参加したアニメーターたちがつくづくうらやましくなります。われらがソフトウェア業界は大部分がアニメ業界と同様、技術者のマンパワーによって実現されていますが、その事実が経営者にはまるで認識されていません。常時、技術革新の大波に洗われていながら、それが生産現場に与える影響に疎く、大型汎用計算機時代の古いビジネスモデルを墨守してきました。ジブリのように技術を発展的に継承できるようなビジネスモデルを作るという試みをする気概のある企業などまったくありません。それどころか、技術の核となる実装工程を海外にアウトソーシングして、実装経験の機会を国内の技術者から奪っています。本来ならば生産工程の工夫習熟で生み出される生産性向上を、その技術継承に投資してインテグレートしていかなければならないものを。

 まあ、実際にはアニメ業界もわれらがIT業界に負けず劣らず労働者を酷使するところだそうです。それを考えれば、インターネットを背景にこれからもますます技術発展、市場拡大の可能性を秘めているIT業界のほうが恵まれているのかもしれません。ただ、ジブリのような理解ある経営者がいてくれたら。ああ、ジブリがうらやましい。

Comment(1)

コメント

匿名

変身ものは今もフツーに手描きのが殆どだしジブリだけが特別みたいな書き方は正直不快だわ
もうちょっとアニメのこと知って欲しい

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