IT業界の闇に飲み込まれたある男の話
明るい未来しか見えないITエンジニアの話を紹介したばかりですが、一方的に高年収が狙えるポジティブな話ばかりを切り出して若者にバイアスをかけてしまうのはITエンジニアの先輩として良くないことだと考えています。IT業界の良い面、悪い面の双方を正しく語り、若者たちに自らの将来を考える材料を与えるのが先輩エンジニアとしての役目だと思うのです。今回は、光ばかり当たるIT業界の裏側で起こっている、本当は語りたくはないIT業界の闇に飲み込まれたある男の話をしましょう。
ブラック企業への片道切符
超氷河期時代。東日本震災やリーマンショックの時ですら切ることのなかった大卒の有効求人倍率1倍を下回った時代があった。就職戦線は激戦で、もちろん男も何十社も落とされた。度々送られてくる「不採用通知」にも段々慣れてきてしまう男。リズミカルに不採用通知を受け取り続けると、採用されるイメージがどんどん薄れ、日々自己否定感だけが増していった。このままではいけないと男は自分を奮い立たせ、就職浪人だけは絶対に避けようと必死に努力をし、もがき苦しみ、やっとの思いで手に入れた内定通知は、「ブラック企業への片道切符」だった。
ブラック企業の中身の話
入社初日の4/1。9時からの始業に合わせ最低でも30分前にはと思い、8時半に男は人生初出社をした。会社の入り口に鍵がかかっており、いきなり出鼻をくじかれた男は、先輩社員の出社を待つことにした。しかし9時になっても誰も来ず、不安に押しつぶされそうになりながらも男は待ち続けた。もちろん何度も会社の表札を確認した。いや、そもそも面接で何度も訪れた場所である。間違えているはずはなかった。10時が過ぎ、まもなく11時になろうかとしたタイミングで先輩社員の方々が出社してきた。とりあえず一安心した男に、
「おー、君が新人か。待った?うちの会社みんな来るの遅いよ。聞いてなかった?」
「.........。」
こうして、絶望しか見えてこない生活への初日がはじまった。とある年の4/1の話である。
そして1時間後に訪れるはずだった昼食時間。。。急遽客先へ一人で応援に行くようにとの命令が男に下る。「客先に一人で?今日?いきなり?何すればいいの?」男はただただ不安であったがその一切を聞いてもらえず、「ただ端っこに立っておけば良いから大丈夫だよ」と優しい先輩からのお言葉。。。
そして客先に到着したものの、もちろん知った顔は一人もいない。勇気を振り絞って「◯◯株式会社から来ました」と言ったものの「どこの会社?誰か聞いてる?」とリーダーっぽい方が一言だけ言い残し、その後は何もなかったかのように皆さん仕事に戻る。そして文字通り「ただ端っこに立っているだけ」の1日を送った。とある年の4/1の話である。
後日知ったのだが、クライアントが4/1に本番リリースを迎えたばかりで、何かあった時の保守要因の頭数合わせに連れてこられたのだと知った。そのクライアントも、一次請けのクライアントであり、やっとの思いで入社した男の会社のクライアントではなかったことも知った。あの場で自分の会社名を名乗ってはいけなかったことも知った。分からないなりにでも喰らいついて、一次請けのプロジェクトマネージャーのご機嫌を取らなければならなかったことも知った。そして、もがき苦しみ、やっとの思いで手に入れた内定通知が、「ブラック企業への片道切符」だったと再認識した、とある年の4/1の話である。
ブラック企業のリアル
人間とは不思議なもので、絶望的な4/1から2ヶ月も経過すると、そのブラックぶりにも慣れてくるものである。「あと10分で今日という日が終わってしまう。。」とおもむろに席を立ち、新入社員らしく大きな声で、「お先に失礼します」と告げる男。すると決まって、「お、新人は今日も早いな。おつかれ〜」との掛け合い。人間とは不思議なもので、「いつも早く帰らせて頂けるなんて申し訳ないな」と心底思えてしまうのである。
ちなみに、土曜日は毎週ではなく隔週で休日。たまにの土曜日休暇もサービス出勤へと溶けていった。ただ法定休日の日曜日だけは休めた。世の中には日曜日も働いているやつがいるのだと言い聞かされ、我々は勝ち組だと教わった。残業代が出ることはなかったが、勝ち組でもこんな状態なのだから仕方がないと思うようにした。来る日も来る日も疑うことなくエンジニアとして努力を続けた。
そんな中、日々少しずつ自尊心が芽生え、その小さな誇りを育んで行き、そしてそれは、自分という人間を彩る構成要素と変わっていった。気がつくと寝る場所以外は会社で過ごし、たまには会社で寝泊まりをし、同僚と会社への滞在時間を競う日々。その滞在時間の長さはやがて愛社精神へと変わり、たまに湧き上がってくる負の感情を心の奥に抑え込むには十分な大きさになった。
それから1年が過ぎた頃、社長のご子息が大企業で勤めていることを知る。「なぜ父親が運営するこんな素敵な会社で働かないのだろう?」
積み上げてきた小さな誇りと、大きな愛社精神に満ち溢れていた男の素朴な疑問だった。男は抱えていた疑問を社長にぶつける。そして社長はまじめに答えてくれた。
「こんな危ない会社に子供を働かせることはできない」
社長の口からご子息への愛がこぼれ落ちるのとほぼ同じタイミングで、男が社会人になって積み重ねてきた構成要素の全てがくずれ落ちていく音が聞こえた。絶望的な4/1から1年が経過していた。
どうしても起き上がれない
それからしばらく経って、急に体調が壊れる。いや精神が壊れたのかもしれない。男は家のベッドから起き上がれなくなってしまった。いや、起き上がれなかったのか、起きたくなかったのかすら覚えていない。その日は土曜日だったが出勤日であることを男は理解していた。それでも起き上がることが出来ない。休暇連絡を取るための電話口にすら行けない。そして男は、ついに禁断の無断欠勤をしてしまった。先輩社員たちは平気でやっていたが、社内では男だけがしてこなかった無断欠勤をやってしまう。先輩たちの慣例に飲まれてしまったのだ。いや、それは言い訳だとすぐに気づいた。いずれにせよ、その男はやってはいけないことをしてしまったのである。
昼過ぎ、鳴り響く電話。時代はまだ今ほど携帯電話が普及していない時代だった。連絡元通知機能がない電話だったが、男には連絡元が予想できていた。もちろん電話に出られない。鳴りやまない電話。男の体温があがり、体中の毛穴から汗が吹き出る。出勤したほうが精神的に楽だったのかもしれない、男は後悔していた。
翌月曜日、社長に呼び出される。もちろん怒鳴られるくらいは覚悟していた。そして社長は語りかける様な口調で「君にはがっかりしたよ」と男に告げた。しかし続けて社長は語り、「もし会社について改善してほしいことがあれば何でも教えてほしい」とも男に告げた。男は最後の願いの意味も込めて、「会社での寝泊まりは本当にしんどいです。。」とだけ、消え入りそうな声を振り絞り社長に告げる。本当はもっとたくさん言いたいことがあったはずだが、それ以上は言えなかった。言ってしまうと今までの自分を否定してしまいそうで怖かった。せめてほんの少しだけでも早く家に帰れる日を作りたい、男はその思いだけを社長に告げた。社長は優しく「わかった」と言った。
2週間後、会社に簡易ベッドが届いた。「これで楽に寝れるぞ」と語った社長の真意を男は未だに掴みかねているが、いまでは社長の渾身のギャグだったと思うようにしている。しかし当時の男には置かれた状況を上手くさばくことは出来なかった。この瞬間、男の腹は決まった。
そして退職へ
人生初めて書いた「退職願」を持って、男は社長と最後の話をした。社長は穏やかな口調で、しかし力強く「君を主任にしようと思う」と男に言った。男は社長の神経を疑ったが、1年半もお世話になった会社の社長である。主任の話も、臨時昇給3000円の話も丁寧に断り、男は初めての退職をした。会社を出ると男は大きく息をはいた。はく息は白く少しだけ肌寒い季節へと変わっていたが、久しぶりに見る夕日の壮大さに男は感動をしていた。つい数十年前に日本で実在した、IT業界の闇の話である。
おわりに
その後男はどうなったのかはまた今度語るとして、IT土方の底辺とはまぁこんなものです。男は結果的にそこから脱出出来てしまったので、その後のブラック企業については多くは語れませんが、IT業界の闇の部分にもきちんとフォーカスする必要があると思い、ある男の実体験を共有させて頂きました。次回はもっと明るい話をしたいですね。